【東欧・歴史】ロシア史概要 早見表

ロシア史の特色

古くロシアの地は「ルーシ」と呼ばれ、現在のベラルーシやウクライナも含む名称だった。狭義の意味の「ロシア」ではベラルーシやウクライナを含まず、現代ロシア語でも「ロシア」と「ルーシ」は別の単語として扱われている。この地域は古くから住んでいた東スラヴ人と北欧から移住してきたノルマン人(ヴァイキング)の文化が融合し、さらに数百年に及ぶモンゴルによる支配(タタールのくびき)もその文化と歴史に大きな影響を及ぼした。

モンゴルによる支配以前は、現在のウクライナの首都であるキエフがルーシ社会の中心地だった。キエフ大公国が衰退するとルーシ社会は政治的に分裂していき、モンゴルの支配下で力を蓄えたモスクワの君主が新たにルーシの中核を担い始める。モスクワの君主はビザンツ帝国の衰退に伴い第三のローマを意識しはじめ、ギリシア風の「ロシア」を自称しはじめ、さらにはローマ皇帝を意味する「インペラトル」の称号を利用し始めた。

ロシア帝国は西欧文明を積極的に取り入れ、近代の列強の一員となるが第一次世界大戦中に起こったロシア革命によって世界初の社会主義国となる。資本主義陣営と世界を二分する社会主義陣営のリーダーとして大きな影響を世界に及ぼすが、社会主義体制はまもなく崩壊し現在のロシア連邦に至っている。

ロシア史 年表

スラヴ人文化
B.C.9世紀
スキタイの影響下(スラヴ人と同系統?)
B.C.4世紀
サルマタイの影響下
A.D.300年頃
ゲルマン系ゴート族の影響下
370年頃
フン族の影響下
450年頃
東スラヴ人文化
560年頃
アヴァール人の影響下
630年頃
オノグル・ブルガール(大ブルガリア)の影響下
650年頃
ハザール・カガン国の影響下
860年頃
ノヴゴロド公国(リューリク)
880年頃
キエフ・ルーシ(キエフ大公国)
12世紀
ルーシ諸国家の分立
1240頃
モンゴル(ジョチ・ウルス/キプチャク・ハン国)の支配下(タタールのくびき)
1370年頃
モスクワ大公国(ジョチウルスからの半独立状態)
1480年
モスクワ・ルーシ(モスクワ大公国)
1547年
ロシア・ツァーリ国
1598年
動乱時代(大動乱)
1613年
ロシア・ツァーリ国
1721年
ロシア帝国
1917年
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
1922年
ソビエト社会主義共和国連邦
(ソビエト社会主義共和国同盟)
1991年
ロシア連邦
現在