反出生主義を熱く語る

反出生主義

以前に私は自分なりの反出生主義の思想ついての記事を書きました。そこでの主張は一貫して「出生とは理不尽な押し付けである」ということです。

人は一度この世に生まれてきてしまうと、様々な責任や義務、人として果たさなければならない役割を強引に押し付けられることになります。それをどれだけ嫌がろうと、拒絶することはできません。

生まれること自体にリスクが伴い、失敗したときに不幸になって苦しむのは自分ただ一人です。親は自分の自己中心的な欲求を満たすために引きずり込んだ張本人であるにも関わらず、一切責任を負う必要もない上に被害者のフリをします。「子供が頑張ってくれないから、自分たちは迷惑をこうむっている」と、子供が存在するせいで、生まれてきてしまったせいで自分に被害が生じていると訴えます。

なぜ親のために子供が努力をしなければならないのか、甚だ疑問です。自分たちが一方的に巻き込んだ相手に対して、どんな理屈で努力や貢献を要求するのでしょうか。また、どんな大義名分でそれを正当化するのでしょう。

結局それらはすべて、「子供がそうしてくれると自分たちにとって都合がいい」という思想が根底にあります。子供の幸せだとかきれいごとを言いいますが、自分が幸せになりたいというのが全てです。そんなことのために子供をこの世に引きずり込んで、あらゆる理不尽やリスクを強要します。

これが出生の本質です。

怒りを感じなければならない

自分の人生に絶望し、深い悲しみや苦しみを感じ、どうしてこんな目に合わなければならないのか、こんなことになるくらいなら生まれてこなければ良かった。

これを実感してしまったことが、反出生主義を考えるきっかけになったのだと思います。

この苦しみからどうにかして逃れたい、絶望から解放されたい、しかし自殺するのはいやだ、できない。

だからこそ、生まれてこないことに意味があるのです。そういう人にとって生まれてこないというのはあまりにも魅力的すぎます。生まれてこないことが唯一の正解であり、それ以外にすがれるものがないのです。

生まれてこないというたったこれだけのことが、あらゆる問題をすべて解決できるのに、それをどんなにあがこうとも選択できないというのが、大きな絶望を感じさせます。

別に少子化でもいいんですよ。どうせ人間なんていつかは滅びるのだから、それが数百年後か、数千年後か、数万年後かなんてのはどうでもいい話です。いつ滅んでも同じです。そんな無理して子孫を残そうとしなくていいですし、子供にリスクを負わせて無理やり頑張らせてまで幸福になろうとしなくていいですよ。

「はい、あなたは生まれてきたから、これから勉強して努力して他人と競争して、それから何十年と仕事をして社会貢献して人としての責任を果たしてください」なんていうのはあまりにも理不尽すぎるじゃないですか。

そんなん、我慢できるわけないでしょう

やはり、怒るべきです。こんな理不尽な目にあっているのだから、怒る権利があります。

声高に主張してやればいいんです。出生は害悪だと。子供を産むことはいいことだと誤った考えを抱いている頭の悪い連中に、堂々と宣言してしまっていいのです。

だって、事実なんですから。

なぜ自分が幸せになるために子供を産み、生まれてきた子供に対してこんな理不尽を要求できるのか、どうしてそんなことが許されるのか、是非納得のいく説明をしてほしいですね。子供を産みたいのなら。

そして、なぜ生まれてきた子供が親の要求にこたえ、社会にとって都合のいい労働力として貢献しなければならないのか、どうしてそんな目にあわされなければならないのか。

私はこれを論理的に説明できる人間はこの世に存在しないと思っています。

なぜなら、あくまで人は自分の欲求に任せて出生を理不尽に押し付けているだけで、そこに一切人としての理性、道徳、倫理が存在しないからです。

この事実に対して怒りを感じることが、まずは最初の一歩だと思います。

将来の夢は何ですかっていうやつ

恐らくほとんどの人が「将来の夢はなんですか?」と聞かれたことがあると思います。ですがこれってよくよく考えたら、めちゃくちゃ意味不明ですよね。

どういうことか、一つ例をあげたいと思います。

あなたが仮に北朝鮮に拉致されたとします。当然それは自分が望んだものではなく、強引に連れていかれました。その北朝鮮にて、こういう質問をされます。「あなたは、この国で何を成し遂げたいですか?」、「どういう形でこの国に貢献したいですか?」と。

