コスモス

 

 

こんにちは。

 

 

ドイツ歌曲が好きである。歌っていると

いってもたった2曲だけなのだが。

 

 

2015年にソロで歌った

An die Musik

2016,2019年にソロで歌った

セレナーデ

いずれもシューベルトの名曲である。

 

 

An die Musikは私の属する洋光台混声合

唱団の愛唱歌でもある。

1番はドイツ語で斉唱、2番は日本語の

混声4部合唱で歌う。

2年に一度の演奏会のたびに歌うので

今年で3回歌っていることになる。

 

 

ドイツ語は大学の第一外国語で履修した

から親しみやすく思っていた。

とんでもない誤解であった。私の歌って

いた歌はローマ字式ドイツ歌曲だったの

だ、笑。

 

 

まあ大学時代のゼミはドイツ法学だった

から会話を習ったわけではない。

法学のドイツ語は専門用語で辞書片手

ですんだ。履修したドイツ語も文法主体

だから。もっともひどく難しくて単位を

取るのに苦労したのだが。

 

 

ドイツ歌曲(クラシック)は古典ドイツ語

だから元々接点なんてなかったのだ。

例えば、derはしゃべり言葉では「デア」、

クラシックでは普通「デル」と読む。

 

 

第九は「デル」。ただ、デアと指導する

先生もいるから混乱する。第九をはじ

める時必ず確認するのはそのためだ。

 

 

そういえば会社時代、ドイツに出張した

ときは、通訳をつける余裕もなくてブロ

ウクンなドイツ語ではまるで通じず英語

での片言会話しかできなかった。

 

 

ドイツ内での飛行機の移動の機内アナ

ウンスとても早いドイツ語で、喋られて

もまるで聞き取れるものではない。鉄道

の表示も日本語併記などないからね。

 

 

ホテルのあるケルンに行くためにはデュ

ッセルドルフから電車に乗るが、間違え

てなんと逆方向のオランダ行の急行に

乗ってしまったのである。

 

 

地図を見るとデュッセルドルフとオラン

ダは隣同士みたいなもの。間違えれば

国境を越えてしまう可能性は十分あっ

たのだが。

 

 

検札で気が付く。その時はすでにオラン

ダ国内にいるという醜態をさらしてしま

った。

 

 

オランダの名も知れない駅に降ろされ

てあたりは真っ暗。ケルン行きの列車

を待つ心細さ、不安はいまでも忘れな

い。

 

 

まだEUが存在しない時代だった。東

西冷戦の只中の西ベルリンにはベル

リンの壁が存在していた。

 

 

 

写真の正面はブランデンブルグ門。前

を横切る壁はいわゆるベルリンの壁で

ある。1961年に建設され1991年に

崩壊した。

 

 

ベルリンの壁は東西冷戦の象徴で

ある。建設の目的は東ベルリン市民

の流出防止だったという。

 

 

壁は私の訪れた時はまだ存在し観光

コースにもなっていた。東ベルリン側

は広場で歩哨所が立っていた。

広場は緩衝地帯、脱走すれば直ちに

銃撃される。

 

 

当時は観光ツアーなら東ベルリンに

入ることもできた。

西側は華やかな大都市西ベルリン、

東側は何年も遅れた田舎都市東ベル

リン。その対比は印象的だった。

 

 

東も見学したが、暮らしぶりが天と地

も違う現実に驚いたものだ。壁崩壊後

の今でも格差はあるという。

 

 

東ベルリンのお土産に切手シートを買

ったがなんと西側発行だった。

さすがに誰にも上げられず未だ手元に

ある(笑)

 

 

ベルリン滞在中、ミュンヘンの飲み屋に

一人で入って言葉も通じぬままみんな

で歌い大騒ぎしたことも良き思い出で

ある。濃厚なビールも旨かった。

 

 

今ではとてもそんな勇気はない。若さ

ゆえの大胆さというか蛮勇だね。

ドイツ人の気質も今とは大違い。当時

のドイツ人は実に気さくだったと思う。

 

 

さて仕事人間にも大きな転機がくる。

2011年大震災の後突然ひどい眩暈

のため仕事ができなくなったのだ。

 

 

メニエールを疑ったが違っていた。結

局診断は高血圧。え!違うだろう

思うがひどくならないので放置状態で

ある。

 

 

座っていて立ち上がると足元がふらつ

く、まっすく歩けない。

耳も難聴ではないが聞き取れないこと

もある。これは年齢のせいかも。

 

 

仕事ができなくなりすることがなくなっ

た。歌を始めたいと思った。

知人に紹介して貰い2013年にみな

とみらい昼どき合唱団に入団した。

歌う分には眩暈は障害ではなくなっ

ていたからである。

 

 

2014年洋光台合唱団入団。2団参

加で歌の幅は飛躍的に広がった。

2015年からソロレッスンも開始し

た。歌への傾斜が半端でなくなって

いった。もはや歌狂いかな、笑。

 

 

そして光陰矢のごとし、今年で7年目

あっという間に過ぎてしまった。

 

 

さて2015年に歌ったドイツ歌曲は実

は「えせ」だった。

ある人に言われた。「日本語でなく原

語で歌えばもっとよかったのに」

これには参った。

 

 

通じてなかった、ドイツ語で歌ったつも

りですけど・・・(泣)

その人はドイツ語に堪能だったので

とてもショックだった。

 

 

先生にお願いして厳しく鍛え直すこと

にした。私の発音は全部アウト。徹底

的に直された。厳しかったなぁ。

 

 

翌年2016年夏のコンサートで懲りも

せずドイツ歌曲にチャレンジした.。シ

ューベルトの「セレナーデ」である。

 

 

この歌、実に難しかった。コンサート

も不完全燃焼だった。

もう一度チャレンジしてみたいと思っ

た。

 

 

2019年に再度チャレンジ。今度は

暗譜で歌うことができたが、まだまだ

不満である。チャンスがあればまた

歌いたいものだ。

 

 

ただ、ドイツ語に苦手意識がなくなっ

たのは大きいかな。

今でも私にとりドイツリ-トは心のふる

さとだ。イタリア語より歌いやすい。

 

 

2013年、14年と連続して第九を歌

った。

2016年、ドイツレクイエムとセレナ

ーデを歌った。

2015,17,19年とAn die Musikを

合唱で歌った。

2019年、セレナーデを再度歌った。

 

 

ドイツ語曲は結構歌っているのだ。

でも今はイタリア歌曲も歌いたいし、

年齢的に数は歌えないのだという現

実がある。

 

 

私には時間がないのだ。今年のコロナ

禍は本当に大迷惑だった。

コロナ休暇のうちに2,3年先の曲も選

曲しておこうと思う。

 

 

10月から待望のソロレッスンが始まる。

レッスン曲はイタリア歌曲2曲を練習す

る予定だ。

 

 

カンツオーネ「マンマ」

ドニゼッテイの”愛の妙薬”から「人知

れぬ涙」

 

 

来年は歌える環境になっているだろうか。

イベントは復活の兆しを見せている。来

年は歌えるものと信じて頑張ろう。

 

 

演奏動画はシューベルトの「セレナーデ」

バリトン歌唱です。原調はテノール。

バリンもしっとりして素敵です。再度歌う

としたらバリトンですね!

 

 

 

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