子供だった頃【1】言葉に気をつけよう… | ノラとハナウタ

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自分の最強の味方は自分じゃない?
色トリドリの自分を楽しんで行こう!

私が生まれて初めて『言葉』を意識したのは幼稚園の年長さんの時だったと思う。

 

幼稚園バスでの送迎なのだけど、帰りのバスに乗ろうとした時に2階の教室から先生が手を振っているのが見えた。

私はただ単純に嬉しくて、大きく手を振って、
「せんせーい、さよーならー!」
と言った。
先生が気づいてくれてにっこり。

ここで調子乗りの私は、
「先生、おねしょしないようにねー!また明日ー!」
と言い、満足してバスに乗ったわけだけど、翌朝おねしょで目覚めたのは自分だった。
 

ものすごくびっくりして、
(先生に注意をしておいて自分がおねしょするなんて…)
と心底絶望し、言葉には気をつけようと思った。
 

今にして思えばおねしょはしょっちゅうしていたのだけど(←シレッといってるけどお布団乾かなくて親御さんは大変ですよね…)、
『人に注意しておいて自分が』
というのが申し訳ない気持ちでいっぱいで、もう2度と自分が出来てもいない事を人に注意すまいと心に決めたのが4歳の頃(遠い目)
 

このいちいち大袈裟(←非HSPさんから言われがち)なところがHSCっぽいところかもしれない。

じゃあすごく配慮できる子供だったかといえば全然逆で、何かに集中している時は無神経で無頓着で無邪気。
特に楽しいことに集中している時はアホウのように浮かれていた。
あぁ、楽しい、あぁキレイ、すごいすごい!って。
 

ただ、不思議と『楽しい!と思った一番古い記憶は?』と自分に尋ねると、ぜーんぜん出て来なかったりする。
 

ショックとか、自責の部分での記憶力は抜群だと思う。
自分の記憶を辿る時、ビックリした事、悲しい事は鮮明に思い出せる。
それを話すと、『いつまでも執念深い』とか、『そんな昔の事を大袈裟に!』などと怒られるので人には言わないのだけど、HSC、HSPの場合、
『楽しい嬉しいなどをプラスの感情』
とし、
『ショック、悲しいなどをマイナスの感情』
と表現した場合、ダントツでマイナスの感情を心に保管する方が多い気がするのだけど。皆さんはどうかな?
それが『トラウマ』と呼ばれたりするものの一角というか。
 

この『トラウマ』というのも、偏った情報として
『暗くて重くて手放せない人が多くて、被害者ぶっていつまで言う人っているよねー』
って言われてしまって余計に傷を深くしている人もたくさんいると思う。
 

今、ちょうどトラウマについての勉強をしているのだけどすごく腑に落ちるし、ポジティブじゃなきゃダメだと見ないふりをする必要などないんだなと思えた。
覚えていていいんだって!ホッとするよね。
 

自分の中で起きたショックな事がまた起きても、
『次はちょっとはマシだよ、ここに覚えておくからね』、
『次はないよ、大丈夫だよ、ちゃんとここにあるよ』
って、時々、星の様にチカチカと光って教えてくれているだけで、決して
『思い出せよ、ほら!』
と自分を脅かしているわけではない。
 

トラウマは『自分を守るための優しいお守り』なのかもしれないね。
トラウマありがとう!とまで思えなくても、時々触れて、大丈夫…って確認するのもいいなと思う。
 

おねしょの話しからまたしても壮大に広がってしまったけど、悲しい記憶、ショックな記憶が多かったとしても、それがどーした、いいじゃないの。
まだ持っている必要がある…と思うならまだお守りを返すには早いだけ。
 

全ては、自分で決めていい。

 

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明るいだけの空がないのと同じ事!

 


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