中杉弘の人間の探求

中杉弘の人間の探求

思想・哲学・歴史・宗教の宝庫!読めば読むほど面白い!鋭い切り口で一刀両断。中杉ワールドへようこそ。

464 ※生まれるたびに仏に値いたてまつりて、何回生まれても速やかに仏道を成就します。 一番大事なことは、不軽菩薩の精神です。これを骨身に染みなさい。折伏も不軽菩薩の精神です。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 8


 「其の罪畢(お)え已って 命終の時に臨んで」
 
其の罪畢(お)え已って、命終の時に臨んで
 「此の経を聞くことを得て 六根清浄なり」
 此の経を聞くことを得て、六根清浄なり
 「神通力の故に 寿命を増益して」
 神通力の故に、寿命を増益して
 「復諸人の為に 広く是の経を説く」
 復諸人の為に、広く是の経を説く
 「諸の著法(じゃくほう)の衆 皆菩薩の」
 諸の著法(じゃくほう)の衆、皆菩薩の
 「教化成就して 仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る」
 教化成就して、仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る
 「不軽命終して 無数の仏に値いたてまつる」
 この不軽菩薩は、命が終わって無数の仏に供養することができたのです。
 「是の経を説くが故に 無量の福を得」

この経を説く人は、無量の福を得たのです。
 「漸(ようや)く功徳を具して 疾く仏道を成ず」
 漸(ようや)く功徳を具して、疾く仏道を成ず
 「彼の時の不軽は 則ち我が身是れなり」
 彼の時の不軽菩薩は、則ち我が身是れなり。

その時の不軽菩薩は、仏様から言うと「それは、私ですよ」ということです。貴方ではありません。それは、私なのです。
 「時の四部の衆の 著法(じゃくほう)の者の」
 時の四部の衆の、著法(じゃくほう)の者の
 「不軽の 汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは」
 不軽菩薩の、汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは
 「是の因縁を以って 無数の仏に値いたてまつる」
 是の因縁を以って、無数の仏に値いたてまつる
 「此の会の菩薩 五百の衆」
 此の会の菩薩、五百の衆
 「並及に四部 清信士女(しょうしんじにょ)の」
 並及に四部、
清浄な信仰をもつ在家の男女
 「今我が前に於いて 法を聴く者是れなり」
 今我が前に於いて、法を聴く者是れなり
 「我前世に於いて 是の諸人を勧めて」
 我前世に於いて、是の諸人を勧めて
 「斯の経の 第一の法を聴受せしめ」
 斯の経の、第一の法を聴受せしめ
 「開示して人を教え 涅槃に住せしめ」
 開示して人を教え 涅槃に住せしめ
 「世世(せせ)に 是の如き経典を受持しき」
 世世(せせ)に、是の如き経典を受持しき
 「億億万劫より 不可議に至って」
 億億万劫より、不可議に至って
 「時に乃し 是の法華経を聞くことを得」
 時に乃し、是の法華経を聞くことを得
 「億億万劫より 不可議に至(いた)って」
 億億万劫より、不可議に至(いた)って
 「諸仏世尊 時に是の経を説きたもう」
 諸仏世尊、時に是の経を説きたもう
 「是の故に行者 仏の滅後に於いて」
 是の故に行者、仏の滅後に於いて
 「是の如き経を聞いて 疑惑を生ずること勿(なか)れ」
 是の如き経を聞いて、疑惑を生ずること勿(なか)れ
 「応当(まさ)に一心に 広く此の経を説くべし」
 応当(まさ)に一心に、広く此の経を説くべし。

不軽菩薩の精神を持って、広く法華経を説いていくのです。
 「世世(せせ)に仏に値いたてまつりて 疾(と)く仏道を成ぜん」

生まれるたびに仏に値いたてまつりて、何回生まれても速やかに仏道を成就します。

一番大事なことは、不軽菩薩の精神です。これを骨身に染みなさい。折伏も不軽菩薩の精神です。

今、貴方は気が付かないけれども、本当は仏です。「俺が仏だと?」と思うのです。不軽菩薩は、「そうです、貴方は仏です」と言うのです。相手に疑惑が生じても説くのです。

それを説いている不軽菩薩は、お釈迦様と合体して、長い間、法を説くことができるようになるのです。それが終わると次の寿命も、とんでもなく長いのです。長い間、仏として説法ができるのです。

そのようなことをやっている間に、貴方もいつの間にか釈尊になってしまうのです。不軽菩薩が、釈尊になってしまうということは、不思議ではありません。それは、「不軽菩薩」という名において、釈尊がやっていることです。

「無量義は一法より生じる」ですから、その一法とは、釈尊です。そのような話です。生命とは、とんでもないくらい長い単位です。生まれてくるたびに、「世世(せせ)番番に成道を唱えて」(当体義抄)、仏様に会うことができて、供養することができるのです。

そして、貴方も衆生に向かって法を説くことができるのです。どのような法を説くのでしょうか? これが不軽菩薩の精神です。全ての生命は、仏様の子供です。衆生は、それがわからなくなってしまったのです。

豚や、牛や、馬に生まれると言葉が通じません。ライオンや熊のような猛獣に生まれても、言葉は通じません。それらの動物も、生命の現れたものですから、命そのものは仏です。全て同根です。命あるものは、全て同根です。そのようなことです。不軽菩薩の精神を学んでいきましょう。

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

其の罪畢(お)え已って 命終の時に臨んで

此の経を聞くことを得て 六根清浄なり

神通力の故に 寿命を増益して

復諸人の為に 広く是の経を説く
諸の著法(じゃくほう)の衆 皆菩薩の

教化成就して 仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る
不軽命終して 無数の仏に値いたてまつる

