秋の夜、ひと時のお付き合いを。

 

 

こんにちは。

 

 

滝廉太郎とピアノ曲について

 

 

滝廉太郎の生涯を調べていて思わず

のめり込んでしまった。西洋歌曲を日

本に導入した天才音楽家であることは

誰でも知っている。

 

 

だがあまり知られていないのがピアノ

曲だろうと思う。

たった2曲だけだが残されている。本

当はもっとあったのだろうが焼却され

てしまった可能性がある。

 

 

曲の名前は「メヌエット」と「憾」(うらみ)

である。

もともと東京音楽学校ではピアノの講

師だったというから不思議ではない。

 

 

メヌエットは1900年ドイツ留学の前

に作曲された。いわば彼にとって習

作というべき作品だ。

 

 

ドイツ留学を控えて希望に満ちてい

た時期だったと思う。

歌曲を中心に1900年から1901年

にかけ精力的に作品を発表してい

る。

 

 

このときの歌曲は明るいポップス調

の曲が多かったように思える。Jポッ

プのルーツは元をたどれば滝廉太郎

にあるかもしれない。

 

 

西洋音楽のかけらもない日本の音

楽教育に対し青年や子供たちに夢

を与えたいという気概があったので

はないだろうか。

 

 

正調の荒城の月は作風(旋律)から

して西洋受けのする歌である。

外国で人気があり広く歌われている

というのもうなずける。

 

 

ドイツの人たちが荒城の月を聞いて、

ブラームスのようだと言ったとか。そ

れほどの資質が備わっていたのだ

ろうと思う。

 

 

ベルギーで讃美歌になったというの

も不思議なことではない。

 

 

★1900年

 

組曲「四季」(春、雪など4曲)

箱根八里

荒城の月

豊太閤

 

メヌエット(ピアノ曲)

 

 

★1900-1901年

 

幼稚園唱歌16曲

 

鳩ぽっぽ、

雪やこんこん、

お正月、

桃太郎、etc・・・

別れの歌

荒磯の波

水のゆくへ

 

憾(ピアノ曲)

 


メヌエットの演奏動画をの

せた。

 

ショパンを思わせる曲風、留学先のラ

イプツイヒ王立音楽院では創立者のバ

ッハを主に学んだというが、当然ショパ

ンの影響も受けたのは確実だ。

 

 

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滝廉太郎の辞世の曲は「憾」

 

 

もう1曲のピアノ曲はドイツ留学から

帰国後、病の床にありながら作った

「憾」。世を去る4か月前という。これ

が絶筆になってしまった。

 

 

滝廉太郎は器楽にも興味を示した。

西洋の器楽を取り入れようとする強

い意志が見られる。

 

 

ただ何分にも器楽は入口に立った

ばかりであった。
惜しい、本当に惜しい。

 

 

たらればはないがもう少し生きなが

ら得ていたならば、歌曲と器楽を融

合して世界に冠たる作曲家として

羽ばたいていたのだろうと容易に

想像できるからだ。

 

 

でも、こころざし半端にして病に倒れ

てしまったのだから。よほど悔しかっ

たに違いない。

 

 

題名の「憾」の意味は恨みでもなく、

憎しみでもない。心残り、未練、無念

そしてもどかしさといった負の気持ち

のことであるらしい。

 

 

病気にかかった自分を責め、絶望し

、自由にならないもどかし。切ない

気持ちが心底から伝わってくる。

 

 

楽譜の余白に「Doctor!Doktor!」と

いう走り書きがあったとか。よほど切

羽詰まっていただろうと推測する。

(ご覧あれ,最初は英語、後半はドイ

ツ語なのです)

 

 

Alleguro marcato ニ短調、8分6拍子。

心を抑えて弾くか感情的に激しく弾く

かは弾き手次第だ。

 

 

そして激しい分散和音のあとの低

音。これが彼の心境をそのものなの

かなと思う。

 

 

悲しく弾いたら曲に負ける。そうかと

いって、淡々と引いたら曲の悲劇性

は表現出来ない。

 

 

エリーゼのためにと同じ難度だそう

だから技術的にはひどく難しいわけ

ではない。

ただ、とても表現力を有する曲だと

思う。

 

 

 

 

1903年6月滝廉太郎は不治の病の

ためひっそりとこの世を去った。それ

から半世紀、このピアノ曲は幻の存

在だった。

 

 

憾みの自筆譜は昭和31年、滝の大

親友の遺族より寄贈されて作曲の経

緯が明らかにされたのである。

 

 

彼の名言は若すぎる死で残っていな

い。四季の初版の序文によせられた

本人のメッセージで終わりにしたいと

思う。

 

 

「微力ながら日本語の歌詞に作曲

した曲を世に出すことによって日

本歌曲の発展に寄与したい」

 

 

歌曲はもちろん。ピアノ曲

の真髄を極めてほしかっ

たな。