さて、今回閻柔の紹介じゃな。彼は立伝はされておらんが、なかなか重要な人物じゃ。
字は不明、生没年も不明じゃな。劉虞が公孫瓚との戦いに敗れ、処刑された後に復讐を狙う鮮于輔や斉周等に推し立てられておる。彼の紹介を行うとしようかのう。
人物紹介
異民族との関係
さて、閻柔じゃが彼は若い頃に異民族に捕まり、烏丸と鮮卑の下に連れてこられておる。やがて彼は異民族の人達の尊崇を集めるようになったんじゃ、そして閻柔は鮮卑族の助力を得て、烏丸校尉の邢挙を殺害しておる。
この殺害理由はもう一つよく分からんのう。邢挙に個人的な怨みがあった(例えば異民族に捕まった原因だった?)ことや、烏丸校尉だった邢挙が異民族を虐げる等、異民族に対する扱いが酷かったこと等が考えられるが、明確には書かれておらんのではっきりしたことは言えんのう。
そして閻柔はそのまま烏丸校尉の地位についておる。このことを考えると、やはり異民族に対する扱いの問題じゃったようにも思えるのう。
公孫瓚との戦い
このように異民族に信頼されていた閻柔を鮮于輔等は首領に推し立て、公孫瓚に対抗しようとしたんじゃ。閻柔はその期待に応え、異民族たちの協力を仰ぎ数万の軍を編成し、袁紹に協力して公孫瓚に対抗したんじゃ。
曹操への帰順
しかし彼らは何時までも袁紹に従ってはおらず、後に鮮于輔と閻柔は曹操に臣従しておる。袁紹との対決中だったので曹操は喜び、鮮于輔は建忠将軍に任命され、幽州六郡の統治を任されておる。閻柔は少し遅れての帰順だったためか、この時は護烏丸校尉に任命されておるだけじゃな。
後に袁紹の息子の袁譚を撃破した際に、閻柔は部下の鮮卑族を引き連れ名馬を曹操に献上しておるんじゃ。そしてそのまま従軍し、同じく袁紹の息子の袁尚と共に反乱した烏丸討伐で活躍しておる。この時の活躍で関内侯に取り立てられておるのう。関内侯は20ある爵位の2番目に高い爵位じゃな。
曹丕との関係
そして後に曹丕が曹操の後を継いだ時に閻柔は度遼将軍となっておる。これは遼水周辺に存在する異民族を監視し、討伐するための将軍であり非常に重要な役割を担っておるんじゃ。
豆知識に書いておる「上尊号碑」についてじゃが、この碑文に名前を連ねる順番も面白く、基本は三公と言う最上位の役職の3人、それに並ぶ大将軍、驍騎・車騎・衛将軍が並ぶのが通例なのじゃが、車騎将軍の曹仁・衛将軍の曹洪の間に、車騎将軍でもない閻柔等数人が名前を連ねておるんじゃよ。
官位も低く、別に曹一族・夏侯一族と言った親族でもない閻柔等が上位に名前を連ねているのはかなり異様な状態じゃな。
「魏略」では曹操は閻柔のことを目にかけ、実の子のように扱い、閻柔にも自分を実の父親のように思うが良い、と言っておるんじゃ。そのため閻柔は曹丕と非常に仲が良く、その様は傍から見ると兄弟のようであった、と言うことじゃな。
親族ではないが、曹丕と個人的な繋がりが非常に強いことから上尊号碑の序列が高くなったと思われるんじゃな。
石碑は当時の生の声を伝えておるようなもんじゃから、色々窺い知れて面白いんじゃよ。
そしてこの曹丕に禅譲を勧める辺りを最後に閻柔の記述は途絶えておるので、220年以降のあまり遅くない時期に亡くなったと考えられるんじゃ。じゃから最終官位は度遼将軍じゃろうな。
立伝はされておらんが、なかなか重要な人物じゃった、と言えるじゃろうな。むしろ立伝されておらんのが不思議な人物でもあるかのう。
と言ったところで能力評価ぢゃ。今回は鄭問之三國志以外に出ているぞい。
能力評価
閻柔はまず異民族からの信頼が非常に高い点、そして公孫瓚相手に数万の軍を編成して戦っておる点から統率を高くしておる。他も曹操に帰順する等、先見性の高さから知謀や政治も水準以上としておるんじゃ。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は閻柔じゃな。魏所属の武将としては初めてになるんじゃなかろうか。
公孫度と比べても師匠の評価、結構高いですね。師匠本当に閻柔は立伝されていないんですか?
うむ、実際魏は資料を見るとこの手の優秀じゃが何故か立伝されておらん、と言う人物が結構多いんぢゃ。
何故そうなるんでしょうか?
そうじゃな、個人的意見になるが、これは三国志の著者の陳寿が蜀の人間じゃから、ではなかろうか。
???師匠、あまり話が見えてこないのですが。
うむ、ちょっと言葉が足りんかったの。三国とは魏、呉、蜀の三国が鼎立しておったんじゃが、陳寿は蜀の出身なんじゃな。
蜀は諸葛亮とかいたものの、国力も人材も三国の中では一番下じゃったんじゃ。魏はそれに対して圧倒的ともいえるぐらい、国力、人材共に豊富で、実際国力の比較で言うと7:2:1ぐらいと言われておる。
へええ、もっと拮抗していると思っていたのですが、かなり差があったんですね。
うむ、もし同じ比率で人物伝を作成した場合、後世の人がそれを見て三国志、と思うじゃろうか。
ああ、なるほど、三国が三国として拮抗していると感じるように立伝する人数の調整をした可能性がある、と言うことなんですね。
まああくまでも可能性の話じゃがな。ただ誰を立伝するかは別に決められておらんのじゃから、そう言うことはしておってもおかしくはないじゃろうな。
陳寿が故郷の人間をより持ち上げたいと思うのも、人間臭くてむしろ自分は好感を感じるぐらいじゃしな。
ただ、立伝されず優れた事績を持ってた人が、後世に名を残せないのはちょっと残念ですね。
うむ、ただ裴松之がそこは上手く補ってくれているからのう。それをなるべくすくい上げてやれば良いんじゃよ。魏は特にそう言う人物が多いから、むしろ宝探しみたいで面白いんじゃよ。
師匠・・・改めて思いますけど、やっぱりヘンな趣味していますねぇ。
やかましいわいwさて、少し長くなってしまったが今回はここまでじゃな。また次回もよろしく頼むぞい。
次もまた見てくださいね、それでは!