是の経を説くが故に 無量の福を得

漸(ようや)く功徳を具して 疾く仏道を成ず

彼の時の不軽は 則ち我が身是れなり

時の四部の衆の 著法(じゃくほう)の者の

不軽の 汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは

是の因縁を以って 無数の仏に値いたてまつる
此の会の菩薩 五百の衆

並及に四部 清信士女(しょうしんじにょ)の

今我が前に於いて 法を聴く者是れなり
我前世に於いて 是の諸人を勧めて
斯の経の 第一の法を聴受せしめ

開示して人を教え 涅槃に住せしめ

世世(せせ)に 是の如き経典を受持しき
億億万劫より 不可議に至って
時に乃し 是の法華経を聞くことを得

億億万劫より 不可議に至(いた)って

諸仏世尊 時に是の経を説きたもう

是の故に行者 仏の滅後に於いて

是の如き経を聞いて 疑惑を生ずること勿(なか)れ
応当(まさ)に一心に 広く此の経を説くべし

世世(せせ)に仏に値いたてまつりて 疾(と)く仏道を成ぜん

 

※次回は、『妙法蓮華経如来神力品第二十一』の講義がはじまります。ご期待ください!

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

 

 

 

462 ※ 跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)とは、 入浴せんとして悟りを開いたといわれる菩薩です。

 

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 7


得大勢、汝が意に於いて云何いかん。」
 得大勢よ、汝が意に於いて云何いかん。
「爾の時の四衆の、常に是の菩薩を軽しめし者は、豈(あに)異人ならんや。」

 爾の時の四衆の、常に是の菩薩を軽しめし者は、貴方と異なることはありません。

「今此の会中(えちゅう)の跋陀婆羅(ばつだばら)等の五百の菩薩、師子月(ししがつ)等の五百の比丘、尼思仏(にしぶつ)等の五百の優婆塞の、皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せざる者是れなり。」
 今此の会中(えちゅう)の跋陀婆羅(ばつだばら)等の五百の菩薩、師子月(ししがつ)等の五百の比丘、尼思仏(にしぶつ)等の五百の優婆塞の、皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せざる者是れなり。

 跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)とは、 入浴せんとして悟りを開いたといわれる菩薩です。
得大勢、当に知るべし。是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益(にょうやく)して、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。」
 得大勢よ、当に知るべし。是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を豊かにして利益を与えて、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。
「是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応(まさ)に是の経を受持し読誦し解説し書写すべし。」
 是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応(まさ)に是の経を受持し読誦し解説し書写すべし。
「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、」
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 「過去に仏有(いま)しき 威音王(いおんのう)と号づけたてまつる」
 過去に仏が有(いま)した。威音王(いおんのう)と号づけたてまつる
 「神智無量にして 一切を将導したもう」
 神通力と、智慧を無量にもっていて、一切を将導したもう
 「天人龍神の 共に供養する所なり」
 天人龍神の、共に供養する所なり。この仏様は、天神も、龍神も供養してきたのです。
 「是の仏の滅後 法尽きなんと欲する時」
 是の仏の滅後、法尽きなんと欲する時
 「一りの菩薩有り 常不軽と名づく」
 一りの菩薩有り。常不軽と名づく
 「時に諸の四衆 法に計著(けいじゃく)せり」
 時に諸の四衆、法に計著(けいじゃく)せり
 「不軽菩薩 其の所に往き到(いた)って」
 不軽菩薩、其の所に往き到(いた)って
 「而も之に語って言(い)わく 我汝を軽しめず」
 而も之に語って言(い)わく。我汝を軽しめず。

私は、貴方をバカにしません。
 「汝等道(どう)を行じて 皆当に作仏すべし」
 汝等道(どう)を行じて 皆当に成仏するのです。

貴方方も将来において、道を行じて、必ず仏になるのです。
 「諸人聞き已って 軽毀(きょうき)し罵詈(めり)せしに」
 諸人は聞き已って、不軽菩薩をバカにして、悪口を言ったのです。

「俺は悪人だから、成仏などするわけがないだろう」と思っているのです。
 「不軽菩薩 能く之を忍受(にんじゅ)しき」
 不軽菩薩は、能く之を我慢したのです。何と言われても、「貴方方は、仏ですよ」と言ったのです。すると「俺のことを仏だと言うのか?」と怒ったのです。何と言われても、不軽菩薩はこれをやめなかったのです。(8に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

得大勢、汝が意に於いて云何いかん。
爾の時の四衆の、常に是の菩薩を軽しめし者は、豈(あに)異人ならんや。

今此の会中(えちゅう)の跋陀婆羅(ばつだばら)等の五百の菩薩、師子月(ししがつ)等の五百の比丘、尼思仏(にしぶつ)等の五百の優婆塞の、皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せざる者是れなり。

得大勢、当に知るべし。是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益(にょうやく)して、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。

是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応(まさ)に是の経を受持し読誦し解説し書写すべし。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

過去に仏有(いま)しき 威音王(いおんのう)と号づけたてまつる

神智無量にして 一切を将導したもう

天人龍神の 共に供養する所なり
是の仏の滅後 法尽きなんと欲する時

一りの菩薩有り 常不軽と名づく

時に諸の四衆 法に計著(けいじゃく)せり

不軽菩薩 其の所に往き到(いた)って

而も之に語って言(い)わく 我汝を軽しめず

汝等道(どう)を行じて 皆当に作仏すべし

諸人聞き已って 軽毀(きょうき)し罵詈(めり)せしに

不軽菩薩 能く之を忍受(にんじゅ)しき

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

 

 

 

461 ※得大勢よ、不軽菩薩をバカにしたお坊さん、尼さん、在家の男女は、不軽菩薩に会うことはできません。二百億劫において仏に会うこともできなければ、法を聞くこともなく、僧を見ることもありません。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 6


「其の法の中に於いて、是の法華経を説く。」

其の法の中に於いて、是の法華経を説く。

「是の因縁を以って、復二千億の仏に値いたてまつる。」

また是の因縁を以って生まれて、復二千億の仏に値いたてまつることができたのです。

「同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。」
 その時の名前を同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。

