戦略的放浪家バックパッキャオの世界制覇! 200ヶ国の街ブラ紀行と其の雑記

戦略的放浪家(Strategic Nomad)兼アスリート経営者の旅と生活のユニーク情報発信ブログ。難病のモヤモヤ病等で10回以上死にかけながらも世界150ヵ国以上に張り巡らしたネットワークを活用しなが居候的な旅をする。確立したトラベルスタイル(バックパッカーのような旅をしながらもキャリーのスーツケース派)から自称バックパッキャー。呼びづらいので呼称をバックパッキャオ!にされる[アジア人で左利き(サウスポー)+ナイフ強盗退治の経歴からボクサーのパッキャオ(Manny Pacquiao)とかけあわせて]

米国で人生初のパトカー護送

Hello
カナダモントリオールでの滞在後、空港での紆余曲折を経て第2の故郷ボストンへ。

内容

居心地の良い街

僕はことあるごとに、ボストンを訪れている。米国の他の都市を訪れる際にも必ず立ち寄っていた。その度にボストンに何があるの?って訪ねられることが多いんだけれど、とりわけて何かあるわけではない。ニューヨークやカリフォルニアに比べればものすごく小さいし、都会という感じではない。でも僕にとっては居心地のいい街であり、里帰りみたいなものなのだ。泊まる家もあるし(ここが一番おおきいかも)。

この時も高校時代の親善大使として訪れて以降、留学中にお世話になった神父さんの家に滞在しながら、母校を訪れたり、州議会で議員の方々と面会したりしながら、帰国までの余暇を過ごしていた。

平穏に潜むスレ違い

そんな平穏に終わるかに見えたこの時の後半にちょっとしたハプニングがやってきた。それは本当に何でもないある日のこと、朝出かける際に、牧師Rから帰宅時間をきかれた。どうやら路線バスのある大通りまで迎えにきてくれるとのこと。Rの家は中心地か3kmくらい離れた丘のうえではあったが、歩いて十分に戻れる距離なので迎えはいらない、と断ったのだけれど、来るといってきかなかった。結局夕刻の8時頃に市庁舎前に迎えに来てくれるということで落ち着いた。

そして夕刻。約束の時間ギリギリに市庁舎前に着いた時に彼の青い車が見えたので、手を降って近づいていったのだが、向こうはそれに気づかず走り去っていった。とりあえず携帯に電話してみるも繋がらない(携帯は持っているが彼は80歳を超えていて遠出など特別な用があるとき以外携帯していないのだった。)ので、彼がもう一度戻ってくるだろうという考えと、こういうときは動かない方が良いと思い待ってみた。すると今度は対抗車線に彼の車がみえたのでまた手を振ったがこちらを見ておらず、またそのまま走り去った。

今度は彼の家に電話をかけると奥さんが出たのでRがもし帰ってきたら僕は一人で帰れるから大丈夫だと伝えるようぬ言ったが、どうも伝わっていない。その当時は気付かなかったのだが、今思うとこの当時には彼の妻Bの認知症が結構進行していたようだった。

遂にパトカーに。乗り心地はいかに?

家に帰ることは造作もないことだけれどRはまだ僕を探しているようだし、どうしたものかと、その場で30分ほどたたずんでいると1台のパトカーが10m程先の路肩に停車した。交通違反でも取り締まりに来たのかな、と思っていると白人警官が一人降りてきてこちらに向かってくる。そして、

警察官「道に迷っているのか?」

僕「いや、僕は迷っていない、でももしかしたら知人が迷ってるかも。彼はこの街の住人なんだけどな」

この時点で僕はただ職質をうけていると思っていたので、何か自分が不審者と見られているんだと思った。最近の警官による黒人への対処問題が大きくクローズアップされる以前ではあったが、この当時の僕にしても映画等の影響からか、米国の警察官に目をつけられるということは何かしらの嫌な予感がしていた。すると警察官が続けた。

警察官「君が滞在しているのはRの家じゃないのか?」

これには驚いた。何故そんなことを一警察官がしっているんだ?やっぱり僕は要注意人物としてマークされているんだろうか?でも思い当たる節を考えてみるがもちろん無い。とりあえず、

僕「そうですよ。まさにそう。なんで知ってるの」

すると警察官は無線で

警察官「I got him! 確保しました。」

本当は保護しましたと訳すべきなのだが、後にRもこのことに触れ、言い方といい表現といいネイティブがきいても犯人確保といった感じだった。

警察官「君の友人が警察署に駆け込んで来たんだ。日本人の友人が戻って来ない。どこかで迷ってるかもしれないって」

僕「捜索願い出したってこと?彼と連絡とれるの?可能だったらちゃんと帰れるから心配ないからと言っておいて」

警察官「いや、俺が送っていくから後ろに乗りな」

えっパトカーに?日本も含めて人生初なんですけど!まぁ悪いことしたわけではないからいいけど。というか興味津々。皆さんも日本はじめ、ましてや海外でパトカーに乗ったことがある人はそうはいないと思う。

僕が乗ったのはセダンのスポーツタイプ。とりあえず後部座席に乗り込んだのだが、その瞬間”ゴツン!”結構勢いおく頭を何かにけぶつけた。

見ると後部座席は透明な(多分防弾)パネルで仕切られていた。さすが米国

そして次に驚いたのは座席。座席にはシートなど一切無く、座席型をした鉄がむき出しになっていた。そしてドアノブはなく内側からはドアや窓を開けれないようになっていた。

初物づくしに気をとられているうちにパトカーは発進。ほんと護送されてる気分。走り出してしばらくすると前の席でレッドソックスの試合が流れているのに気づいたので

僕「今日レッドソックス試合やってるの」

警察官「あー、フェンウェイだ。聴くか?」

僕「お願いします。」

そういうと後部座席のスピーカーをonにしてくれた。これはある種のVIP待遇なんだろうか(笑)。約15分間野球中継をBGMに世間話をしながらのパトカードライブが続いた。

そして家の近辺にやって来ると

警察官「どれがRの家だ?」

僕「1ブロック先に見える白いやつ」

警察官「あれか?」

そういいながらパトカーのサーチライトで照らした。待ち合わせの午後8時はサマータイムということもありまだ明るかったが、それから1時間半、気づけば辺りは闇に包まれていた。パトカーのサーチライトは車内からでも輝度が段違いに明るかった。そりゃ、あれで照らされたら犯人は怯むわ。

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護送されたパトカーとほぼ同じ車種

牧師のRは家に戻っており、警官にお礼を言って僕を出迎えてくれた。

R「無事でよかった」

僕「無事に決まってるだろ。ここは庭みたいなものだし。警察官来たときには正直焦ったわ。まぁでもパトカーに乗せてもらえたのはいい経験だった。」

R「お前を見つけた時の警察の言いぐさは逮捕した、って感じだったな(笑)」なんて話をして、翌日お騒がせしたお詫びとお礼をかねて手土産を喪って警察署に行くと、所長さんがやって来て僕の小学生時代の訪問からのよもやま話をした。今思うと縁ってあるのかな。よくよく思い出してみると小学生の時に初めて訪れた時にもこの警察署に来て、留置場体験していたのだ。そして今度はパトカーで護送。はたして次はなんだろうか。悪いことでないことを祈るばかりだ。

To be continued.