こんばんは。

昨日は出張外泊で、かつ、ホテルの部屋の通信環境が良くなかったため、つい、酒呑みになっていました。

あたたた…。
懲りない人です。

さて、今日はちょっと心のお話です。

相談を受けました。
※詳細は書けませんから、要約し、脚色します。

内容は、「怒りの感情が溢れてきて、コントロールが出来なくなりそう。どうしたら、いいか?」

ということでした。

一通り話しを聴いた後に質問しました。

僕「どうして《怒り》の感情を選んでいるの?」

相談者「え?選んでる?」

僕「うん。《怒り》以外の感情を選ぶことも出来るよね?あなたが怒りを覚えるその人にも、沢山素敵な面はあるのに、わざわざ怒りを覚える面に焦点を当てているのは、なぜだろうね?」

相談者「何かそこばかり気になって…。良い所もあるのは分かっているんだけど、最近、欠点ばかりが目について、それで腹が立って仕方がないんです。」

僕「ということは、相手の問題ではなく、あなたの捉え方の問題ということだよね?」

相談者「ええ、分かってはいるんです…。ただ、どうにも出来ない…。」

僕「いつから?先月はそんなことは言ってなかったよね。」

相談者「あれ…、いつからだろう…。あ、多分、自分が雑に扱われているって気づいてからだな…。」

僕「そうか…。その時、どんな気持ちになった?」

相談者「何か悲しかったし、腹が立ちました。」

僕「そうか…。悲しかったんだね。」

相談者「ええ…。」

僕「ところで、本当に雑に扱われたのかな?違う捉え方は出来ない?」

相談者「え?いや、雑に扱ったに決まってます。そうじゃなきゃ、あんな言動になるわけがない。」

僕「相手に確かめたの?」

相談者「いえ、確かめてませんよ。確かめるまでもない。そうに決まってます。」

僕「確かめてないなら、分からないよね?なのにどうして、《そうに決まっている》んだろう?それを決めたのは誰?」

相談者「え…?…僕ですか?」

僕「まあ、他にはいないよね。」

相談者「…。」

僕「ところで、仮に《自分は大切にされる存在だ》という前提で、その相手の言動を捉えたらどういう意図になる?」

相談者「…。頼りにされている…。ですかね…。」

僕「そうだよね。でも、その捉え方が出来ず、《雑に扱われた》と感じた。つまり、あなたが自分で自分を、《雑に扱われる存在だ》という前提で相手の言動を捉えていたということだね。」

相談者「え…。あ、そうか…、そうかもしれない…。」

僕「その前提を変えれば、《怒り》は治るよ。」

相談者「そうか…、自分か…。相手じゃないんだ…。変えられるかな…。何か怖いな…。」

僕「そうだよね。《自分が大切な存在》って認めるのは、実は勇気がいるんだよ。でも、その勇気が必要なタイミングが来たから、怒りというサインが出たんだよね。」

相談者「分かりました。やってみます。何か変わりそうな気がする。というより、これを乗り越えたい。」

僕「うん。焦らずね。また怒りが出て来たら、いつでも相談してね。」

相談者「はい。」





という感じでした。



かなり要約しましたが、伝わりましたでしょうか?

自分が自分をどのような存在と信じているかによって、捉える世界が大きく変わります。

最近、僕もちょっと怒りっぽくなっていたので、自分を見直すいい機会になりました。感謝♫



では、また。