荒廃するシャッター通りと高齢化。コロナのせいだ
開店前に勢いよく開くシャッターの音。早朝の静寂を突き破るかのように「ガラガラ、ガシャ!!」昔は当たり前であった。
追憶の中の故郷の街は人が生き生きとして活気に満ちていた。日が西に傾く頃は対面販売の響き渡る掛け声も今はもう昔の残像でしかなく、「活気ある関西下町の商店街」という言葉は遥か過去の「死語」となってしまったようだ。
今日もまた、対面販売の商店がまた一軒閉店した。店の入り口に「本日をもちまして、、、、、」の張り紙が目につき、喪中の知らせみたいでなぜか虚しい。人の流れが大型商業施設に傾いたせいだ。
何十年もこの道を通って仕事場に行くが最近特にシャッターの開く一日の元気な始まりの合図も聞けず、荒廃した道を行きかうのが悲しい。
そういえば先日、比較的賑やかな街のイメージの阪急沿線の商店街を歩いていたら半分以上シャッターが閉まっていたので休日なのかなと思っていたが詳しく聞くと、休日ではなく閉店したと聞いた。汗
阪急電鉄の駅に近いのにシャッター通りと言うのはとても理不尽だ。
プレイスやロケーションは悪くないので活性化できないものだろうか考えていたが、高齢化する町は体力がなくなり、活性化する前に力尽きてしまうのかと思うととても残念だ。
私の住んでいる阪急「園田」駅周辺街も閉店が相次いでいる。商店街も開店したかと思えば数か月で閉店といったサイクルが激しく「開店休業」が激しい。
昭和の香りする食品専門店「豆腐屋」「八百屋」「魚屋」「天ぷら屋」「肉屋」「駄菓子屋」「惣菜屋」「乾物屋」がない。遠くの商業施設に車でないと行けないのはとても不便だ。
特に本屋とか文房具屋の店が学校近くに見当たらない。小中学生さんらはどこで買い物をしているのだろうかと戸惑うばかりである。