無知は幸せを遠ざける・・・母から学んだ生き方。

生き方

女性の自立は大事です。

自分や大切な人を守る盾にも矛にもなり、自信にも繋がる。

今日は親との確執からあまり養えなかった自尊心と、自信を持つためにこれが必要なんだ、と自分の行動で体感してきたことを書こうと思います。

私の母は自分を信じてあげられない人でした。私に対しても何処か他人事のように、あれこれと口を出してきました。

そんな親のこと、自分を大切にすることについて。

散文となりますが、お付き合い頂けたら幸いです。

母から逃げた話

2020年12月1日。実家の母が亡くなった。

私と母の間には、小さい頃から確執があり、私は8年間実家に帰っていなかった。

お酒好きで、周りに対して平気で傷付くことを言う母のことが、私は嫌いだった。

いつも悪口ばかり聞かせられて育った為、(絶対こんな人にはならない)と私は学生時代心に誓い、反面教師としていた。

だから母が出来なかった離婚も、仕事も、家を買うことも、子供と愛ある生活をすることも私は全部叶えてきた。

自分の背中を見ている子供に、

ちょっとぐらい(大人っていいもんだ)と思ってもらいたかったから。

母が悪口ばかり言っていた理由はシンプルで、経済的に自立する手立てがなかったから。

周囲も似たような価値観の人ばかり。そんな場所に父と母は40年以上暮らしている。

もし本気で自分の人生を良くしたいと思うんだったら、何かしらの行動を起こすはずだ。

情報を探したり、パソコンを買って学ぶとか、講演会やセミナーに行ってみるとか。

そんな自分の半径1mで出来ることにすら、父も母も行動を起こさない。なのでそのツケがこっちにくる。

「自分と同じようにあなたも諦めなさい」

そんなことを私は日常的に聞いた。

でも一度たりとも耳を傾けたことはなかった。

「高校出たら就職」というのは暗黙の流れになっていて、進路について話し合ったこともなかった。

(私はここに居たら本当に心身共死んでしまう)と思っていたので、就職して早く家から自立することを選んだ。

そうして先月、母は死んでしまった。

一度も私の本当の気持ちに耳を傾けてくれることがないまま。

亡くなる前日、痩せ細り言葉もしっかり出なくなった母に「久しぶりに話せて良かったね」と声をかけた。

母は「会えて良かった」と、眼差しは昔のまま、涙声になっていた。

私はこの家を出るまで、精神的にこの人の母親代わりをしていた。

母は私に依存していた。私は母の所有物だと思われていたように思う。

私の母への気持ちは、すごく冷静で、淡々としていて、熱いものは何もない。

ただただ、こんな生き方はしたくないと思う対象だった。

こう書くと私は心底つめたい娘のように見える。

これ以上の細かいことは省くが、このような環境にあった私の青春時代は、人並み以上に色んなことを考えた期間でもだった。

「なぜ、母と自分はこんなに感じ方が違うのだろう」

「なぜ、自分と同じような生き様を押し付けてくるのだろう」

本も沢山読んだ。

気が付いたら私は、自分の置かれた環境は小さな集合体でしかないと思うようになっていた。

(この人たちが話すことは、この人たちが体験したことの中にだけある)

自分が耳を傾けるべきは、もっと広い世界を知っていて、多くを経験している人の言葉だと。

私自身、変わった子どもでもあった。

人と同じものを持つことや、同じ行動することが嫌でたまらなく、いかに人と違った存在で居られるかに魅力を感じているような子ども。

周りの女の子が少女マンガの付録をおそろいで持っているのを見て(何か気持ちわるい..)と感じたものだ。

ゾロゾロと集団で行動すると、その場を離れたくてウズウズしてる。

そんな私の言動を見て母はいつも「そんなことは言っちゃいかん」と押さえつけた。

私は案外負けず嫌いで、そのよく解らない価値観に、真っ向から反発した。

周りが〜とか、皆んなが〜とか、そういう考え方は私にとって何の理由にもならない。

自分がどうしたいかだけ。

それから私も就職して結婚し、母になって離婚し、自立して子どもが独立し、先日母が亡くなった。

そして今が一番幸せ。

それはおそらく、自分で行動したことが、今をつくっていると感じられるからだろう。

ピンチは変化するチャンス

離婚する時、思春期真っ只中の子ども2人。

15年間社会から離れてる自分が育てていけるのだろうか? 家賃を払っていけるのだろうか?

