関西の四季を呟く

関西の四季や出来事を写真を交えてお届けします。

一日の区切りとは


 若き精神的に余裕のあった時代は朝起きたとき、その日がリセットされてる感覚であった。睡眠をまたいで一日一日の区切りがハッキリしている感じだ。昨日までの自分と今日の自分とでは精神的にも人格がはっきり乖離しているように感じた。



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 反面、昨日と今日とでは地続きで、同じ時間軸上にあるような錯覚も抱いた時もあった。一時的な休息として感じられるのである。



 すべてが「若さ」の領域内であり、毎日毎日が「活計歓楽」で無計画な反面、「品行方正」とされる突き詰めると完璧主義であったり、主観的なハードルの高さを高めに設定し、それらを超えた時の超越的な満足感に浸った時があった。



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 要するに、昨日と今日の区切りは朝目覚めた時、はっきりと時間的に分断されていたことは確か。



 ・・今思うこと・・

 高齢受給者証という一般市民との距離を置かれ、隔離され社会の隅に追いやられ儚く思う。ただただ愕然とするばかり。



 「~~らしさ」から縁のなくなった今の私は、一日の区切りを「なんとなく生命が延長された」と嘆く。半面、何も考える事無く、世の中の責任から回避し、ネガティブな思考や感情を洗い流せる拘束されない自分が存在する歳にもなった。



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 開放的な真夏日から徐々に厳冬に向けての心の委縮に焦燥が生じる。これも歳のせいだろうか?
 やせ細る精神力に不安があるが、家内から、息子から、娘から勇気つけられ鋭気をもらった。明日は明るい話題で満載しよう。

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