感覚としてフィーリングシグナル

縷々として感じたことを。日々の叙情や詩を綴ります。

日々を縷々として書留ます。

ロックバンド、「butter butter」。それは僕の青春であり全てだった。

ロックバンドbutter butter
それは僕の青春であり全てだった。
脚色もなく、事実として。


2016年9月11日。

僕の中のひとつの世界が幕を閉じた。
静かに、あまりにも虚しく。



今回は僕が敬愛してやまない
butter butter(バターバター)」
について書こうと思う。

本当に愛しているからこそ、
彼らのことを記事にするは少し勇気が要る。

でも本当に素晴らしいバンドだったんだ。
少しだけ語らせてくれ。



いつか、ネットサーフィンをしていたころ、
何気なく集英社のウェブサイトを閲覧していた時のこと。

漫画「GANTZ」のページを何気なく眺めていたところ、
GANTZ」公式イメージソングが発表されていた。

「ハリィ」 - butter butter

なんとなく気になり
すぐに楽曲名でウェブ検索をかけた。

某動画サイトに楽曲がアップされているのを見つけ、
再生。



『少年たちが安定に見た 安定ゆえの存在の意義』


低い、深いボーカルの歌声。
エフェクターを通した無垢なギター。


『ロマンティックを いつも あげるよ』


曲が終わった刹那、
鳥肌と涙が止まらなかった。


ああ、最高だ。
こんなにも綺麗で純粋で優しくて救いのない歌があるんだ。


重苦しいマイナー調のコード進行、
深く響く男声。
脳に刺さるベースとドラム。

全てが感情を揺さぶった。

あまりに叙情的なバンドサウンドにすぐに
心を奪われた。

例えるのなら
Syrup16gpegmapBURGER NUDS
彷彿させるようなサウンドだった。

これだ。
邦楽ロックはこうあるべきだ。
そう感じた。

ゼロ年代初頭の邦楽ロックシーンの
影響を色濃く残し、
でもどこか幼く、
自分の少年期が投影されたようだった。



一気にbutter butterの虜になってしまい、
すぐにCDを注文。
当時、東京に住んでいなかった自分は
なかなかタイミングも合わずライブの機会にも
恵まれなかった。

iPhoneに楽曲を入れてヘビーローテーション
「ANCHOR」,「ミナモ」,「clear」
をひたすらに聴き倒していた。

ライブにだって参加した。
バターのライブを観に行くために飛行機で飛んだ。
堪らなく格好良くて素敵だった。


他のバンドにはない魅力があった。

何がとは言葉で説明し難い、
ただそう感じていた。


当時、素人ながらに音楽をやっていた自分は
彼らに夢を見ていた。夢を託していた。


いつか共演したい。
いつかテレビで、大きなステージで活躍する彼らを見てみたい。


彼らを目標に、夢に、努力していたつもりだ。





2016年9月11日。
butterbutterのワンマンライブが行われた。

解散ワンマンライブだ。

このライブを最後に、
活動の終了を宣言したライブ。

全楽曲の演奏が終了するまで
全く実感できなかった事実。


ライブ最中はただひたすらに楽しかった。
夢中だった。
まるでその事実を忘れたいが為のように。


終演後、とてつもない虚無感に襲われた。

ライブハウスではファン同士が談笑。

僕はただただ立ち尽くしていた。

心が空っぽになってしまった気分だった。

ただただ哀しかった。寂しかった。悔しかった。



ライブハウスを後にした帰路でも涙が頬を伝っていた。
電車の中でも、自宅までの夜道も、自宅に着いても、
ずっと、ずっと涙が止まらなかった。


僕の青春が、世界が、憧れが、
消えた。

そんな気持ちが溢れ出た。


愛していた。

本当に、本気で。



彼らは解散してしまった。

彼らが奏でる新しい音楽はもう聴けないかもしれない。

ただただそれが悔やまれる。
ただただ悲しい。

また彼らがステージで活躍する姿が見たい。
切にそう願う。


僕は今までbutter butterを聴いてきた。
これからもbutter butterの音楽を聴いて生きていく。

それまでの僕の人生の全てであった。




ラストライブで持ち帰った「シャットダウン」のCD。
未だに聴けていない。

聴いてしまうとbutter butterが本当に終わってしまうような気がしてしまうから。

本当に戻ってこないように思えてしまうから。



僕は彼らの音楽を愛していた。

僕はただそれを伝えたい。