「自在に燈を灯す王」と名付けたのです。
「此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。」
 此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。
 不軽菩薩は、畏れるところは何もなかったのです。そのような境涯になるのです。
「得大勢、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たり。」
 得大勢よ、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たのです。
「得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。」

得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。

「爾の時に常不軽菩薩は豈(あに)異人(ことびと)ならんや、則ち我が身是れなり。」
 
爾の時に常不軽菩薩は、この人と異なるのか? 則ち我が身是れなり。

仏様は、衆生と同じ活動です。衆生がいるから仏は現れてくるのであり、衆生も仏も同じです。
「若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能(あた)わじ。」
 若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に法華経を説けば、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるのです。
「我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。」
 我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。聞いた人も受持した人も阿耨多羅三藐三菩提を得たのです。
「得大勢、彼の時の四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、瞋恚の意(こころ)を以って我を軽賎(きょうせん)せしが故に、二百億劫に、常に仏に値(あ)わず、法を聞かず、僧を見ず。」

得大勢よ、不軽菩薩をバカにしたお坊さん、尼さん、在家の男女は、不軽菩薩に会うことはできません。二百億劫において仏に会うこともできなければ、法を聞くこともなく、僧を見ることもありません。

「千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く。」
 千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受けるのです。恐ろしいことです。
「是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)いにき。」
 是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)うのです。(7に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

其の法の中に於いて、是の法華経を説く。

是の因縁を以って、復二千億の仏に値いたてまつる。

同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。

此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。
得大勢、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たり。

得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。

爾の時に常不軽菩薩は豈(あに)異人(ことびと)ならんや、則ち我が身是れなり。

若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能(あた)わじ。

我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。
得大勢、彼の時の四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、瞋恚の意(こころ)を以って我を軽賎(きょうせん)せしが故に、二百億劫に、常に仏に値(あ)わず、法を聞かず、僧を見ず。

千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く。
是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)いにき。

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

 

460 ※人をバカにしないで、「どんな人でも成仏するのですよ」と名をしめして、不軽菩薩は大神通力をもったのです。不軽菩薩は、大神通力をもって法を説くと、誰にでも喜びを与えることができたのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 5

 

「此の如く多年を経歴(きょうりゃく)して、常に罵詈せらるれども、瞋恚(しんに)を生ぜずして、常に是の言を作す、汝当に作仏すべし。」
 
此の如く多年を経歴(きょうりゃく)して、常に不軽菩薩はバカにされるけれども、怒りを生じないで、常に是の言を作して、「貴方は、必ず仏になります」と言ったのです。
「是の語を説く時、衆人(しゅにん)、或は杖木(じょうもく)、瓦石を以って、之を打擲(ちょうちゃく)すれば、避(さ)けて走り遠く住して、猶お高声に唱えて言(い)わく、」
 是の語を説く時、衆人(しゅにん)、或は杖木(じょうもく)、瓦石を以って、之を打擲(ちょうちゃく)すれば、避(さ)けて走り遠く住して、猶お高声に唱えて言(い)わく、
 「我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべしと。」
 我敢(あ)えて汝等をバカにせず。「貴方方は、仏です」と言ったのです。
「其れ、常に是の語を作(な)すを以っての故に、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、之を号して常不軽と為(な)づく。」
 其れ、常に是の語を作(な)すを以っての故に、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、之を号して常不軽と為(な)づく。

仏道修行をしている坊さん、尼さん、在家の男女は、これを名付けて「常に軽しめず」と名付けたのです。
「是の比丘終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於いて、具(つぶ)さに威音王仏の、先に説きたもう所の法華経の二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根(げんこん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄を得たり。」
 是の比丘が命が終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於いて、具(つぶ)さに威音王仏の、先に説きたもう所の法華経の二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根(げんこん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄を得たり。

命がつきるときに、威音王仏がでてきて、法華経の二十千万億の偈を聞いたのです。法華経は、二十八品です。それが、まだまだあるということです。この法華経だけでは終わりません。全ての偈を聞いて、不軽菩薩はこれをよく受持して、眼根、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄になって、成仏することができたのです。
「是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳(さい)、広く人の為に是の法華経を説く。」
 是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳(さい)、広く人の為に是の法華経を説く。

これは、「生まれ変わって」という意味です。寿命を増すこと、二百万億那由他歳(さい)です。すごく長い生命を与えられて、広く衆生のために法華経を説いたのです。
「時に増上慢の四衆の、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賎(きょうせん)して、為に不軽の名を作(な)せし者の、其の大神通力、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。」
 時に増上慢の四衆の、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賎(きょうせん)して、為に不軽の名を作(な)せし者の、其の大神通力、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。

人をバカにしないで、「どんな人でも成仏するのですよ」と名をしめて、不軽菩薩は大神通力をもったのです。不軽菩薩は、大神通力をもって法を説くと、誰にでも喜びを与えることができたのです。

寿命が二百万億那由他歳(さい)も与えられているのです。その長い間、大神通力をもって、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆、不軽菩薩に従ったのです。
「是の菩薩、復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。」
 是の菩薩、復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。
「命終の後、二千億の仏に値(あ)いたてまつることを得、皆(みな)日月燈明と号づく。」
 死んだ後、二千億の仏に値(あ)いたてまつることを得、皆(みな)日月燈明と号づく。
 不軽菩薩は、二千億の仏に会って、供養することができたのですから、大功徳です。二千億の仏は、日月燈明といいます。(6に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

此の如く多年を経歴(きょうりゃく)して、常に罵詈せらるれども、瞋恚(しんに)を生ぜずして、常に是の言を作す、汝当に作仏すべし。

是の語を説く時、衆人(しゅにん)、或は杖木(じょうもく)、瓦石を以って、之を打擲(ちょうちゃく)すれば、避(さ)けて走り遠く住して、猶お高声に唱えて言(い)わく、

