論文が書きたいのに、書けない!!!
書けない、書けない、書けない!
研究テーマがあって、論文の方向性があって、
やるべきことも明らかになっていて、
自分にも書きたいと思う気持ちがあって、
あとは実行あるのみ!!
あとは書く作業をするだけ!!!なのに
パソコンを開いても、書けない!!!!!!
(誰か、わかってくださる人がいればとてもうれしいです。。)
私はものごとが上手くいってしまうと
よくこうなってしまうタイプらしいんですが、、
なんかもう、、いろいろ
自分の過去が
フラッシュバックしてきちゃうというか、、、なんというか、、、
私の過去(ほわわ~ん)
わたしは何かを記憶することがものすごく苦手で、
だからこそ「A⇒ならば⇒B!」と教え込まれる授業がものすごく嫌いで、
だから成績はそんなに誇れるほどではなかったのです・・・。
むかし、今でも自分で見ていて不思議だなぁ、
そんなありえないことあるのかなぁ、、と
なかば訝しげに感じることがあったのですけど、
わたしが大学生(学士取得前)だったとき、
ものすごく勉強ができる同期がいたんです
その人は、何でもできて、外国語の文法はできるわ、
単語もすらすらいえるわ、
先生たちから注目されるわ(最後に総代に選ばれてましたね)、
自分からすると、羨ましいと言っても言い切れないぐらいに
優秀な人がいたんです
そんな人を見ながら、私自身、
自分なにやってるんだろ、、とか落ち込んだり。
ところが、その方は、私たちよりも
ずっと考え込んで
悩んでいたことがあったんです。
その人は、卒業論文を書くときに絶対必要な、
「何を研究するか?」がなかなか定まらなくて、
苦労したのちに、
現地調査をする時間もなく論文を提出したそうなんです。
わたしは、ほんとうにびっくりしました。
どうしてあんなに、大学の評判ならかっさらっていくぐらいの、誰だって追いつけないような人が、自分の考えを書けないのだろうと。
(※注
実は、知識を覚えるのと違い、先人たちがすでに研究し尽くしているところを分け入って
自分で疑問点や先行研究の批判をするのはかなり難しいです。
私も含めて、研究あるあるです汗
なぜなら、ほかの研究者たちは
自分よりもはるかにベテランであり、
いろんな視点をひとつの論文にまとめて
書き上げているので、
こっちは読んでいるだけで
「ほー、世の中の仕組みってこうなのか!!!(゜△´゜)」
とナットクさせられてしまい、
結局批判なんてとてもできないのです。。)
わたしも、そういう
ホォ!!!!!!!!
そうなのか!!!!(゜△´゜)‼
なんか科学のチカラってスゲーーー!!!
\(゜▽´゜)ノ
みたいな気持ちになって、先行研究に素直に圧倒されたので、
結局いい卒業論文は書けませんでしたが。。。笑*
結局、大学で上手くいっている人がうまくいかなくなる場面を見ると、
世の中の不思議を感じていました。
そして修士に入って。。。
わたしのほうで、論文が先生に認められだすと、
エ!
(゜ ゜)
となり、
それから、論文が思うように書けなくなってしまいました。
自分は自分の主張する論には自信があるし、
書きたいと思う気持ちもあるのですけれど、
そもそも大学で何かで認められた経験なんて全くなくて
「本当に私の論旨のことを認めているの?」
と(いまでも)
素直に受け止められないところがありますし、
そもそも、なにぶん自分の心の奥底から考えていることを
外に出すことはほとんどはじめてなので*
自分の核が認められる一本勝負だ!という気持ちで
心血を注いで書き上げた論文が
「君の論には手落ちがある!却下!」
といわれたら、自分を否定されるようでものすごいショックだろうな・・・
とおもってしまったのです*
結構思い詰めていて、
ここ2週間、分析に一切手が付けられない状態でした*
なんていうか、「研究するのがこわい」という心境でした*
「研究するのがこわくて手が付けられない」病への現実的なアドバイス
それを、母に相談してみたら、
「絵を描いていたって、
毎日100パーセントのエネルギーで書けるわけじゃない。
毎日、この描き方でいいんだろうか、
空間はこの描写のかんじでいいのだろうか、
と、悩むものだよ。
それに、自分では自信満々になって
「これでいいんだ!」と思って絵を描いても
それが周りに評価されないこともあるし、
逆に、「これでいいのかなぁ。。提出期限が迫っているし出しちゃおう。。」
というものでも
なぜか周囲に認められちゃうこともあるのよ。」
「自信たっぷりに論文を書くと
鼻持ちならないものになるんじゃないのかな。
論点にいろんな隙が生まれてしまうものだから。」
ということばをきいて、
なるほどなと思って、ぶんけいはメンタルが回復したわけです*
研究には不安は付きまといます!
けど!
「上手くいかないかも」と
不安でいっぱいになっていたとしても
自分由来のその予感が
正しいともかぎらないそうです。
自分の研究なんて取るに足らないかもしれない、とか、
「研究の必要はない」
「手落ちがある」とか言われて
情けだけの気持ちで修士号を与えてもらうような
ふがいない結果になるかもしれない、
と思うこともあるかもしれませんが、
いい研究になるモノは、
どう悩んでもがいていても
いいものになるそうです!
(私もそうなるように頑張ろう*)
いっしょにがんばりましょう♪