一昨日、和歌山県串本町にある南紀熊野ジオパークから環成経ビジネスフォーラムを開催した。
このジオパークは本州最南端の潮岬の近くに位置し、眼下に太平洋を見渡すことが出来る場所にある。壮大な太平洋の水平線は地球を直で感じることが出来る。
開催は、今どきのスタイルでオンラインであるが、主催者でありファシリティターとしての参加の私と、スピーカーのお一人、株式会社アイキューブの代表取締役坂本直哉さんとこのジオパークから現地参加した。
もともとは、私もスピーカーの皆さん全員、この南紀にオンサイトで集合を計画していたが世間の事情に従いオンラインを主体の開催となった。
坂本さんは串本町古座にお住まいだ。都会から移住された。私は古座川流域に来たの初めてだが、そもそも串本で滞在したのも一昨日が初めてだった。
私は徳島出身で、和歌山は紀伊水道を挟んで対岸になる。子供のころから晴れた日は、私の故郷の小松海岸から和歌山は良く見えていた。馴染みの深い場所ではあるが、訪問する機会は今まではほとんどなかった。
関西圏ではあるが、意外と遠い。
実際、神戸から最速でも電車で約4時間ぐらい。単純に言うと東京へ行くよりも遠い。
実際に、串本あたりから大阪や東京に出るのは一苦労だ。感覚的には近くにありながら
遠い地方の町といったところだ。
宿泊は、坂本さん推薦の“NIPPONIA HOTEL 串本 熊野海道”に体験宿泊した。
古民家を改装したこの宿は、なかなかなゴージャスであった。
今どきのワーケーションには最適だ。
近くの海岸沿いになかなか良い食事処を見つけた。
やはり、こういう場所での食事は地産地消の味と郷土の料理の楽しみがある。
お店のおかみさんとの会話も自然と弾む。
改めて、環成経とは何か?を説明したいと思う。
会宝産業株式会社の近藤典彦会長が提唱されているビジネスの在り方で、近藤典彦さんは以下のように定義している。
「美しい地球を次世代に引き継ぐことが現代社会を生きる私たちの使命である」という信念のもと、地球環境を守りながらビジネスとして成長を続け、経済的な価値をもたらすことで持続可能な社会の発展に寄与するビジネスを、「環境」と「成長」と「経済」の頭文字をとった『環成経』ビジネスと提唱しました。
環境問題は難解で複雑だ。部分的な問題でもあるが、結局は地球全体の問題であり、部分だけ解決できたとしてもイタチゴッコになってしまい、本質的な解決にはなかなか到達しない。全体的なバランスを持ちながら、地球全体の調和を保ちながら地球を健全な姿に戻すのは容易ではない。
一つは、今の経済のメカニズムを改革することが急務である。
その実現のためには、志や問題意識のある有志達がつながり結集する必要がある。
そんなことも目指して、昨年の6月に発足した。
コロナ前にオンサイトのビジネスフォーラムを3回開催した。
初回は、昨年の8月に第1回環成経済ビジネスフォーラムを近藤典彦氏のおひざ元金沢で開催した。
ベトナムからのゲストも交えて、とても新鮮で斬新なセミナーと交流会となった。
新興国も日本も環境に対する意識は高く、共生で環境ビジネスの発展を考えることが共有出来た意義は大きかった。
この時の様子は、地元の北國新聞にも掲載されとても反響があった。
2回目は、私の故郷徳島で開催。
3回目は、ベトナム南部の最大都市カントーで開催した。
その後回を重ねて、今回が第7回目だ。
このビジネスフォーラムは日本だけでなく世界を舞台に活動していく一環である。
コロナ禍になってからは、昨日で4回目のオンライン開催である。
まだ、立ち上がったばかりだが、参加者の活動意欲や問題意識は高く、すでに幾つものプロジェクトやビジネスが動き出しつつある。
古座には、ビジネスパートナーの坂本さんとの縁で訪れた。
午前中に古座川流域を案内していただいた。古座川そのものの魅力も語りつくせないが、山間の農村で、食用バラを栽培するアグリビジネスに取り組む皆さんを訪問させていただいた。
また、別の機会で紹介したいと思うが、オンリーワンを目指す志と想いは本当に感心した。これぞ地域創生の先進的なモデルになりえると確信した。
坂本さんは、山林を所有し林業を主体として地域活性化、地域再生の包括的な新規ビジネスを視野に入れている。
先日もブログで紹介したが、自然産業研究所のテーマとしても林業は大きく関りがある。
この和歌山の山林地帯は飛行機から見ると壮観だ。今年の3月、羽田から白浜へフライトした際に、和歌山の森林資源の豊かさに驚いたことも私にとって大きな発見であった。
地方と世界をつなぐ。私にとって近いようで遠かった和歌山がますます私にとっても注目の地方になってきた。
日本の豊かな自然の中で環境問題を考え、多様な地方の活性化の礎となるような取り組みにトライしようと思う。
そしてその取り組みのノウハウや仕組みが、新興国などにつながることによって、日本が世界に貢献できると強く確信した。
短いが非常に価値のある今回の旅であった。
以上