いや、知らんがなって話です。

自分の意志で行ったわけではないのに、どうやって貢献したいですかとか聞かれても知るわけがないでしょう。こんなん早く解放してくれとしか思わないですよ。

「生まれてきてください、拒否権はないです。さあ生まれてきましたね、では早速あなたはどうやって社会貢献を果たしたいですか?将来どういう形で労働してくれますか?」

これに対する回答はただ一つです。

いや知るわけないでしょ、そんなの。

なんで無理やり巻き込まれた側の人間が、自分が何らかの形で社会貢献を果たしたいと思っていることが前提になっているんだろう。そして、そうなるために当然努力してくれるであろうことが想定されているのだろうか。不思議でしょうがないです。

なので、客観的かつ冷静に考えたらこの質問って破綻してますよね。

社会の側が貢献してほしいから子供を強引に巻き込んでいる訳なので、こうしてほしいっていう何かしらの思惑があるはずです。なのに、どうやって社会貢献することをあなたは望みますかっていう質問は全く意味不明ですよ。

なんで子供が社会貢献することを望んでいることが前提なの?

反出生主義の反論に対する反論

子供を産むことがいいことだと考えている人たち、あるいは子供を産みたいと考えている人たちが一般的にやりがちな反出生主義に対する反論があります。それらはすべて的外れであり、こちらの意図を全く理解できていないことがお分かりになるかと思います。

彼らの反論とはおおむね以下のようなものでしょう。

・そんなに生まれるのが嫌なら、死ねばいいじゃないか。他人を巻き込もうとするな。
・出生を押し付けるなと言うくせに、君らは反出生主義を押し付けようとしているではないか。
・子供を産むかどうかは自分の勝手だ。誰に何を言われようと関係ない。

これらの反論に対して、私なりの見解で再反論をしていきたいと思います。

生まれるのが嫌なら死ねばいい

生まれてきたくなかったというのは確かにあります。それが反出生主義の思想に陥るきっかけになったのは事実です。しかしそれは生まれてきたくなかっただけであり、死にたいとは思っていませんし、もっと言うと人は可能な限り生きていくべきだと考えています。

生まれてきたくなかったという感情は、死にたくないという思いから生じたものなので、死ねばいいという意見は反出生主義の前提に反していると言えます。こちらの主張をまともに聞くこともなく、自分の都合のいいように曲解して、意味不明な反論をしているだけに過ぎないことが分かります。どうせ何を言っても彼らにはそれを理解する能力もないので、相手にするだけ無駄かもしれません。

そもそも、「出生は悪だ」というのは明確な事実であり、こちらの感情とは本来何の関係もありません。事実をただ主張しているだけなので、殺人は悪だとか万引きをしてはいけないと言っているのと何も変わりません。もし何か反論をしたいのであれば、「出生は悪ではない」という主張をするべきですね。実際はそれが不可能だからこそ、的外れな意見を述べるしかないのでしょうけど。

反出生主義を押し付けるな

まず大前提として、我々は出生を押し付けられたいわば被害者です。被害者である我々がこれから悪事を働こうとしている人間に対して、それはやめようと言って止めるのは当然の行為なのではないかという気がします。

押し付けだと言いますが、悪いことを悪いと言うのは果たして押し付けなのでしょうか。信号無視はやめようとか、人の悪口は言わないようにしようとか、それこそ戦争は駄目だというのは押し付けですかね。出生は悪だというのは事実ですし、その事実をもとに子供を産んではいけないと主張するのは押し付けではないでしょう。悪いことはやめようと言っているだけですからね。