我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべしと。

其れ、常に是の語を作(な)すを以っての故に、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、之を号して常不軽と為(な)づく。

是の比丘終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於いて、具(つぶ)さに威音王仏の、先に説きたもう所の法華経の二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根(げんこん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄を得たり。

是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳(さい)、広く人の為に是の法華経を説く。

時に増上慢の四衆の、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賎(きょうせん)して、為に不軽の名を作(な)せし者の、其の大神通力、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。」

是の菩薩、復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。

命終の後、二千億の仏に値(あ)いたてまつることを得、皆(みな)日月燈明と号づく。

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

 

 

459 ※不軽菩薩は誰を見ても礼拝して、人さえいれば、みんなに頭を下げたのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 4


「亦威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけたてまつる。」
 亦、威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけたてまつる。
是の如く次第に二万億の仏います。皆同じく一号(いちごう)なり。」
 是の如く次第に二万億の仏がいます。皆同じく一号(いちごう)なり。

すごい数です。二万億の仏がいます。
「最初の威音王如来、既已(すで)に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力有り。」
 最初の威音王如来、既已(すで)に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力が有りました。
爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。
 爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。
「得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくる。」
 得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくるのか。
「是の比丘、凡(およ)そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、」
 是の比丘、凡(およ)そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、

仏様のいない世の中に、不軽菩薩がでてくるのです。
「我深く汝等を敬う。敢(あ)て軽慢(きょうまん)せず。」
 我深く汝等を敬う。敢(あ)てバカにしません。
所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。
 「所以は、どうしてか?」と言うと、汝等、皆菩薩の道を行じて、当に成仏を得るのです。

「而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但(ただ)礼拝を行ず。」
 而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但(ただ)礼拝を行ず。

教典も読みません。ただ、拝むだけですから、ぶん殴られてしまうのです。
「乃至遠く四衆を見ても、亦復故(ことさら)に往(ゆ)いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、」
 乃至、遠く四衆を見ても、亦復故(ことさら)に往(ゆ)いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、
 誰を見ても礼拝して、人さえいれば、みんなに頭を下げたのです。
 「我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆、当に作仏すべきが故にと。」
 我敢(あ)えて汝等をバカにしません。汝等皆、やがては成仏するのですから、貴方も仏です。
「四衆の中に、瞋恚(しんに)を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈(あっくめり)して言(い)わく、」
 四衆の中に、怒りを生じ、心が悪い者がいます。悪口罵詈(あっくめり)して言(い)わく、

「是の無智の比丘、何(いず)れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与(ため)に当に作仏することを得べしと授記する。我等、是の如き虚妄の授記を用いずと。」
 
是の無智の比丘、何(いず)れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与(ため)に当に作仏することを得べしと授記する。我等、是の如き虚妄の授記を用いずと。

お前は何を言っているのだ。俺が仏のわけがないだろう? 「貴方は必ず仏になります」と言うのは、架空で虚妄の授記です。増上慢の四衆は、「こんな糞坊主のことは、気にしなくていいよ。我々は自由で楽しいことをやればよいのだ」と言ったのです。(5に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

亦威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけたてまつる。

是の如く次第に二万億の仏います。皆同じく一号(いちごう)なり。

最初の威音王如来、既已(すで)に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力有り。

爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。

得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくる。

是の比丘、凡(およ)そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、

我深く汝等を敬う。敢(あ)て軽慢(きょうまん)せず。
所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。

而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但(ただ)礼拝を行ず。

乃至遠く四衆を見ても、亦復故(ことさら)に往(ゆ)いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、

我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆、当に作仏すべきが故にと。

四衆の中に、瞋恚(しんに)を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈(あっくめり)して言(い)わく、

是の無智の比丘、何(いず)れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与(ため)に当に作仏することを得べしと授記する。我等、是の如き虚妄の授記を用いずと。

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

 

 

37 ※偉大な仏が現れないと末法の衆生は、邪悪で救えません。 末法になったときに、この国土において、誰がでてくるのでしょうか? 誰かがでてくるのです。それが、日蓮大聖人様です。

 

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 3

 

「諸の菩薩の為には、阿耨多羅三藐三菩提に因(よ)せて、応ぜる六波羅蜜の法を説いて、仏慧(ぶつて)を究竟せしむ。」

菩薩になって修行している者のためには、阿耨多羅三藐三菩提をよせて、六波羅蜜の法を説いたのです。これは、最終局面です。声聞に対して、最終局面の法を説いたのです。

「得大勢、是の威音王仏の寿は、四十万億那由那由佗恒河沙劫なり。」
 得大勢、是の威音王仏の寿は、四十万億那由佗恒河沙劫なり。
 すごく長い寿命です。四十万億×那由佗×恒河沙×劫です。
「正法世に住せる劫数(こつしゅ)は一閻浮提(いちえんぶだい)の微塵の如く、像法世に住せる劫数は、四天下の微塵の如し。」
 正法世に住せる劫数(こつしゅ)は、一閻浮提(いちえんぶだい)の微塵の如く、像法世に住せる劫数は、四天下の微塵の如し。

正法に出会って、聞くことができるということは、全く希なことです。一切の衆生は、生まれて、何もわからないで死んでしまうのです。また生まれても、何もわからないで死んでいくのです。

生死、生死と繰り返して、生まれると、ドンブリコ、ドンブリコと、わけもわからないで流れていくのです。自分が何だかわかりません。いつ死ぬのかもわかりません。死んだ先は、どうなるのかもわかりません。

ところが、法華経の行者は、「どのように生きて、何のために死んでいくのか」ということが、わかっているのです。死ぬとまたすぐに、生まれてくるのです。衆生は闇の中に生まれてくるので、自分がどうなるのかもわかりません。

