郷土の偉人「安井息軒」の旧宅と記念館に行って来た

散策
これが目印。

先日、3月末に購入した車の6か月点検のため、清武町の「スズキアリーナ清武」に行った。

嫁の自動車もスズキなので、ここには、数か月に一度は訪れる。

 

…..待ち時間、ショールームにいても退屈なので、天気の良い日は、そこから歩いて数分の距離にある「安井息軒旧宅」を訪ねることが多い。

 

 

今回は、この「安井息軒旧宅」とすぐ近くにある「安井息軒記念館」を訪ねたので、写真を見ながらあらましを説明したい。

「安井息軒」ってどんな人?

まずは、安井息軒(やすい そっけん)について、簡単に説明したい。

安井息軒は、江戸時代の儒学者だ。飫肥藩士、安井滄洲の次男として、寛政11年(1799年)1月1日、清武郷中野(現・宮崎市)に生まれた。幼少の頃天然痘に罹り、顔面の疱瘡痕で片目が潰れた容貌になった話は有名。

その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いたとされる。門下からは谷干城陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。

安井息軒の「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。」は有名。(…..「一生の計は少壮の時にあり」は耳が痛い。若いころ、もっと勉強しとけば良かった😞)。

安井息軒記念館」(旧宅のすぐ近く)の玄関口にあった掛け軸。

 

「安井息軒旧宅」と「安井息軒記念館」の概要

  • 場所 宮崎市清武町加納(字中ノ尾)甲3368番地1(←Mapionが開きます)
  • 電話 0985-84-0234(安井息軒記念館)
  • 時間 9時~16時30分
  • 休館日 毎週月曜日(祝日を除く)、休日の翌日(日曜日、土曜日又は休日を除く)、12月29日~1月3日
  • 入館(場)料 無料
  • アクセス JR清武駅より徒歩約25分
    「学園短大・国際大」バス停より徒歩5分
    「加納小入口」バス停より徒歩15分
    東九州自動車道清武ICより車で10分
  • 駐車場 安井息軒記念館前に10~20台程度

写真で振り返る

以下、いつものように、写真で振り返ってみたい。

周辺地図はこんな感じ。

まずは「安井息軒旧宅」から行ってみよう。

安井息軒旧宅

右に標示があるので、分かりやすい。

平成6年に復元された建築だ。屋敷の規模からみて、式台が広い。偉い人をはじめ、人々の出入りが多かったからか。

間取りはこんな感じ。

間取りはこんな感じ。

手前は下座、奥が上座だ。

東側の縁側。朝の日向ぼっこが心地良さそう。家の回りには、息軒が愛した梅の木がおよそ30本植えられている。彼をしのぶ梅まつりが毎年、建国記念の日2月11日に開かれているそうだ。

3畳の書斎。思わず背筋が伸びる。

 

安井息軒記念館

次に、「安井息軒記念館」に入ってみよう。

長らくコロナ休館だったので、久しぶりだ。

「安井息軒展示室」へ。残念ながら中は撮影禁止だった。

「特別展示室」。北有馬太郎に関するの展示があった(2020年11日3日まで)。

「展望室」からは、宮崎市内が一望出来る。

入り口右側に「安井息軒廟」、すぐ左隣に「佐代夫人供養塔」が設置されている。

おわりに

冒頭でも少し触れたが、安井息軒は、幼いころ天然痘を患ったため、右目がつぶれかけていて、顔はあばただらけ。色黒で背が低かったこともあり、周囲からは「猿が本を読む」などとからかわれたそうだ。

そんな中、強い信念と高い志で苦学を重ね、ついには、幕府のご儒者に抜擢される。

これには、貧しくも強い信念を持った学者であった父・滄州の影響が大きいが、生涯息軒に寄り添い、質素な生活に文句一つ言わなかったとされる夫人・佐代の存在も忘れてはならないだろう。

佐代は、息軒が28歳の時、姉の破談をきっかけに「私が嫁ぐことはできないか」と申し出て、息軒と結婚した。「岡の小町」と噂されるほど美しい娘で、16歳とは思えない甲斐甲斐しい働きぶりを見せた。息軒が幕府儒官に到達する直前、50歳の若さで死去した。

 

今回の訪問で一番印象に残ったのは、安井息軒記念館のビデオコーナーで見た佐代夫人のお話だった(竹下景子朗読)。

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