こんにちは。

 

 

昨日は75回目の広島原爆記念日だっ

た。

 

 

1945年、8月6日、午前8時15分。米軍

のB29、エノラ・ゲイは広島に原子爆

弾を投下した。

 

 

広島市街は壊滅し14万の人が犠性に

なった。いくらアメリカが否定しようとも

非戦闘住民を大量虐殺した歴史として

未来永劫に記憶されることは間違い

ない。

 

 

アメリカは8月9日に長崎にも原爆を投

下し住民の命を奪っている。

その後核戦争は起こっていないが指

導者の考え方しだいでは起こりえな

いとは言えないのが怖い。

 

 

戦後75年当時を知る人は減り続けて

いる。平均年齢は81,3歳だという。

記憶は年とともに薄れて行く。語り部

も減ってゆく。

 

 

日本は唯一の被ばく国としてもっと核

について発言してもいいと思うのだが

、敗戦国の負い目か、大国の傘の下

に入っている配慮か、核兵器禁止条

約すら批准してない状態だ。

 

 

ここで核兵器禁止をうんぬんするつも

りはない。ただ、75年前我々の先祖が

悲惨な目にあって戦争が終結したとい

うことを忘れないでおこうと思う。

 

 

わたしは、終戦当時5歳。田舎住まいの

ため、幸いにして戦火の影響は受けな

かった。

 

 

戦後になり、もちろん日本を擁護する声

はなく、教育もGHQの影響下で受けた

世代だ。

 

 

原爆記念日が来るたびに思い出す写真

がある。

これからもその日がくるたびに思いだす

ことだろう。

 

 

「焼き場に立つ少年」

(原題は、「焼き場にて長崎 1945年」)

 

撮影者、米軍の従軍カメラマン、ジョー・

オダネル氏はこの写真を下記のように

表現したという。

 

 

「炎を食い入るように見つめる少年の唇

に血がにじんでいる」

 

 

「少年があまりきつくかみ締めているため、

血は流れることもなくただ少年の下唇に

赤くにじんでいました」

 

 

 

いわれもなく理不尽な目にあった人たち。

無念の思いを慰めるには、やはり歌しかな

いと思う。

 

 

「ラクリモサ」モーツアルトの絶筆です。

 

 

 

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