大宇宙をミキサーでくだいて粉にします。その粉の一滴をポタリと落とします。それで、1千年くらい経つと、またポタリと一滴落とします。大宇宙の全てをミキサーにかけて粉にするのですから、すごい数の砂ができるのです。それを一粒ずつ置くのですから、ものすごく長い時間のことを言っているのです。

これは、永遠の生命を説明しないと、わけがわかりません。お釈迦様だけの人生であれば、「カピラヴァストゥに王子として生まれて出家して、80歳まで生きた」と言えば、すんでしまいます。何も無量の長い時間を出す必要はありません。法華経は、永遠の生命を説いているのです。
「其の仏、衆生を饒益(にょうやく)し已(おわ)って、然して後に滅度したまいき。」
 其の仏、衆生を饒益(にょうやく)し已(おわ)って、然して後に滅度したまいき。

全ての衆生に説法し終わって、成仏せしめて、仏様は世を去るのです。
「正法、像法、滅尽(めつじん)の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき。」
 正法、像法、滅尽(めつじん)の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき。

仏様がいた時代のことを正法時代といい、仏様が滅して姿がなくなってしまったことを像法時代といい、「滅尽の後」というのが末法です。

正法時代は、お釈迦様がいらして教えを説きます。それを聞いた人は成仏できたのです。次の時代は、坊主の形は残っていますが、精神は坊主ではありません。お寺も残っていますが、誰も仏道修行をしていません。、「像」とは、形です。仏法という形が残る時代が、次の千年間の時代です。それが像法時代です。

末法は、像法時代も終わり、お釈迦さまもいません。法がない時代を末法といいます。どうしたら、末法の衆生は救われるのでしょうか? 末法には、法がありません。

ところが、心配はいりません。地涌の菩薩が現れてくるのです。『妙法蓮華経従地涌出品第十五』で習ったところです。地涌の菩薩が末法に現れて、末法の衆生を救うのです。

それは、お釈迦様の弟子の系譜ではなく、全然違う菩薩です。偉大な仏が現れないと末法の衆生は、邪悪で救えません。

末法になったときに、この国土において、誰がでてくるのでしょうか? 誰かがでてくるのです。それが、日蓮大聖人様です。(4に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

諸の菩薩の為には、阿耨多羅三藐三菩提に因(よ)せて、応ぜる六波羅蜜の法を説いて、仏慧(ぶつて)を究竟せしむ。

得大勢、是の威音王仏の寿は、四十万億那由佗恒河沙劫なり。
正法世に住せる劫数(こつしゅ)は一閻浮提(いちえんぶだい)の微塵の如く、像法世に住せる劫数は、四天下の微塵の如し。
其の仏、衆生を饒益(にょうやく)し已(おわ)って、然して後に滅度したまいき。

正法、像法、滅尽(めつじん)の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき。

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

 

458 ※勢至菩薩(せいしぼさつ)、梵名マハースターマプラープタ (महास्थामप्राप्त [mahāsthāmaprāpta])は、仏教における菩薩の一尊。「大勢至菩薩」、「大精進菩薩」、「得大勢菩薩」の別名がある。現在日本では午年の守り本尊、十三仏の一周忌本尊として知られている。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 2

 

 これから、本論の講義に入ります。

「爾の時に仏、得大勢菩薩摩訶薩に告げたまわく、」
 爾の時に仏、得大勢菩薩摩訶薩に告げたまわく、

得大勢菩薩は、勢至菩薩の別名です。阿弥陀三尊の右脇侍の仏です。
 「汝今当(まさ)に知るべし。」

 汝今当(まさ)に知るべし。

「若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の法華経を持たん者を、若し悪口(あっく)、罵詈(めり)、誹謗すること有らば、大なる罪報を獲(え)んこと、前(さき)に説く所の如し。」
 若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の法華経を持たん者を、若し悪口(あっく)、罵詈(めり)、誹謗すること有れば、大なる罪報を獲(え)んこと、前(さき)に説く所の如し。

法華経を説く人の悪口を言うと、大罰を受けます。はっきりと法華経に書かれているのです。法華経を説いている人を貶めたりする坊主、尼さん、在家の男子、在家の女子の法華経を受持している者の悪口を言うと、大罰を受けるのです。これは、本当です。

不軽菩薩が、「貴方には仏性があります」と言ったことは、真実です。法華経を説法している人の悪口を言った人が、罰を受けることも真実です。

罰を受けて目覚めるのです。「あっ、これは法華経を謗じた罰かな」と思うのです。少しでも、そのように思えば、運命の方向は変わります。そうなると、自分のやった行為に対して、反省することができるのです。

普通の人は、無反省です。「お金が儲かった」「競馬で損した」ということだけです。自分の行いについて、反省することはありません。仏教の反省とは、大きな反省があって、それに気が付くのです。
 「其の所得の功徳は、向(さき)に説く所の如く、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌、身、意(に)清浄ならん。」
 其の所得の功徳は、向(さき)に説く所の如く、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌、身、意(に)が清浄になるのです。

法華経を説く者は、眼は澄んでいて、耳にはきれいな音楽が聴こえます。鼻は良い匂を嗅ぐことができます。舌は美味しい食べ物の味がよくわかります。体は健康で、心も清浄です。六根の全てが清浄です。

六根がすべて狂っていると、眼もよく見えません。耳も聞こえません。鼻は悪臭が漂います。そのようになると、社会生活はできません。法華経の功徳を受けている人は、六根が清浄です。

得大勢、乃(ない)往古昔(おうこしゃく)に、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて仏有(いま)しき。」
 
