脱モラトリアム奮闘記

モラトリアム脱出&ありたい姿を目指すブログ。「他人の記憶に残るようなアイディアを発信する」ことが本ブログのコンセプトです。

一番嫌いな塾講師のバイトに復帰した理由

 

 

 今日、塾講師のバイトに復帰した。「復帰した」と記した通り、私は以前にもこのバイトに従事していたが、お得意の言い訳を自身に言い聞かせた末、辞めてしまったのである。今回はその言い訳とそれでも再び始めた背景について書いていこうと思う。

目次

 

 1.塾講師を辞めた理由

 最初はこのバイトが好きだった。上手く教えられるのか不安はあったものの、多くの生徒が私を求め、質問してそれに対する解答を教えてあげることで感謝される。中には懐く生徒もいたので、その事実だけでも自分が認められているような気分になり、ただただ嬉しかった。そのこともあって自分はサービス残業を厭わず、生徒の質問や相談に本気で対応してた。そんな私がこのバイトを辞めたのは塾長が生徒をモノのように扱う拝金主義者であったことでも、待遇が悪かったことでもない。塾業界の問題でなく、自分の問題を言い訳にして辞めたのである。というのはある時、ふと「生徒が必要としているのでは自身のもつ知識であり、その知識さえ持っていれば誰でもいいのではないか?」「このバイトが楽しいのは知識を持っている自分に酔いしれている自己満足からくるものではないか?」と思ってしまった。それ以来、塾講師に楽しみを見いだせなくなり、与えられた時給分の働きを最低限こなすことだけを第一に考えるようになってしまった。このような自己嫌悪を抱き、辞めるのに至ったのである。

 2.それでも塾講師に復帰した理由

 無論、バイトを再び始めるのであれば他のバイトでもいいはずである。それでも嫌いになった塾講師をあえて選んだのは、「自分の問題は逃げたところで形を変えてでも追いかけてくる」と思ったからである。そもそも自己満足は悪なのだろうか?もちろん自分だけ一方的に満足するのは良くないだろうが、生徒も満足していた場合、それでも悪と断定できるだろうか?

 結局のところ、先に書き連ねた辞めるに至った経緯は自分の問題と向き合わず逃げた自分への言い訳であり、仮に他のバイトを始めたとしてもそのうち同じような問題にぶつかるのだ。どうせ同じ問題にぶつかるのであれば、かつて好きだった塾講師のバイトに再び従事した方が良い。たとえ向き合ったとしても、かつてこのバイト対して抱いていた好きという感情は戻らないかもしれない。それでも、自分の問題にフタをして嫌いになったままになるよりかは、自分の問題に向き合って納得した方が良い。このような動機も結局は自分勝手な自己満足なのだろうが、前進しているだけずっとましだ。

 3.自分を空虚な人間であると酔いしれるのはカッコ悪い

 以前の記事に、モラトリアム人間は空虚な人間であると書いたが、これは真っ赤な噓である。そもそも本当に空虚な人は先に述べたような問題を問題として捉えない。何かを持つことを恐れるがゆえに現状維持を望む、その言い訳のために空虚という言葉を使ってごまかす。つまり、モラトリアム人間空虚の皮を被った臆病者なのだ。そして何かを持つことを恐れていることに気付くのがモラトリアム人間脱却の第一歩であると願いたい。

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