弥勒殿(岐阜県恵那市明智町野志)

弥勒殿(岐阜県恵那市明智町野志)

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弥勒殿

弥勒殿 岐阜県恵那市明智町

岐阜県恵那市明智町野志にある、弥勒殿へ参拝に行ってきました。
御本尊の弥勒菩薩像は、日本立像三体(?)のひとつで、行基上人(668~749年)が作られたと伝わっています。
『日本立像三体』に関しては調べてみたもののよくわかりませんでした。
御本尊は17年に1度御開帳される秘仏のため、そのお姿を見ることはできません。(前回の御開帳は2017年)
耳病と武運に霊験あらたかだそうです。

弥勒尊佛縁起

弥勒殿 岐阜県恵那市明智町 本堂 弥勒尊佛縁起

本堂の正面右手に掛けられていた『弥勒尊佛縁起』。

弥勒尊佛縁起(みろくそんぶつえんぎ)

 当弥勒尊佛は日本立像三体の一で御丈三尺(約一メートル)伽羅木像で行基菩薩の御作と伝えられている。
 その後、慶長六年(1601年)に再興、次いで万治元年(1658年)九月、願主勝太郎左衛門等により尾州の佛師森庄九郎に託して再興、次いで亨保十四年(1729年)四月、庄屋根崎孫兵衛等により京都の佛師竹内幸助に託して修理再興されたことが台座に銘記されている。堂宇については初め野志郷井戸上に奉安されてあったが、宝永元年(1704年)八月、庄屋根崎助左ェ門等によって堂を再建、次いで正徳二年(1712年)庄屋喜平等によって現在地である野志村荒槙地内に堂宇を建立しここに奉遷した。越えて亨保十年(1725年)庄屋根崎孫兵衛村人と相計り善男善女の夜念佛奉加の浄財をもって厨子二宇を建造して奉納現存の弥勒、阿弥陀二尊の厨子がこれである。
 明治二十三年(1890年)八月、不幸祝融(火災のこと)に罹り、尊像と厨子は村人必死の努力によって奉遷されたが建物其の他は焼失した。村人は直ちに堂宇再建の計画を立て一致協力万難を排して作業を進め、一方近郷近在信者からの厚い義援もあって、翌明治二十四年(1891年)三月、現在の本堂の完成を見たのである。明治七年(1874年)一月、時の県令から開扉佛の認可を得て開扉し、尔後十七年毎に開扉供養厳修今日に至った。然してこの弥勒尊佛は霊験あらたかで古来武運長久及び耳病平癒の祈願佛として遠近の尊信極めて篤く、戦時中は兵士の安穏祈願のため参拝者跡をたたなかった。当野志郷中に日清戦争以後の戦後に直接敵弾に倒れた者が一名も無かったことも有難い御加護の賜と思われる。なお耳病平癒満願には錐十二本(月の数)を奉納する奇例があって堂前の格子には手作りの錐累々として掛けられてあり、中には遠く県外からの祈願者のものも見られ、いかに広く地方の人々の絶大な尊信の対象であられるかを知ることができる。
  註、この記録は杉野安住寺・当所櫻井家所蔵のものに據る。
   昭和五十三年三月三十一日記

本堂

弥勒殿 岐阜県恵那市明智町 本堂

まずは本堂へ。

鰐口(参拝時に鳴らす平たい円形の鐘)の辺りから本堂の中へと紐が渡されています。
中は暗くてよく見えないのですが、御本尊が安置されている(と思われる)厨子と繋がっているようです。
鰐口を鳴らし参拝・・・。



木彫りの弥勒猫 淡彩色 猫仏さま

石仏群

弥勒殿 岐阜県恵那市明智町 石幢

本堂の前に立っていた石幢(せきどう)。
六地蔵が彫られています。

弥勒殿 岐阜県恵那市明智町 石仏郡

本堂の左手に並んだ石仏、石碑郡。
向かいにあるイチョウが落葉していて、鮮やかな黄色に彩られていました。
振り返って本堂と一緒に。

弥勒殿 岐阜県恵那市明智町 イチョウと本堂

場所

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神社仏閣巡りをこよなく愛する写真家です。
夢は全国全ての神社仏閣を巡って写真に収めること。

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