得大勢よ、大昔に、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて仏がいました。

「威音王如来(いおんのうにょらい)、応供、正遍知、明行足、善逝(ぜんぜい)、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と名けたてまつる。」
 威音王如来(いおんのうにょらい)がいて、応供、正遍知、明行足、善逝(ぜんぜい)、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と名けたてまつる。
「劫を離衰(りすい)と名づけ、国を大成(だいじょう)と名づく。」
 劫を離衰(りすい)と名づけ、国を大成(だいじょう)と名づけたのです。
「其の威音王仏、彼の世の中に於いて、天人阿修羅の為に法を説きたもう。」
 其の威音王仏、彼の世の中に於いて、天人阿修羅の為に法を説いたのです。
「声聞を求むる者の為には、応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度(ど)し、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、

 声聞を求める者の為には、応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度(ど)し、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説いたのです。

生老病死を説いたのが、四諦の法門です。「何故、人間が生まれるのか?」というと、生命の法則です。生まれたものは成長して、成長すると病気になり、最期は必ず死ぬのです。

では、「どうしてこの世に生まれてきたのか?」というと、十二に分けて原因を説いているのです。それを十二因縁・四諦の法門といいます。

生老病死を脱することが、仏教の目的です。「どのようにしていけば、最後は涅槃を得られるのか?」ということを、十二段階に分けて説いたのが、十二因縁の法です。

我々は、そんなやり方をしません。最初から、妙法蓮華経を勉強しているので、十二因縁を勉強しても仕方ありません。だから、あまり深くは説きません。(3に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

爾の時に仏、得大勢菩薩摩訶薩に告げたまわく、

汝今当(まさ)に知るべし。

若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の法華経を持たん者を、若し悪口(あっく)、罵詈(めり)、誹謗すること有らば、大なる罪報を獲(え)んこと、前(さき)に説く所の如し。」
其の所得の功徳は、向(さき)に説く所の如く、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌、身、意(に)清浄ならん。
得大勢、乃(ない)往古昔(おうこしゃく)に、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて仏有(いま)しき。

威音王如来(いおんのうにょらい)、応供、正遍知、明行足、善逝(ぜんぜい)、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と名けたてまつる。
劫を離衰(りすい)と名づけ、国を大成(だいじょう)と名づく。

其の威音王仏、彼の世の中に於いて、天人阿修羅の為に法を説きたもう。

声聞を求むる者の為には、応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度(ど)し、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

 

 

578 ※仏になる種がないから、悪人をやっているのです。仏になる種を植えてあげましょう。それが、不軽菩薩の精神ですが、悪人にはわかりません。種をまいても、何になるのかわかりません。その種のことを「仏種」といいます。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 1

 

 今日から、『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』の講義を始めます。不軽菩薩は、誰を見ても、威張らなかった人です。ヤクザを見ても、泥棒を見ても、ペコリと頭を下げたのです。

 すると、「どうしてお前は俺に頭を下げるのだ?」と怒ったのです。不軽菩薩は、「貴方は、仏です」と言ったのです。すると、「俺が仏のわけがないだろう。俺は強盗をして、人をぶっ殺しているのだ。俺は悪人だぞ。どうしてお前は俺を拝むのか? その理由を言え!」と言うのです。

 不軽菩薩は、「はい、貴方様は仏様です。その仏様に対して頭を下げているのです」と言ったのです。悪人が、「また、お前は頭を下げるのか? いつまでやっているのだ、ぶっ殺すぞ!」と言うと、不軽菩薩は遠くのほうに逃げて、また再び拝んだのです。

 これが不軽菩薩の精神です。日蓮大聖人様は、法華経を広めるということは、不軽菩薩の精神だと言われています。どんな悪人でも仏性があります。それは、事実です。仏性を呼び覚まして、仏にしていかなければいけません。みんな仏になることができるのです。

ところが、豚や牛や馬になってしまったら、仏にはなれません。「生きている」ということは、仏性はありますが、豚や牛や馬になってしまったら、仏性があってもわかりません。

 人間の場合は、反省行ができれば、仏性がわかるのです。悪いことをやって何千年も地獄へ逝き、さらに何千年も経った後に最後は仏になることができるのです。不軽菩薩は、貴方の中にもっている仏性について頭を下げているのです。不軽菩薩の精神は、「あらゆる人に仏性がある」ということです。

しかし、「三世変わらざるを性となす」と言うのです。悪人は、三世常恒(過去、現在、未来)ともに悪人です。ちょっとやそっとでは、仏性など出てきません。

 縁に触れても悪人は、そのままです。「三世変わらざるを性となす」と言うのですから、三世は変わりません。過去世で悪人をやってきた人は、今世も悪人です。未来に生まれても悪人です。

 それは、長い間下り坂で地獄の底へ向かっているのです。悪人は、何回生まれても悪人に生まれて、地獄へ逝くのです。地獄の底まで逝ってしまうのです。地獄の底で待っているのが、地蔵菩薩です。そのために地蔵菩薩が用意されているのです。

 悪人は長い時間をかけて、地獄の底へ堕ちていくのですが、「助けてくれ、お地蔵様がいた!」と言うと、そこは地獄の底です。お地蔵様に救いを求めて、反省行を行い、やっとそこから生命が上に向きだして、地獄から這い上がることができるのです。

 ところが、すぐに地獄から抜け出せるわけではありません。長い間、地獄を経験して、運命が少しよくなって、善人になっていく方向へ行くということです。地獄の底に堕ちて、地蔵菩薩に会って、地獄を抜け出す間は、苦しむのです。

 「三世変わらざるを性となす」と言うのです。悪人の、三世は変わりません。好きで悪人をやっているのですから、本人が悪いのです。

 それでも、地獄の底で地蔵菩薩を拝むということは、悪人の中にも仏性があるということです。不軽菩薩は、悪人を拝んで教えているのです。「あの野郎、この悪人の俺を拝んだな。あのクソ坊主はなんだ!」と思うのです。