例えば日本は核兵器を撤廃するべきだと主張しています。それはかつて日本が原子爆弾によって多大な被害を受けたことが根底にあります。被害を受けた自分たちだからこそ、核兵器廃絶に説得力を持たせることができるのです。

核兵器を撤廃しようというのは押し付けですかね?これは明確に違います。

核兵器が存在しない世の中のほうが良いことが分かり切っているのだから、それを目指すことは何ら不思議ではないです。だからこそ、なくそうと言っていいわけなのです。

また、万引きを例に見てみましょうか。自分の目の前に明らかに万引きをしようとしている人がいた場合、止めるかどうかは別としてそれはやっちゃいけないことだという認識は誰もが持つと思います。自分が実際に万引きの被害にあっている人であれば、やめさせようとするはずです。

被害にあって困っている人が、その行為を実際にやろうとしている人を見かけたときに、やめさせようとするのは極めて当然のことです。

出生という害を受けた我々が、出生という害をもたらそうとしている人を見たら、やめさせるに決まってるだろ

これは人として当然の行為である。それを押し付けだの迷惑だの言う人間は、ただ出生が悪だという認識が足りていないだけだ。

子供を産むかどうかは自分たちの勝手だ

これに関しては、その通りと言わざるを得ないです。こちらから何を言おうとも、強制する権限を持っていないのでどうすることもできません。出生が悪だと認識できなければ、子供を生むことをやめないでしょう。

人は子供を生もうとすれば、基本的には生めてしまいます。親の経済力、人間性、教育能力は関係ありません。生む意志さえあれば、抗うすべはどこにもないのです。非常に残念です。

時々とてつもない絶望感を感じることがあります。どんなに肯定的にとらえようとしても、やはりどう考えたって出生は悪でしかないのに、それを認識できる人間がごくわずかであり、出生をやめさせる手立てが存在しないことに絶望しています。人にとって、何が事実で何が正しいかなんてのはどうでもよくて、結局は自分にとって何が都合がいいかだけが全てなんでしょうね。正義は人間の欲望の前では何の力も持たないということです。

いくら殺人は悪だと言っても、人を殺す人間はいるので、どうしようもないのです。人っていうのはそれだけ自由だということなのでしょう。他人の意志や思想に干渉するのはとても難しいです。

最後に

反出生主義について熱く語らせていただきました。ただここでいくら熱く語ったところで、世の中に浸透することは絶対にないと断言できます。反出生主義というのは仮に一度流行ったとしても、必ず廃れる運命にあります。

どういうことかというと、例えば100人の人間がいたとして、そのうち90人が反出生主義で残りの10人が出生主義だったとしましょう。当然その90人は子供を生まないのでいつか死にます。残りの10人は子供を生み、出生主義が遺伝されます。その子供がさらに子供を生んで繁殖していくことで人口が増えていきます。結局はこうなってしまうので、反出生主義の思想をいくら広めてもあまり意味はないのです。いつかは必ず廃れるので、一過性のものにすぎません。

なのでこの思想を広めようとかは特に思ってないですし、その必要もありません。そもそもどうせこういう主張をするのって社会的弱者なので、社会的強者の人達からすると気にするほどの価値もないのです。弱者の言うことなんか、雑音としか思ってないでしょう。自分の人生さえうまくいけばいいと思っている自己中心的な連中に、期待するだけ無駄でしょう。ただ、それでも子供を生むことは悪だという事実をできるだけ多くの人に知ってほしいという気持ちはあります。彼らはそれを知ったうえで、どうするか判断するべきだと考えます。

私の思想の根底にあるのは、生まれてきた人はみな努力や競争を強要され、ストレスにさらされながら何十年にもわたる労働に従事しなければならないという理不尽さにあります。これさえなくなれば、少なくとも出生は悪だという考えを改めようかという気にはなると思います。是非生まれてきた人がみな楽に生きられる世の中になってほしいと願うばかりです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました