発作的に「退職願」は書いたものの、これを何時提出したらいいかなかなかタイミングが掴みにくい。
法律的には2週間前までとか、1か月間前とか、出来れば3か月間前とかいう情報もある。
私の理想は9月5日で退職することだが、だとすれば3か月前の6月上旬に同日付けの退職願を出せば、どんな基準をもってしても十分なはずである。
今すぐに出してもかまわないはずだが、なぜそれをしないかと言えば、それは堪忍袋の緒が切れて、「2週間後に辞めます」という状況にも対応できるようにしておきたい・・と潜在裡に計算しているからだろう。
今週(4月第2週)も陰鬱な週であった。
単に心が鬱だけではなく、体調も悪かった。
月曜日こそ仕事に行ったのだが、火曜日、水曜日は発熱(原因不明)のため電話で年休を取った。
前の職場であれば無理を押して仕事に行った程度の熱(最高で38.3度)であるが、ワニがいる職場には、無理を押してまで行く気にはとてもならない。
週の後半はこれも謎の肩の痛みと、更に左膝と右足首にも痛みを感じる。
さすがに3日連続で電話で休を告げるのも気がひけるので、多少の痛みは我慢して木曜日出勤した。
ワニの上司N氏の反応は、ぞくぞくするほど私のN氏爬虫類説を裏付けるものであった。
通常同僚が体の不調を訴えて2日間休んだ後出勤した場合に、99、99%の人間が掛けるであろう「大丈夫ですか?」の一声もない。
「ああ、退職願が一層出しやすくなった!」と思う。
しかし、まだ最適のタイミングではない・・というか、やっぱり退職の意思表明は、思った以上に勇気がいることだと思った。
まるで犯罪者が「白状」するに至る心理的過程に近いであろうものを感じる。
「退職代行業」が繁盛している(?)はずだ。
◎読書:エマニュエル・ボーヴ『のけ者』
このところの心穏やかならぬ状況で、読書はしばらくご無沙汰だった。
「雑学」程度の本であれば読めたかもしれないが、純文学に関しては、そうした精神状態では読解は無理がある。
やっと「読書」できるほどには、闇から脱したらしい。
やっと「読書」できるほどには、闇から脱したらしい。
作者は両大戦間のフランスで活躍後、長い間忘れ去られていたものの、1970年代に<復活>再評価が始まったと言われる。
物語は、夫を無くしすっかり零落したアフタリオン夫人と、その息子二コラのどうしようもなく向上心がない親子のどうしようもない物語である。
勤勉な日本人であれば、「じゃ、働けば」と言いたくなる場面の連続である。
国の如何を問わずこうした類型の人間が、普遍的にいることを何となく感じさせる小説である。