今日は、植松さんの記事をリブログ。
ちと長いけど、お時間ある時に是非読んでみて~
以下に、一部、抜粋させて頂きます。
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では、なぜ自信が奪われるのか。
それは、「くらべる自信」のおかげです。
僕らは、小さい頃から「比較」されます。
歩き出すのが、はやいの、おそいの。
しゃべるのが、はやいの、おそいの。
おむつがとれるのが、はやいの、おそいの。
学校の成績が、何位だの。
スポーツの成果が、何番だの。
そして、人よりたまたまちょっと上手にできることが「取り柄」と言われて、ほめられて、
それを頑張れ!一生懸命やれ!と言われます。
成果を上げたら、ほめられて、おだてられます。
そうじゃなかったら、がっかりされて、ため息つかれて、怒られます。
大人を不愉快にさせないために、必死に頑張って、それでも成果が出なかったとき。
そこには、絶望しかありません。
また、大人が「やれ!がんばれ!」と言うことに興味がなくなって、
他のことをやりたくなったら、「もったいない」と言われます。
または「お前がやりたいと言ったんだぞ!最後までやれ!」と言われます。
大人は、自信を増やそうとしているのだと思います。
よかれと思って、支えているつもりなのです。
しかし、実際には、自信を奪う行為になってしまっています。
このような「くらべる自信」は、世界一にならない限り、かならず敗北します。
しかも、その世界一も、一生保たなければいけません。
どんなにいい成績だとしても、常に怯えることになります。
また、「夢を追え」「夢を持て」とさんざん言われるのに、
その夢は、「職業」「資格」「進学先」の中から、1つだけを選べ、と言われます。
自分のやりたいことを「夢」だと言っても、それを聞いた大人が知ってる夢しか許されません。
しかも、「過去の成績」によって、「できそうな夢」しか許されません。
過去の成績は、変えることが出来ません。
その変えることの出来ない過去によって、未来をあきらめさせられるのです。
それは、
「努力してもムダだよ」
「お前の未来は、お前が頑張らなかったせいで、所詮こんなもんだよ」
と言っているのと、まったく同じなのです。
これで、自信が増えるわけないです。
これらの現象は、学校でも生じますし、家庭でも生じます。
親も、先生も、この「自信剥奪の連鎖」の中で育ってしまっていたら、
年齢が若い子ども達や、後輩に対して、「間違った自信」の増やし方をしてしまいます。
それは、連鎖して濃縮していきます。
でね、とっても残念な事ですが、
自信が無い人は、産業にとっておいしいお客さんなのです。
コンプレックス産業というものが存在します。
「学歴がないと、大変なことになりますよ」
とあおれば、愛する子どものために、親はお金を絞り出します。
これは、親の子どもへの愛情を利用した、恐ろしい産業です。
この状況を打開するには、
もうすでに「比べる自信」にとらわれた人達を変えるのは難しいです。
だからこそ、まだ比べる自信に汚染されていない子ども達を支えるのが一番です。
不必要な受験産業や資格産業から子ども達を守ることが大事だと思います。
そもそも、いまの日本の受験システムは、採点を容易にする努力をした結果、
ロボットに負ける人間を作る物になってしまっています。
もはや、「素直・まじめ・勤勉」だけでは、ロボットに負けるのです。
「暗記の量と正確さ」で勝負しても、ロボットに負けるのです。
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って抜粋しても長くなっちゃったけど
ホント、私たち親は、『良かれと思って』無意識に
子どもから自信とか、自己肯定感とか
大事なものを奪ってしまっていることって
沢山あるんだと思います。
そしてそれは何故かっていうと
やっぱり親である自分自身が、
そうやって他人軸の「くらべる自信」しか知らないから
なのですよね。
植松さんは、
“もうすでに「比べる自信」にとらわれた人達を変えるのは難しい”
と仰られていますが、もちろん難しいけれど、
でも、不可能ではないですよね。
自分一人が変わることは、自分が気付けば可能です。
きちんと自分に向き合い、自分を知ることで、
お母さんが、この『くらべる自信』から解放されると
子どもも、親子関係も変わっていきます。
そういう人が増えて、世の中が変わったら
とても素敵な未来になりそうですよね
そんなお手伝いが、少しでも出来たら・・という思いを
改めて感じた記事でした。
ちなみに・・・ほんと、大卒っていう条件、やめたらいいのに。
そうしたら、高卒にこだわる人も減るだろうし、
そうしたら、むやみに不安になる親子も減るだろうし・・
なんてことも、個人的に共感した記事でした。