 悪人は、拝まれた瞬間にグサッときているのです。「あのクソ坊主は、俺のことを拝んだな」と思いだすのです。不軽菩薩に「やがて、貴方は仏になるお方です」と言われたことを思い出して、「冗談ではない。仏になんかなってたまるかよ!」と思うのです。

 しかし、言われてしまうと、悪人もちょっと変わってくるのです。一瞬でも「もしかして、俺は仏になれるのかな? あの坊主が俺を拝んだのは、どのような意味なのだろうか?」と考えると、それは仏種を植えたことになるのです。

 仏になる種がないから、悪人をやっているのです。仏になる種を植えてあげましょう。それが、不軽菩薩の精神ですが、悪人にはわかりません。種をまいても、何になるのかわかりません。その種のことを「仏種」といいます。

 末法においても、仏種を植えていくのです。末法は、悪人ばかり集まっています。その悪人を仏にさせていくのが、日蓮大聖人様の大本仏としての役割です。折伏をしていくのです。

 折伏をされた人は、烈火のごとく怒ります。「うるさいわね、法華経なんて聞きたくないわよ。私は今、テレビを見ているのよ。変な話をしないでよ!」と言われてしまうのです。

 折伏をしてごらんなさい。100人中100人がそのように言います。「南無妙法蓮華経を信じる? 冗談じゃないわよ。私は、宗教なんて、大嫌いなのよ!」と言われてしまうのです。「でもね、貴方には仏性があります。貴方の仏性に対して、私は拝んでいるのですよ」と言えば、入ってしまうのです。

 折伏を行じる時には、自分が不軽菩薩になったつもりで、折伏をしていくのです。ちょっとやそっとでわかる人間は、末法にはいません。だから、我々は末法にお役目を担って生まれてきているのです。衆生の仏性に届くように折伏を行じていきましょう。これが不軽菩薩の精神です。(2に続く)

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

 

147 ※大仏は、今のお金でいうと、6千億円かけて聖武天皇が造ったのです。すごい金額で造ったのです。「これで、衆生が幸せになれる」と思ったら、雷が落ちて、聖武天皇は、ご昇天してしまったのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経法師功徳品第十九』について 28


 「法華を持(たも)つの報は 一時に皆悉く知らん」
 法華を持(たも)つの報は、一時に皆悉く知るのです。
 「十方無数の仏 百福荘厳の相あって
 十方無数の仏、百福荘厳の相あって
 「衆生の為に説法したもう 悉く聞いて能く受持せん」
 衆生の為に説法したもう。悉く聞いて能く受持したのです。

私も信受いたします。
 「無量の義を思惟し 説法すること亦無量にして
 無量の義を思惟し、説法すること亦無量にして
 「終始忘れ錯(あやま)らじ 法華を持つを以っての故に」
 終始忘れ錯(あやま)りません。法華を持つを以っての故に
 「悉く諸法の相を知り 義に随って次第を識り」


 悉く諸法の相を知り、義に随って次第を識り

これは、諸法実相ということです。法華経の信心をしていると、諸法実相がわかってくるのです。
 「名字語言(ごごん)を達して 知れる所の如く演説せん」
 名字語言(ごごん)を達して、知れる所の如く演説したのです。
 法華経の功徳は、すごいでしょう。百福荘厳です。100人の福の神が、荘厳してくれるのです。一人の福の神ではありません。
 「此の人の所説有るは 皆是れ先仏の法ならん」
 此の人の所説有るは、皆是れ先仏の法なのです。

この人がこのような行動をとるということは、先にいる仏様の真似をしているのです。
 「此の法を演ぶるを以っての故に 衆に於いて畏(おそ)るる所無けん」
 此の法を演ぶるを以っての故に、大衆の中に於いても、畏れてはいけません。

畏れるものは、何もありません。龍神様も、諸天善神もいるのです。法華を保っているということは、世界最大の力があるのです。
 「法華経を持つ者は 意根(いこん)浄きこと斯の若(ごと)くならん」
 法華経を持つ者は、心が浄きこと斯の若(ごと)くなるのです。

法華経を信受している者は、心と根と相がすべて清いのです。
 「未だ無漏を得ずと雖も 先(まず)是の如き相有らん」
 未だ「悟っていない」と雖も、先(まず)是の如き相が有るのです。

「私はまだ悟っていない」と言っても、仏と同じ功徳を受けているのです。
 「是の人此の経を持ち 希有の地に安住して」
 是の人此の経を持ち、希有の地に安住して
 「一切衆生 歓喜して愛敬することを為(え)ん」
 一切衆生、歓喜して愛敬することを為(え)るのです。
 「能く千万種の 善巧(ぜんぎょう)の語言(ごごん)を以って」
 能く千万種の、善巧(ぜんぎょう)の語言(ごごん)を以って
 「分別して演説せん 法華経を持(たも)つが故なり」

分別して演説するのです。これは、法華経を持(たも)つが故なり

法華経を保った人は、根本の法は無量義一法で、もうわかっているのです。それは、すごい功徳があるのです。法華経を説いていくと、百福が舞い込んでくるのです。

「法華経を保った結果、貧乏です」とか、創価学会員のように離婚ばかり繰り返して、「3回も離婚をしました」というようなことは、ありません。

大仏は、今のお金でいうと、6千億円かけて聖武天皇が造ったのです。すごい金額で造ったのです。「これで衆生が幸せになれる」と思ったら、雷が落ちて、聖武天皇は、ご昇天してしまったのです。

仏教の間違いは、ここにあるのです。30メートルもある巨大な仏像を造って、「東洋一の大仏だ」と言っていたのです。当時の「東洋一」ということは、「世界一」ということです。世界一の仏像を造って、「日本は仏の国になった」と言って、聖武天皇は自分の頭を剃って坊主になってしまったのです。

