【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#03】瞑想センターから追い出された修行者

2020年9月2日水曜日

修行者列伝

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このシリーズでは、各地の瞑想センターで実際に出会った特筆すべき修行者たちを紹介しています。一人一人の修行者から学ばせていただいたことも多くあり、敬意をもってここに綴らせていただきます。



比丘B タイ 30代 男性 


 比丘Bはキャリア18年のタイ人比丘で、2005年にC瞑想センターにやって来て以来、外人修行者の中では一番長いキャリアの持ち主として、宿舎の中では牢名主のようにトップの座に君臨していた。

 「彼はお布施慣れしてるねえ」元禅宗の雲水だったある日本人修行者はBを見て、呆れてなのか、感心してなのかわからないがそのように言った。

 普通は坊さんと言えども信者さんから何か寄付を貰ったりする時は、戒律で禁じられてはいるものの「いやー悪いっすねー、いつもいただいてばっかりで」と少しは恐縮するものだ。

 なのにBはそんな気配など微塵も感じさせずに堂々と受け取り、いつもそれを「さあ遠慮なくやってくれよ」と他の修行者たちに振る舞っていたからだ。

 だが、それもその筈Bは子供の頃からずっと坊さんでいるため、働いた事など一度もない。Bにとってはお布施で生活する事が当然の決まりきった事になっている。我々一般人とはちょっと違った感覚を持っているのだ。

 「パーリ語検定三段」の資格を持ち、信者さんたちからは長老やら先生やらと尊敬されまくり、言わばふんぞり返って生きてきた。道を歩けば人々はBのために道を開けてくれるという。だからBの行く先々にはいつも花道が出来る。

 そのような境遇でずっと幼い頃から生きてきた。そんなBであったから、礼儀知らずの新米比丘にぞんざいな態度をとられた日には、思わずキレてしまわない訳がなかったのだ。

老けた新米比丘 


 2008年の始め、C瞑想センターに於いて、60代のイギリス人男性が得度して新米比丘となった。実はこの人物は前年もCセンターを訪れ、3か月程修行し、帰国している。Bや私とはこれが再会であった。

 去年は一般人のまま修行していたが、今年は比丘になるなんて気合いが入っていると思ったものの、同時にまた心配もあった。と、いうもの前回彼は、座る瞑想の時、足を組んで座れなかったからだ。ちょっと座っては苦痛に顔を歪めて立ち上がり、またちょっと座っては歩く瞑想に切り替える、そんな感じで3か月を過ごしていた。




 「そんな事で果たして比丘としてちゃんとやっていけるのだろうか?」だが、我々のそんな心配をよそにこのイギリス人はやたら態度がデカかった

 何故なら再会した次の瞬間ギロリと睨みを利かせて「何をやっているんだ!話をするな!集中を切らすな!」と我々の事をどやしつけたからだ。


 あまりの事に驚くB。


 Bだけではない。その場に居合わせた私と数人の修行者たちが、唖然として一斉にイギリス人比丘の方を見た。すると一層凄い形相で周囲を睨みつけ、更に「ダベるな!みんな黙って修行しろ!」と狂ったように喚き散らした。

 「何だコイツ?」誰もがそう思った。「アイツこの一年の間に頭がおかしくなったんじゃないか?」そしてその後、みんなでそう囁き合ったのだった。


みんなを仕切る新米比丘 


 そんな事があった次の日、いつものように朝食後、5〜6人いた外人の男性修行者みんなで瞑想ホールを掃除している時だった。「話ながらするな!やってる事をちゃんと確認しながらやるんだ!」と、またイギリス人比丘がやって来てみんなの事をどやしつけるではないか。

 そして「オマエは窓をやれ」「オマエはトイレをやれ」とアレコレ仕切り始めた。

 「何だアイツ?偉そうに指導者みたいなことをして・・・」立場がなくなってしまったのはBだった。昨日までの牢名主の座を、こんな新米比丘に奪われてしまったのだから。

 「やっぱりアイツ頭おかしいよ」苦笑いしながらその場を去ったB。その気持ちは痛いほど判った。一方の私はこの時、イギリス人にどやしつけられながら床をしっかり2回拭きさせられてしまった。もの凄い攻撃性に圧倒されながら。

