昨夜は台湾の職場での食文化(笑)をアップしてから、旦那に書いた内容を教えました。
「えっ?!早自習に朝食が食べられないでしょ?」って旦那が驚きましたから、一晩中夫婦で楽しく学校での思い出を話していました。
だから、ここではちょっと自分の思い出を語りましょう。
今は社交的な性格になったので、大人になってから知り合った人は信じてくれませんが、自分がとても内気な子供でした。
遊ぶより絵を描いたり本を読んだりすることが好きで大人しすぎて、お父さんは「発達障害かなぁ」って心配していたそうです。
今振り返ると、自分でも若干発達障害気味だと思うところが、小学校6年生になって初めて授業の意味をかわることです。
その前に、ずっと「授業」=「静かに席に座って、40分くらい寝ないように我慢すること」だと思って、6年生のある日に急に気づきました。
「あっ!先生が教科書の内容を説明している!」って。
でも、幸いに、教育熱心なお母さんと自分に似合う教育環境を持っていますから、支障などありませんでした。
台湾では、「填鴨式教育(ブロ友の&さんによると、日本では詰め込み教育と言いますね)」というマイナスなイメージを持っている教育法を使っています。
それは、「理解はいりません。教科書の正解に沿って試験を受ければいい」という教育法です。
だから、毎日教科書を読みながら宿題を作って、お母さんに見せて、間違えたところをもう一度教科書を確認して改正すれば、7割の内容を覚えられます。
そして、お母さんは「評量(ピン・リャン)」という問題集を準備してくれました。
その時代の教科書はすべて「国立編訳館」という機構が発行したもので、どの学校でも同じの教科書を使っていましたから、問題集の精度もかなり高かったです。
お母さんは同じ問題集を3~5回くらい書かせました。
1回目は準備せずに書きますから、「正しく答えた問題=準備しなくてもいい問題」だから、頑張る範囲を絞りました。
後2~4回書くと、理解していないところでも正しく答えられました。
何回書いても間違ったら、お母さんに「間違った理由を教えてください」って言われますから、試験の時にまた同じ問題があると、その日に必死に探していた理由を思い出して、慎重に正解を入れます。
お母さんのおかげで、クラスでの順位はいつも1~3位でした(中学校になってから、同じ勉強法が通用しなかったけど)。
実は自分が席に座る理由がわからないバカであることが誰にもバレませんでした。
小学校6年間、ずっと「班長(学級委員)」や「副班長(副学級委員)」でした。
光栄でしたが、給料のないボランティアみたいキャラでしたから、正直、学校より職場でした。
学校に行くと、まずは当番がしっかりしているかどうかチェックしながら、宿題を回収します。
「宿題を家に忘れた!」「速くお母さんに電話をかけて。」
「宿題の作るのを忘れた!」「速く写して。」もちろん、出したのは自分の宿題でしたが。
毎日の8時からは20分間くらいの朝会なので、班長と副班長は1人が一緒に行ってクラスの列を管理して、もう1人が教務処へ行って学級委員の会議を参加します。
朝会がいつも1限目の時間と重なるので、授業はあまりしませんでしたね。
だから、1限目の残りは、先生が班長と副班長の宿題をチェックして、間違ったところを改正したら、当人に返して「見本として他の人の宿題を評価して。」って指令を出します。
学級委員の会議から戻したもう1人が会議内容を発表したり、2限目の講義内容を黒板に書いておきます。
先生は漢字練習など班長と副班長に任せられない宿題を評価しながら、生徒たちと喋りますね。
会話を参加する人もいますが、静かに朝食を食べる人もいました。
こっそり写した宿題をこっそり班長や副班長に出す人もいました。
2限目から普通の授業に入ります。教師は教師、生徒は生徒。
そして、3限目が終わった時の休憩時間はいつもより長いので、ほとんどの生徒は運動場へ行って汗まみれになるほど遊びます。
その時に教室に残るのは、仲間外れた人と私だけです。
自分は遊びが好きじゃない変わった子でしたが、一緒に遊ぶことを拒否しましたが、仲間外れに遭いませんでした
鈍感だったので遭ったけどわからなかった可能性もありますよね。
仲間外れた人たちはその時間を利用して、宿題などのことについて相談を求めてきます。
その時に仲間外れた人はほとんど服に酸っぱい臭いをする子でしたが、私にとって、3限目の休憩時間が終わった時に、クラスメート全員の体臭の方が苦手なので、平気でした。
4限目が終わると、昼ご飯。
学校の給食は1食40台湾ドル(およそ150円)だったので、正直まずかったです。
肉の皮には必ず毛があります。
野菜が変なにおいがします。
お母さんも同情しましたが、キャリアウーマンなので、昼にお弁当を送ってくれることができませんでした。
そしてある日、学校の向こうに新しい弁当屋がオープンしました。
学校は親族以外のお弁当を禁止していたので、お母さんは弁当屋と契約して(簡単なメモで約束しただけ)、相手が親戚に偽装して毎日お弁当を送ってくれました。
ここまで書くと、なんか、反省が必要かもしれない気がしました。
宿題を人に見せることも、校則違反してお弁当の出前を頼むことも、こんなに堂々と言えることではありませんよね。
今はルールを大事にしている大人になりましたから、未熟だった時代の思い出を許してください。