わたしが写真撮影に熱中していたころ、らーはわたしがカメラを構えると神妙な顔をして静かに見守ってくれた。
夕方のドライブ、夕日を追いかけてビーチに行くと日没まで撮影に夢中になる。
仕事から戻って、冷蔵庫に保管している薄めたカツオ出汁と、手作りのパンやクッキー、バナナなどのオヤツをもって、らーと車に乗って出発する。
スープとクッキーだけじゃお腹もすいているだろうに、らーは私が撮影を終えるまで決して邪魔をしなかった。
時々、一人で海水浴をすることもあったし、いつの間にか友達になった人間とおしゃべりをしているときもあった。
草を分けて1メートル足らずの幅の道、両側が海、そんなところも一緒についてきてくれた。
そして、静かに伏せて待っていてくれた。もう少し、もう少し、そうやって長引く撮影にも文句をいわず、見守ってくれていた。
犬の知能・知力が人間の3歳児程度とか、5歳児とか、いろんなことを人間は言うけれど、観察力、状況判断力、辛抱強さや思いやりとか、人間の年齢に換算するなんて無理があるのだと思う。
らーと暮らしていると、自分の身勝手、相手を観察する力の浅さ、落ち着きのなさ、比べて犬の大きさ、深さ、賢さ、あらゆる面で、私が足りてないことを知った。
同時に、それでもわたしの人生が満ち足りているということ、だからこのままで充分なんだということも思い知ることばかりだった。
June 2011 いつの間にか美女と話し込んでいる 白い服の彼女と、真っ黒犬らー 露出補正どうしたらよいのだ? |
July 2011 らーのシルエットが美しい |