 それにしてもイギリス人のこの豹変ぶりというのは何なのか?と言うのも彼は去年までは大人しい紳士的な人だったからだ。

 一体彼の身に何が起こったのか?この一年の間に何があったと言うのか?あまりの事に瞑想しながらもついついそういう事ばかり考えてしまう。

 「あんなに攻撃的なのって、まるでマハーシ式の指導者そのままだな・・・」そして、そこまで考えた瞬間にフト気がついた。

「はっ!もしかしてこの豹変ぶりは・・・さ、悟ったのか・・・」

 イギリス人比丘は悟っている。預流果に達している。そして、それしか考えられなくなってしまった。


イギリス人比丘の正体 


 と言うのもイギリス人比丘は、去年修行していた時は足が痛くて全然座っていられなかったからだ。何故ならマハーシ式は足の痛い者勝ちの方法だ。足が痛ければ痛いほどジャーナ(禅定)に入りやすくなるもの。だから彼は恐らく去年の3か月のうちにジャーナ入りし、それから帰国して地元で修行を完成させてからまたミャンマーに戻って来たのではないか?

 「間違いない、この豹変ぶりはそれしか考えられない」直ぐイギリス人比丘の態度からそれを確信した。

 そしてBに言った。「おい!あのイギリス人は預流者だぞ!ソータパンニャだ!指導者だぞ!悟ってんだ!指導に従った方がいいぞ」だがBはそんな事は信じられない。

 「まさか?何言ってんだよ!あんなの悟ってるわけないじゃないか!頭がおかしくなってんだよ!狂ったんだよ!」そう言って私の忠告を笑い飛ばした。そして「オマエ何言ってんだよ!ソータパンニャってのはな・・」と、逆に私に忠告しようとした。

 その時「コラッ!話をするなと言ってるだろうが!瞑想しろっ!」と、またイギリス人比丘が現れ、我々をどやしつけた。見る見る顔の表情が変わるB。

 パーリ語三段でキャリア20年近い長老が、昨日比丘になったばかりの新米にどやしつけられなければならない、これまではなんとか耐えていたがBだったが、その理不尽さにとうとう堪忍袋の緒が切れた。




「何でオメーが言うんだよ!!」(怒)


印籠を出されたB 


 そのイギリス人がまさに本物のソータパンニャである事が判明したのはその後だった。

 Bはそのトラブルの後、Cセンターの管長から「指導者に逆らった」という理由で、瞑想センターからの退去を命じられてしまったのだ。

 私の勘は正しかった。イギリス人比丘はやはり去年たったの3か月でジャーナを完成させ、それから1年間自宅で修行して涅槃を達成し、管長からの要請でアメリカのイリノイ支部へ赴任する事が決まり、そのために比丘になったばかりの新指導者だったのだ。

 僧院生活の事は何でも熟知していたBだったが、このようなイレギュラーなケースは想定外の事であり、部屋の片づけをしながらも、まだ自分の身に起こった事が信じられない。







 端から見ていてもこれはドラマになるような出来事であった。なにしろオチがそのまま水戸黄門なのだから。Bはすっかり悪代官の役を演じてしまった。別に何も悪い事はしていないが。水戸黄門の方もドラマの中ではあんなに攻撃的ではないが。

 だから悪代官だと思っていたのが実は水戸黄門で、善良な市民みたいな人が悪代官にされてしまったようなものだ。

「変な水戸黄門」

 しかし集中没頭型瞑想の指導者というのは、エネルギッシュになって凄い迫力を出すから怖い。攻撃的で周囲の人を振り回して、マインドフルネスの指導者とは全然違う態度で指導する。

 このように瞑想の世界は悟った者勝ちで、キャリアも学問の有無もまるで関係ない。また、直ぐジャーナに入る奴は入るし、10年、20年、30年の修行を要する者もいる。その悟りもいつ来るか判らないし、誰に来るかも判らない

 だから僧院では修行者はどんな人物と会っても、絶対にナメた態度をとってはならない。瞑想センターとは、何が起ってもおかしくない所なのだから。

 10歳で出家したBは、僧院生活通算28年目にして初めてそういう事を学んだ。だがそれでもやはりあのイギリス人が悟っているとは、どうしても信じられないBであった。

 

タイ仏教パイサーン師説法
https://note.com/urasakimasayo/n/n32b933d9a659

タイ仏教スティサート師説法
https://note.com/urasakimasayo/n/na0bf8e1603d4

イラスト出典(水戸黄門)
https://kohacu.com/20200624post-29995/




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  最終更新日 2023.12.31

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