沖縄のおばちゃんから託された物 | 黒人夫とのアメリカ生活30年

黒人夫とのアメリカ生活30年

黒人夫との約30年のアメリカ生活で体験した、黒人差別問題など、ありのまま綴っていきたいと思います。より良い未来を願って⭐️


去年の夏、子供達と一緒に、沖縄に住んでいる妹と両親を訪ねた時、両親は留守中の80代のクリスチャンの友人の、大きな一軒家に泊まっており、私達も何泊かしたのだが、最後の何泊かは彼女が帰ってきて、色んなお話を聞かせてくれた。

沖縄で生まれ育ち、ずっと教師勤めをしていた彼女だが、昔の戦後の沖縄では、貧しくて靴もはかずに学校に通ってた話、進駐軍の様子、混血児が、いかに差別されていたかなど、私が今まで聞いたことがない、悲惨な事実を話してくれた。(黒人との子供を持つ私に、よくそんな話するなーとは思ったが)

そう言えば、娘が、東京や北海道以上に、沖縄では、特に年配の人達から、街中でジロジロ見られて、凄く嫌だったと言ってたが、こういう歴史的な事が、何が関係しているのかは、定かではない。


いつもニコニコ人柄のいい彼女が、そんな悲惨な経験をしてきたなんて、普段生活する上では想像もつかない。

私が、余りにも真剣に、興味を持って、ずっと話を聞いていることに、彼女は喜び、

「沖縄には、皆んな観光に来て帰って行くけど、こういう歴史的な話も、皆んなに知ってほしい」

と言っていた。

そして、是非、ロサンゼルスの皆さんに伝えてほしいと、沖縄友の会によって20年前に作られた、平和の紙芝居が書いてある、葉書セットを託された。

************************



珊瑚礁の青い海と、太陽が照り輝く青い空気美しい平和の島”沖縄”


琉球王国時代に薩摩から攻められ、苦しい時期に甘藷が沖縄の人々を救いました。


第二次世界大戦、かつてない地上戦ですべて壊され、一面焼け野原となりました。


大勢の人々が亡くなりました。老人、子供、女性まで巻き込んだ悲しい戦争でした。


アメリカ軍の施政権下に置かれ、道路や学校がつくられるようになり、カンカラ三線で傷ついた心が慰めました。


女性達はいち早く元気になり、市場は大勢の人たちで賑やかになりました。


今から60年くらい前までは、芋と豆腐、そしてスクガラス(小魚)に海藻、太陽の恵みを受けた野菜との取り合せが良く、長寿者の多い県になりました。


“生年祝い”
12年ごとにお祝いします。子供を大事にし、お年寄りを援う心がを大切に受け継いでいます。


“清明祭”
家族を大切にする心は生きている時だけでなく、ご先祖を祭る行事となっています。


“日本復帰”
27年間統治され1972年に返還さらる。しかし、今なおアメリカ軍の基地が多く残っています。


“平和の礎”
戦後50年犠牲者の名前を刻んで平和を願う記念碑として、摩文仁ヶ丘に建てられました。


沖縄の人々はどんな時にも共に支え、共に喜び、心豊かに生きてきました。

********************

沖縄の人達は、とても人がよく、いつもニコニコしているイメージだが、その背後には、辛い過去を一緒に乗り越えてきたという、強い絆と強さがあるように感じる。

沖縄のおばちゃんの平和への想いと願いが、皆んなに届きますよーに🙏





↓YouTube チャンネル↓







ロス在住ブロガー情報

  PVアクセスランキング にほんブログ村


ハーフの育児ランキング