毒親とカバートアグレッションと承認欲求

カバートアグレッション

こんにちは。おやつです。

 

家事でも勉強でも仕事でも趣味でも、何でも構わないのですが、

みなさんは自分のしている事を褒められたらうれしく感じますか?

私はうれしく感じます。

ですが…

誰かに褒めて貰いたい事が目的では決してありません。

自分がした事により、その結果として、

誰かが感謝してくれたとか、よろこんでくれると言うコトは

『副産物』として捉えています。

このブログも自分ノートの延長として書き始めたのですが、

せっかくなのでブログにして人目に晒して、

シェアした所でレスポンスが当然無いコトをわかっている上で、

もし読んでくれた誰かに気付きや何かを感じ取ってもらえたら、

それはそれでうれしい事だと思い書いています。

 

承認欲求は薬にも猛毒にもなる

それが目的になってしまうのは危ない

誰かに認められたい

誰かに褒められたい

そのコト自体が悪いとは決して思いません。

あくまでもポジティブにのみ作用するならの話です。

ですが、それが目的となってしまったり

その欲求が大き過ぎたりすると、

本来の持つべき自分軸を持った考え方や、

結果ばかりが気になって、その過程や経験途中に得られる事が、

身に付きづらいなどの弊害が起きやすいのも事実です。

 

  

子供は何でかまってもらいたがるのか

自分が子供の時を思い出すと、

親に注目されたがったり、褒めて貰いたがったりと、

見て見て、聞いて聞いてといろいろアプローチしていました。

それこそ承認欲求を満たす為の行動なのです。

『今日学校で先生に工作ほめられた』

『徒競走で一番になったスゴイでしょ』

子供ですので今にして思えばたわいもない内容です。

ですが子供にしてみたら

自分のした事が、がんばったと思える事を

信頼している大人に認めて貰えたと言う事実が

『自尊心』や『自己肯定感』と言ったモノを高めてくれる、作業にあたるのです。

認めてもらえたと感じ取った結果、子供なりの受け止め方で、

『じゃあ次はもっとスゴイ結果を出して褒めてもらいたいから頑張ろう』

『褒めてもらえたし親もよろこんでくれてうれしい』など、

ポジティブな方へベクトルが向いて行きます。

だからと言って子供ですので、何でもかんでも褒めればイイと言うワケにも行きません。

認めてあげられるモノは認め、注意すべきモノは注意しないと、

褒めてもらえる事が当たり前の様な、勘違いを産む事にも成り兼ねません。

ちなみに台湾では『公主病』と呼ばれるモノがあり、

病とは付いてますが病気では無くスラング的な言葉なのですが、

私を褒めて当たり前、私のために尽くして当たり前、

と言った様な、飛んだ勘違いをしている人を揶揄する意味で使われます。

日本語で言う所の『お姫様病』になりますね。

 

  

子供時代に得られるべき欲求が満たされないと

親に認めて貰いつつも、叱られたり、反抗期なども一通り経験したりして、

承認欲求や自尊心や自己肯定感が安定して育って大人になった場合、

社会に出て様々に遭遇する試練やトラブルやストレスなどを、

事実の全体像を見て解決しようと考えます。

感情は当然あるのですが、客観的に見ると言うコトです。

ですが、毒親の悪い影響などを受けて育ってきた人の中には、

自分を責めてしまったり、感情的になったり、

言いくるめられたりなどするケースもありますし、

出来事を客観視する事が、なかなか難しい人が多いです。

その結果自信を無くしてしまったり、物事をあきらめやすくなったり、

辛い方になってしまうと、自分の存在意義などに疑問を感じてしまう人もいるぐらいです。

詳しくは心理学のマズローの五大欲求ですとか、

その辺りの文献に小難しく書いてはありますが、ココではしません。

とにかく幼少期に満たされるべき欲求を親の自分勝手な都合により経験出来なかった、

その影響が大人になってから大きく出てしまうケースが多いのです。

決してそう感じてしまっている本人に落ち度があるワケでは一切無いのです。

 

  

承認欲求の異常な肥大化

毒親育ちの方の自尊心や自己肯定感と言ったモノが健全になり辛い一方、

多くの毒親やカバートアグレッションと言った人たちが、

コレにあたります。

承認欲求のおばけと言っても差し支え無いと私は思っています。

モラハラ気質の人なんて特にそうだと思います。

レベルに個人差はありますが、自分中心に世界が回っていると思っている人達です。

自分を神の様に絶対的な存在として奉って欲しい欲求がにじみ出ています。

ジャイアニズムってやつですね。

毒親やカバートアグレッションになった理由が、もし自分スタートでなくとも、

許される事とそうで無い事が当然ですがあります。

こういう人が身近にいると周りは本当に迷惑に感じますし、

実際不要なトラブルの発生頻度も急上昇します。

そしてそれにより傷つきやすく、ターゲットにもされやすいのが、

毒親育ちの方たちです。

本当に迷惑な話ですが、コレにも理由があるのです。

彼らは都合通りに物事を操作したり、自身の欲求を満たしたり、

その為に動いたり聞いたりしてくれる人を欲します。

要はかんたんに言う事を聞いてくれそうな人がイイと言うコトです。

コレを交わしたり、上手いこと誘われないオーラを出したり、

定型発達と言われる人であれば、危険を感じ取れれば、

なんとかスルーする術を考えたり、回避を試みたり出来るのですが、

毒親育ちの方の中には

『必要とされている』

と言った勘違いを誘発させられたり、純粋な優しい気持ちを利用され、

被害にあってしまうケースもあります。

彼らは人の心の弱みに付け込む能力に非常に長けているのです。

 

  

極端な話、無くたってイイんです。

承認欲求がある事により、ヤル気の向上などのポジティブ面に作用するよりも、

おかしな事に巻き込まれやすかったり、

必要以上に悲しんでしまう事があると言うのであれば、

無くたってイイと思っています。

褒められたり認められれば、それは誰だってうれしいと思います。

ですが冒頭にも書いた通りに、

誰かに褒めて貰ったり、認めさせると言った行為を、

それが例え家族とは言え、ある意味他人に依存的に求めてしまうよりも、

自分の為に、自分で考え、自分で行動し、自分で自分を評価し認めた方が、

物事を客観的に捉える事も出来やすいですし、

いろいろと面倒な社会を生き抜く為の経験値になってくれます。

その副産物として、もし誰かが認めてくれたと言うならば、

それはそれとして感謝すればいい話だと、本当に強く思います。

人の為では無く、自分の為であって、その結果誰かがと言う話です。

そうで無いと、もし認めて欲しいと思える相手がいなかった場合、

モチベーションに出来る存在が無くなってしまうと言うコトになってしまうので、

承認欲求の存在自体が非常に危険な存在に成り兼ねないと言うコトになります。

 

 

今回も最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

毒親やカバートアグレッションなどに悩まされている方の

一日も早い解放を応援しています。

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