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皇帝たちの中国史 その五

2020-09-27 21:10:04 | 読書/東アジア・他史

その一その二その三その四の続き
 日本人はとにかく三国志が大好き。三国志を扱った小説やアニメ、ゲーム、漫画は数多く生み出されており、ブームになったことがある。私はゲームをしないためよく分からないが、多くの英雄豪傑が戦いを繰り広げる世界は堪らないのだろう。ゲームの世界では戦の連続だが、実際は後漢末には人口が減り、満足に戦えなかったという。
 三国に落ち着いたのも、人がいなくて大戦争が出来なくなったからだった。そのため配下の人間をとりあえず町などの特定の場所に囲い込む。三国で争っていたのは事実だが、戦争そのものは局地戦で大きなものにはならず、三つに分かれて睨み合う時代が続いたという方がイメージとしては近いものがある、という。

 三国とも人が少ないため辺境で「人狩り」までしていたそうだ。は台湾まで行って原住民を数千人連れ帰り、雲南で人狩りをしたそうだ。このようなことは吉川英治の『三国志』に書かれていなかったはず。
 最も大々的に移住政策をとったのが曹操。多数の遊牧民を辺境から呼び込み、烏桓鮮卑は馬ごとやってきて、強力な騎馬軍団になる。そのため魏の騎馬兵は最強だった。三国志に登場する英雄は漢人ばかりだが、実際は多国籍軍だったようだ。

 20世紀の毛沢東時代、大躍進政策文化大革命により6千万ほどが餓死したとされる。当時の人口が5憶人程度なので、十分の一ほどが死んだことになる。
 但しシナの歴史上、もっとひどいことが何度もあったと著者は述べる。そのうちの一つが黄巾の乱から三国時代の混乱期で、十分の一が死んだのではなく、十分の一になったのだ。十分の一死ぬだけで想像を絶する惨状だが、死んだ割合が逆だから次元が異なる。

 ふと私はインドはどうだった?と思った。シナと違いインドは歴史書を書くのに熱意がなく、近代以前の大飢饉はあまり知られていない。wikiにあるインドの飢饉は英領統治下時代のみだが、この時代に頻発した飢饉の死者数は推計で5千万人を越えるとか。これもシナの惨状を知った後は、大したことがなく感じてしまう。インドの高官が独立以降、わが国では飢饉が起きていないと言ったのは、英中への当てこすりもあるのか。
 尤もインドの国土は地形が複雑であり、現代でも夥しい絶対貧困層が存在している。シナの極端な人口減少原因は飢餓もあるが、政府の統制が効かなくなり戸籍で実際の人口を捕捉できなくなったのもある、というコメントを頂いた

 第四章のコラム「シナ二千年の歴史で、漢人皇帝はたった四分の一」は苦笑させられた。「漢人」はこれまで何度も入れ替わっているので、遺伝的な連続性はあまりない。それにしても、「漢人」が皇帝だった期間は、始皇帝が皇帝制度を創設して以来、約四分の一しかない有様。
 ・三国時代・までは漢人王朝だが、は北方から南下してきた鮮卑族王朝だった。五代十国時代の河北の五王朝のうち三つはトルコ系で、後周北宋南宋ははっきり確認できないため漢人とする。契丹族女真族元朝はモンゴル族。そしてでやっと漢人王朝になるが、続くは再び女真族、後に名を改め満州族である。期間の長さを計算すれば、約四分の三が非漢人王朝だった。

 皇帝は替わるが、その多くは漢人ではない。人々にとって皇帝は何人でも良かったのだ。国家の上層で何が起ころうが、自分たちの生活とは関係がなく、直接関係があるのはせいぜい中央から降りてくる役人どまりなので、皇帝に対しては殆ど関心がなかったと言える。
 ただ、事績を冷静に分析すると、漢人ではない皇帝のほうが良い政治を行っており、特に明は暗君が続出した王朝です、と著者はいう。確かに明の印象は薄く、元・明の研究者は他の時代と比べて大変少ないそうだ。
その六に続く

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2 コメント

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文化的 (motton)
2020-09-28 11:34:17
日本人は中国史では、ダントツで三国志、次に春秋戦国なのですが、これらの時代は文化的なのです。

周も後漢もそれなりに平和で豊かだったために、登場人物のほぼ全てが文字の読み書きができ、曹一族を筆頭に高い文化的素養があります。だから、野蛮な意味不明な行為があまりなくて頭脳戦も多くて面白いのです。

これが南北朝とか遊牧系の征服時はただのヒャッハーなので(日本人としては)面白くないのです。
# 後漢の再統一時は文化的ですが、初代の光武帝が有能過ぎてドラマがない。
Re:文化的 (mugi)
2020-09-28 22:23:44
>motton さん、

 三国志はダントツで人気がありますが、次が春秋戦国でしたか。これらの時代は文化的という指摘にはハッとさせられました。極悪人と言われる曹操ですが、当時の第一級の詩人でもありました。但し当時の詩作はプロパガンダ目的もあったのですが。

 元朝が研究者から敬遠されるのは、中国史の他に北方遊牧民情勢やイスラムの知識まで必要とされるので、複雑すぎてお手上げだそうです。明も元の流れを無視できないため、めんどくせーとなるとか。