西蔵編(9)ラサ(その2)ジョカン
ラサ(拉薩( Lhasa ))という街の名前を聞いた時に、我々外国人が思い浮かべるのはポタラ宮だと思うが、ラサを目指すチベタン(チベット人)の巡礼者にとっての最大の目的はジョカン(トゥルナン寺)(大昭寺)巡礼だ。
7世紀半ば(吐藩国の時代)に、ソンツェン・ガンポ王(581?~649(650))の妃文成公主(623頃~680)により創建されたこの寺院は、遠い昔から信仰の対象として多くの参拝客で賑わった。2000年に世界遺産に登録されている。
屋上からは、ポタラ宮や周りの山々も一望出来た。
(写真はジョカン前広場。奥に見えるのがジョカン)
当時ジョカンに入るには、二つの方法があった。
(1)正規入場料を払う。入場料として70元(当時のレートで約1000円)かかった(現在の料金は不明)。
(2)早朝8時過ぎにチベタン(チベット人)の参拝者に紛れて無料で参拝する(入口で公安(警備員)に見つかると「チケットを買え」とつまみ出される)。
但し、早朝の参拝は寺院内部に入れても巡礼者が多い為渋滞が発生する。なかなか先に進めず、一度入ると外に出るまで2時間以上かかった。
私は、(1)の方法で1回、(2)の方法で2回参拝している。
また、何度もバルコル(八廓街、八角街)(ジョカンの周囲をぐるりと巡る道)をコルラしている(自分も巡礼者になれる場所だ)。
※コルラとは、聖地の周りを巡礼して歩く行為。仏教徒は右(時計)回り、ボン教徒は左(反時計)回りに歩く。
ラサ到着後高山病が落ち着いてから、最初に観光しようとした場所がジョカンだったのだが、上記(2)の初回の試みの時は散々な目にあった。
早朝ジョカンの入口に到着した時には、既に大勢のチベタンが犇(ひし)めき合い、怒号が飛び交っていた。開門したら一番乗りで参拝したいという気持ちが逸(はや)るのだろう。
そのうち、売り言葉に買い言葉的な感じで20~30人の大乱闘が始まってしまった。
どうもこういうことのようだ。
その年は、ラサ近郊のディグンティ寺(ディグンティ・ゴンパ)(直貢替寺)( Drigung Monasteryy )(ディグン・カギュ派の総本山)で12年に一度の大祭があり、地方から駆け付けたチベタンが、大祭終了後ラサに集まっていたらしい。
※ディグン・カギュ派は、チベット仏教の主要な四大宗派(他は、ゲルク派、ニンマ派、サキャ派)カギュ派の支派の一つ。
乱闘騒ぎは、地方から出て来たカム(チベット東部)の男達カムパによるものだった。
チベット人というと、蚊も殺さない程優しいというイメージがあるが、カムパは勇猛でありプライドが高い。チベット独立を求め中国政府に対して最後まで抵抗運動を繰り広げたのも彼らである。
乱闘の原因は不明だが、押し合う中での暴言((例)「○○の田舎者!!」等)に起因すると思われる。
方言や服装で出身地域が分かるので、この乱闘は出身地域の違いによるものではないだろうか。
大人しいイメージのチベタンが、殴る蹴るの本気の喧嘩をしており、持っている装飾品の刀(刃物として使用可能かもしれない)の柄(つか)で殴ったりもしていた。
気付くと、子連れの親父が血だらけで横たわっており、その傍(そば)で子供が泣き叫んでいた。それでも構わずに男達が親父に蹴りを入れ暴行が止まらない為、さすがに止めに入った。
見るからに外国人の私に対して彼らは暴行を加えなかったが、止めに入る間に服は血だらけになり、お気に入りのネックレス(夏河の土産物屋で購入、数珠のようなデザインのもの)は引きちぎれて石が飛び散ってしまった。
どれ位の時間が過ぎたか覚えていないが、最終的に公安(警官)が仲裁に入ってようやく収まった。
付近で見ていた韓国人のカップルが大丈夫かと声をかけてくれた。
大丈夫と答えたものの、気分はすっかりブルーになってしまい、ジョカンに入るのを諦めて宿に戻った。
部屋に戻って確認すると、服には血と泥が付いておりバター茶の匂いがした。靴と鞄にも血が付いていた。
服を着替えてから、落ち込んだ気分を一新する為、床屋に行って小学生以来の丸坊主にしている。
※後日、ジョカン周辺の土産物屋で同じようなデザインのネックレス(石の色が色違いだった)を見付けたので購入した。
(写真は、土産物屋のお姉さん。言い値が良心的だったので何度かお土産を購入している)
余談になるが、チベットに行く前に富士山麓で参加したイベントWPPD ( World Peace & Prayer Day )について、ラコタ族のチーフ・アーボル・ルッキングホースがこんな感じのことを言っていた。
「祈りの力はとても大きい。特に大勢で行う祈りの力は。だから、祈りの場では良いことだけを考えて欲しい」
ジョカンも又、大勢の人が祈る場である。だからこそ、あの時怒りのエネルギーが増幅されて乱闘になったのかもしれない。
散々な目にあったが、ジョカン周辺にはその後も毎日のように行っていて、そこで祈りを捧げる人達を見ていた。中には五体投地を繰り返す参拝者もいた。
ジョカンの参拝者を見て、旅日記にはこう書き記している。
聖地だから人は祈るのか
それとも祈るからそこが聖地になるのか
※昔読んだ本の言葉かもしれない(誰の言葉か不明、藤原新也さんの言葉だろうか)。
※地図
(旅した時期:2004年)
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