劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

舞台と芸能は「3密」が全て~疫病流行の時代に思う⑴

2020年08月23日 | 演劇
 新型コロナウイルスの蔓延で「密集・密接・密閉」がご法度の世情となって半年になる。集まってはいけない、相手とは離れ大声を出してはいけない、建物内は風通しがよくなければならない…。
 狭い稽古場で役者同士がセリフを掛け合い、ダンサーたちが汗をほとばしりさせ、オペラ歌手が抱き合いながら重唱しアリアを歌いあげる。やがて、公演当日。舞台を見上げる観客(聴衆)たちは客席にひしめき合いながら、『音羽屋!』『ブラボー!』の大声援を送る。役者と見物、歌手と聴衆の交流、それによって舞台芸術は成り立っている。つまり「3密」があってこその上演芸術なので、それを禁じられると歌舞伎をはじめとする伝統芸能も演劇やオペラなどの現代芸術も滅びるのである。
 演劇公演もオペラ公演も大半が延期や中止に追い込まれ、俳優・歌手ばかりでなく、その数倍のスタッフたちも困窮している。ドイツなど劇場文化を大切にし国家予算をそこに注ぐ外国に比べ、わが日本は費目など形ばかりで実質は雀の涙で済ませている。
 現場に関わる者たちはなんとか自分たちの営みを守れないかと涙ぐましい努力をしている。歌舞伎の中堅役者は、映像とのコラボとか舞台のライブ配信などを行い、興行会社は客席数を制限し、舞台上の役者や囃子方などにも「飛沫感染を避ける」工夫を促している。
 また、大相撲も客席には同様の数の制限をしており国技館の桝席は隙間だらけで、見物は『朝乃山~!』などの声は掛けられず、ただ「拍手」で贔屓力士の応援をするだけという寂しい有様である。相撲は元来その土地の悪霊・疫病を祓う神事に関わる催しである。その証拠に横綱に下がっている御幣、四股を踏む所作などが今も残されている。「神」に奉納するという意味が伝統芸能の能楽にあるように、相撲もスポーツではなく歌舞伎と同じ「芸能」の一種なのであるが、その精神が相撲界に浸透していないために本来あるべき逞しさと美しさを失わせている原因となっている。
 テレビで放映されている相撲や歌舞伎の現状を目にするたびに、これらの伝統芸能をはじめ、舞台芸術の復活を願わざるを得ない。コロナ禍よ、収まってくれ~!

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