・・・・・誰かを近くに感じると、
自分と他者とのあいだには必ず距離があるという当然のことに気づかされる。
もっと彼女に近づきたいというよりも、自分がこの人になりたいと変なことをおもった。・・・・・
又吉直樹 『人間』 より
今から書こうとしてること、
どんなふうに書こうかと
一応悩んだりするわけです。
ド級の素人なのだから悩むことさえおこがましいし
何言ってんのなんですが。
特にこの又吉直樹の3作目の小説は前の2作に比べても、
これでもか、これでもかと
何かを生み出す人間や何かを表現する人間を
中途半端ならもちろん、抜きんでている人でさえ隙をついて
容赦なく闇へ闇へといざなうような
方々からの数多の思惑がうごめいていて・・・
なんていうことを書いていても
こんな自分の陳腐な表現がいやでくだらなくて
そうやってまんまと小説の世界に半身を引かれているわけで。
なんの話だ。
そうだ、そうだった。
なんか自慢なの、とか懐古のたわごとなの、とか
どう思われてもいいから書くけど
かつて言われたことがあるのだ。
「僕、○○ちゃんになりたいねん」と。
そんなことを言った男がいたのだ。
40年近く前に。
なのでこれを読んではっとしたのだが
正直言って、いまだにそれがどういう意味か、まったく分からないのだ。
憧れの同性に、憧れすぎて「この人みたいになりたい」
その最大級で「この人になりたい」までいくのは
なんとなくわかる。
それが憧れの異性であっても
ものすごくがんばったら、ちょっとわからないでもない。
でも、付き合っている彼女に対して
「貴女になりたい」というのは
どういうことなのだろうか。
映画の「君の名は」や「転校生」みたいなことなのか。
1ミリでも距離があることが耐えられないのか。
わからない。
そして今回改めて感じたのは
自分は「わからない」ことがあまり好きではない。
発想や想像を無限に広げられるものに興味がない。
そういう類の読み物も好んで読まない。
意味や理由や根拠が、ある程度理解できないと途中であきらめて投げてしまう。
これを言った彼とは
15年ほど前に再会し、SNSや同窓会で繋がっていたが
「あの時のあれってどういう意味やったん」などど聞く勇気もなく
そうしているうちに彼は10年前、48歳で進行がんが見つかり
診断から1ヶ月後に亡くなった。
どういう意味だったの。
「なんか言ってみただけ」
なのかもしれない。