不安しかなかった。

仕事探しをしても門前払い。

仕事云々の前に、社会人スキルが欠乏状態。笑

そんな私も、そこから5年かけてキャリアを重ね、仕事にも自信を持てるようになった。

あのことがなければ、今の生活はないとはっきり言える。

私にとっては大きな手術のようなものだと思う。

メスで傷は付いたけど、その後ずっと穏やかでいられるのだから。

何より、元旦那のことを嫌いに思ってる自分を、子どもの目に晒したくなかった。

ケンカしてるところは見られても全然いい。

ただ、旦那のことや他のことで、悶々としている自分を子どもに見せたくなかった。

自分が好きなことをしてる時子どもは嬉しそうにしている。

自分の為でもあるけど、私がやりたいことを選ぶ生き方が一番と思った。

だから離婚した。

旦那は「仮面夫婦なんていくらでも居る」と言いなかなか離婚に応じようとしなかった。

私だって旦那のお給料で15年間食べてきたので、(衣食住に困らない死なない生活)を手放すわけだ。

当時不安を通り越し、楽観的になってしまっていた。人間とは不思議なものである。極限状態ではよくも悪くも吹っ切れるのだ。

それからあらゆる制度を調べた。

夫が離婚に応じなかったのは、「世間体・会社での立場」の為。

子どもや私の生活ではなく。

一向に応じてくれない為、夫が実家に帰っている間に子どもを連れて引っ越した。

夜逃げならぬ、昼逃げ。笑

夫が帰ってきた時は、子どもの机も、私のベッドも、冷蔵庫も、夫のもの以外、人間ごとなくなった状態。

今思うとよくそこまでやったなと我ながらブルっとする…

アルコール依存症だった夫が子どもに暴言を吐き始めた時、すぐ家を出ようと決めた。

子どもを守らねばならぬと。

反抗期まっ盛りだった息子にはその気持ちは通じず、高校入ってから若干荒れた。笑 

そして3年になってスーッと落ち着いた。よかった。。

母を見て私は思った。女性の自立、原因自分論の大切さ

夫が治療で入院中は早く会社に戻れるようケアしたり、会社に一緒に行ったり、励ましたりして私なりに力を尽くしたが

夫は自分が会社に戻ること、世間的に恥ずかしくない自分で居ることを、家族の幸せよりも大事に考えていると悟った。

私は夫を捨て子どもと生きると決めた。

もちろん、楽しい思い出もいっぱいある。笑い話として今も子供との話によく出る。

私は心の中で、何とかしてみせると原をくくったのである。

根拠がなさすぎる自信は強い。そしてこわい。笑

ピンチはチャンスとよく言うが、この時は自分史上最大のピンチだった。

そして今は、一番の幸せ者である。

喉元過ぎれば熱さ忘れるで、過ぎ去ったことはどんどん遠くに流れ去る。

私は多分ちょっとアホなので、あれだけ大変な目に遭っても(今が良ければいいじゃん)と本当に忘れてしまうところがある。

アホは長所の一つなのかもしれない。

お伝えしたいこと。

同じ場所で変わることなく生きるのも、それはその人が選んだ人生。

優越などない。

母の生き方と私の価値観は違っていて、だから早く家を出た。

親というより、私が一人間として見ていたということ。

そうやって前に進んでいくと、過去はどんどん遠くなった。

進んだ道のりの分だけ、過去は遠くなる。

女性が自立できる力を備えておくことは、自分の為でもあり、大切な人(子どもや家族)の為でもある。

私のように、突然引っ越しするのはなかなかしんどい。笑

同じことを今やれ、と言われたら多分ムリ。

15年ほぼ専業主婦状態から、ポーン!と思春期の子ども2人抱えて生活するのだ。

相応の腹をくくる覚悟は必要である。

とにかく、死ななきゃOKだ。

弁護士を付けないで離婚調停の手続きをし、養育費も納得行くまで話し合いの場を設けた。

まずは、自分で調べて情報を集め問い合わせをし、行動した。

女性だからとナメられることも少なくない世の中だが、こちらが知識武装をしないからだ。

いや男女など関係ない。

何事も知らないということは機会を失うし、動ける幅も違ってくる。

なので「知らない」「解らない」「経験がない」のは当たり前で、行動しない理由ではなく、「言い訳」である。

私は言い訳をしていたくなかったのだ、母のように…

愉しく生きるためには少しムリをしてみよう

皆さんは自分で取る責任って、真剣に考えたことがあるだろうか。

それはおそらく周囲から責められたり、身近な人が離れたりといったことを恐れているのではないだろうか。

自分の暮らしを本当に考えてくれている人の言うことなら、耳を傾けるべきだろうけど大抵そんな人は多くない。

人に頭を下げたり、行動を取ることを煩わしいと思うならば行動はしない方がいい。

動けば何かしらにぶつかるから。笑

私には多くの人が、自分で責任を取ることを避けているように思えてならない。

私もグウタラするのが好きだから、本来ムリをすることが嫌い。

でも思い起こせばムリの連続だったし、むしろムリのループ。

でもそれも、愉しく暮らしたいからムリをしただけである。

自分でローンを組んでマンションを購入し、時々子どもが帰ってきて料理をしてくれる。

好きなことに携わり、人の喜びにつながる仕事をしている。

こんな幸せ、あの頃想像できただろうか。

人生の後半、愉しいことしかしたくないと本気で思ってる。

幸せの形は100人いれば100通り

人間は基本的に、変化することを恐れる。

変化はリスクを伴う。

リスクは大なり小なり生命の危険に関わるという、生存本能から来ている。

しかし変わらないことは、自然ではないのだ。

この世に変化しないものなど何一つない。

誰だっていつかは死ぬ。

雲も、空気も、水も移り変わるから生命を宿す。

地球環境の悪化など、最たる例ではないか。

デジタルデバイスだって、止まることなく変化している。

リモートワークが認知され、スタンダードになりつつある。

なのに、私たちの生き方だけは不思議と変化を恐れている。

人間が一番、時代から取り残されているのかもしれない。

時代をつくるはずの人間が、時代を羨望の眼差しで見つめてる。

答えは違和感の中にある。

それに優しく耳を傾けてあげてください。

自分の幸せは自分が決める

幸せの価値観なんて100人居たら100通り

その為に自立と自由の権利を手にしておく

あなたの日常があなたらしさで満ちますように。