聖武天皇は、非常に熱心な仏の信者だったのですが、法が間違っていたのです。大仏が何を教えてくれるのでしょうか? 天皇は法華経の修行をしないと、本来の力はでません。天皇家はクリスチャンの信仰を止めて、この法華経を信受して、法華経の行者になっていくことが、国が安寧になる一番大事なことなのです。

大仏を建立したからと言って、国が安寧になるわけがありません。凡夫の心を開いていくことが仏教です。天皇自ら、法華経を信受しなければいけません。

天皇は国の中心です。天皇から、無量義一法がでているのです。なるほど、それは法華経に書かれている通りです。天皇陛下は、法華経を信受しなければいけません。



妙法蓮華経巻第六

 

『妙法蓮華経法師功徳品第十九』

法華を持(たも)つの報は 一時に皆悉く知らん
十方無数の仏 百福荘厳の相あって

衆生の為に説法したもう 悉く聞いて能く受持せん

無量の義を思惟し 説法すること亦無量にして
終始忘れ錯(あやま)らじ 法華を持つを以っての故に

悉く諸法の相を知り 義に随って次第を識り

名字語言(ごごん)を達して 知れる所の如く演説せん

此の人の所説有るは 皆是れ先仏の法ならん

此の法を演ぶるを以っての故に 衆に於いて畏(おそ)るる所無けん
法華経を持つ者は 意根(いこん)浄きこと斯の若(ごと)くならん

未だ無漏を得ずと雖も 先(まず)是の如き相有らん

是の人此の経を持ち 希有の地に安住して

一切衆生 歓喜して愛敬することを為(え)ん
能く千万種の 善巧(ぜんぎょう)の語言(ごごん)を以って
分別して演説せん 法華経を持(たも)つが故なり

 

妙法蓮華経巻第六

 

 

※次回は、『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』の講義が始まります。ご期待ください!

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

 

457 ※龍神が怒ると雷になって、ガラガラガラと地上に落ちてくるのです。それは、龍神の働きだと言われているのです。龍神様が働くのです。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経法師功徳品第十九』について 27


「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、」
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 「是の人は意(こころ)清浄 明利にして穢濁(えじょく)無く」
 是の人は意(こころ)清浄で、明るくて汚れたところは無く
 「此の妙(たえ)なる意根を以って 上中下の法を知り」
 此の「妙法を信じる」という意根を以って、上中下の法を知るのです。

上中下とは、上品、中品、下品です。下品の人に説く教えもあれば、中品の人に説く教えもあれば、上品の人に説く教えもあります。この法華経は、上品の上に説く法です。
 「乃至一偈を聞くに 無量の義を通達せん」
 乃至一つの言葉を聞くならば、無量の義に通達するのです。

僕の法華経講義を学んでいる皆さんも、そのようになるのです。無量の義に通達できるようになるのです。

ここが、大事です。「一法」と言ってもわかりません。「妙法蓮華経とは、何か?」というと、この法を聞いた時が初めてです。「聞いたら、悟っておしまい」という法ではありません。

「貴方は、妙法蓮華経ですよ」と聞いても、それはわからないから、わかろうと思って修行していくことを法華経の修行といいます。説法を聞いてすぐに、「妙法蓮華経がわかりました!」などというわけにはいきません。

「今から、妙法蓮華経を教える」と師匠から言われて、弟子は、「はい、妙法蓮華経とは何ですか?」と真剣に学んでいくのです。信・行・学が大事です。この三つで、妙法を探求していくのです。

そうすれば、「無量義は一法より生じる」の一法がわかってくるのです。それを「信心」というのです。説法を聞いただけで、「はい、わかりました」などと言っても、実は何もわかっていません。
 「次第に法の如く説くこと 月(がつ)四月より歳(とし)に至らん」
 次第に法の如く説くこと、今の歳(とし)に至ってきたのです。
 「是の世界の内外の 一切の諸の衆生」
 是の世界の内外の、一切の諸の衆生
 「若しは天龍及び人 夜叉鬼神等」
 若しは天龍及び人、夜叉鬼神等
 「其の六趣の中に在る 所念の若干の種」
 其の六趣の中に在るのです。所念の若干の種

これは、大事なことです。正理会でも龍神様をお祀りしていますが、龍と法華経は、密接に関係しています。法華経は、諸経の中の王です。龍はあらゆる動物の中の王です。ライオンなど龍には、敵いません。だいたい、大きさが違います。龍は雷を鳴らし、雨を降らし、天候も自在に操ります。天を支配しているのは、龍神です。

龍神が怒ると雷になって、ガラガラガラと地上に落ちてくるのです。それは、龍神の働きだと言われているのです。龍神様が働くのです。

正理会に降り立った龍神様のおかげで、コロナウイルスhが、収束したのです。僕はずっと龍神様にお願いしていたのです。すると、龍神様の声が聞こえてきたのです。龍神様は、「鳥居を立ててくれ」と言われたのです。

今までは、親しみをこめて「龍ちゃん」と呼んでいたのですが、龍神様の前に鳥居をご安置すると、瞬く間にコロナウイルスの感染者が激減したのです。そのような神様の声は、非常に大事です。神様の声は、聞こうと思わないと聞くことはできません。

法華経は偉大な教えですから、龍神様が法華経を信受する人を守ってくれるのです。龍神様は、拝んでもよいのです。鳥居をご安置するということは、「拝む」ということです。そうでないと、単なる龍の像です。鳥居をご安置することによって、龍神様の神の力が働いてくるのです。(28に続く)

 

 

『妙法蓮華経法師功徳品第十九』

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

是の人は意(こころ)清浄 明利にして穢濁(えじょく)無く

此の妙(たえ)なる意根を以って 上中下の法を知り

乃至一偈を聞くに 無量の義を通達せん

次第に法の如く説くこと 月(がつ)四月より歳(とし)に至らん
是の世界の内外の 一切の諸の衆生

若しは天龍及び人 夜叉鬼神等

其の六趣の中に在る 所念の若干の種

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878