トーキング・マイノリティ

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黒王妃/くろおうひ

2019-09-08 22:40:11 | 読書/小説

『黒王妃』(佐藤賢一 著、講談社)を先日読了した。タイトルは黒衣を好んだことで黒王妃と呼ばれたフランス王妃からきている。その王妃こそカトリーヌ・ド・メディシス、フランス王アンリ2世の妃で彼女の回想を織り交ぜながら物語が進行している。カトリーヌ・ド・メディシスといえば西欧史では聖バルテルミーの虐殺の火付け役として悪名高いが、佐藤氏が描くカトリーヌ像は、単なる冷酷非情な悪女のイメージとは異なるヒロインになっていた。

 私が初めてカトリーヌ・ド・メディシスを知ったのは、永井路子氏の『歴史をさわがせた女たち 外国篇』(文春文庫)だった。ここでもカトリーヌは「バルテルミーの火つけ役」として紹介されていたが、当時の私は高校生、世界史で聖バルテルミーの虐殺を知ったばかりだった。
 事件の名は知っても、その背景にある旧教と新教の激しい対立は分からず、永井氏の本で王族もが虐殺に絡んでいたことを知って驚いた。世界史教科書には虐殺を描いた銅版画が載っており、教師が女性の髪を掴んで振り回す男を指摘した後、「一般に西欧人は女性に親切と言われますが、これほどのことをしたのです」と言ったのを憶えている。

 そのためカトリーヌには悪女のイメージがすっかり定着してしまう。フランス映画『王妃マルゴ』には、バルテルミー虐殺の長い場面がある。豪華絢爛な史劇で、マルゴを演じたイザベル・アジャーニは実に美しいが、全篇血生臭い印象が強い。映画でもカトリーヌは悪役、黒衣をまとった不気味な雰囲気を醸し出していた。
 映画を見た後、デュマの原作『王妃マルゴ』も読んだが、題名通り主人公がカトリーヌの末娘マルグリット・ド・ヴァロワなので、母親の印象は薄かった。

 ただ、デュマの小説でカトリーヌには「遊撃騎兵隊」と呼ばれた女官たちがいたことを知った。この作品にも「遊撃騎兵隊」に言及した箇所があり、「大仰な名がつくのは、それが三百人を数える大所帯だったから」とか。カトリーヌが王妃の頃は80人に過ぎなかったが、王母になってからはその数まで女官を増やしている。
 この女官たちは一言でいえば、えりすぐりの美女を集めたハニートラップ集団だった。いかにカトリックとユグノーが激しく争い、内乱状態だったにせよ、三百人もの女スパイを各勢力に放っていたとは恐れ入る。

 本作でスコットランド女王メアリー・ステュアートが黒王妃の嫁であったことにやっと気付いた。フランス語読みではマリー・ステュアールとなるそうだが、とにかく嫁姑は不仲だった。メディチ家の出自ということもあり、カトリーヌがフランス宮廷で商人の娘ととかく蔑まれていたのは知っていたが、嫁のメアリーまで「お店やさんの娘」と陰口を叩く有様。カトリーヌの母は実はフランス貴族の娘だが、母方の血筋は無視された。

 この生意気なスコットランドの嫁の振る舞いも、夫アンリ2世の愛妾として絶大な権力を振るったディアーヌ・ド・ポワチエから受けた屈辱に比べれば物の数ではない。黒王妃の回想の大半はディアーヌ絡みで、本作でディアーヌは徹底して嫌味な女として描かれている。
 そんな女にも平身低頭してまで夫の愛を勝ち取ろうとするカトリーヌ。冷たくされても夫を心底愛しており、やがて夫もカトリーヌに心服するようになる。本作ではいじらしい賢婦人の一面も描かれていて面白かった。
 ディアーヌは国王よりも20歳も年長なのに、王の死に際に至るまで寵愛を失わなかったのはスゴイとしか言いようがない。50を過ぎても美貌は衰えず、今風に言えば美魔女だろう。

 本作は30章「血なんか珍しいものじゃありません」で終っている。この章はバルテルミーの虐殺を扱っているが、カトリーヌはそれから17年後に満69歳で没した。非情な手段で新教勢力を一掃しても、フランス国王の座を巡って「三アンリの戦い」に突入、カトリーヌの子アンリ3世は子を遺さずに暗殺されヴァロワ朝は断絶する。カトリーヌはアンリ3世と同年の1589年に没しているが、息子より7箇月前に先立った。

 カトリーヌは旧教徒だが決して狂信者ではなく、我が子や国、宗教のために進んで虐殺の火付け役となったのだ。バルテルミー事件への反響は各国毎に違っているのは興味深い。新教国の英国女王エリザベス1世は喪に服したが、虐殺の報告を受けたスペイン王フェリペ2世は「わが生涯の最良の日」と言ったことが伝わる。
 ローマ法王グレゴリウス13世に至っては聖歌を歌って神を賛美、記念メダルを作らせている。さらに祝砲を撃って大祝典を行わせた。カトリック教会はこの虐殺を公式に謝罪したことがないという。

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鳳山)
2019-09-09 23:01:53
カトリーヌ・ド・メディシスの話ですか?彼女は好きなので非常に興味があります。私も探してみようかな。
鳳山さんへ (mugi)
2019-09-10 22:53:53
 鳳山さんがカトリーヌ・ド・メディシスをお好きだったとは意外でした。確かに妻や国母としては見事です。

 私は自由奔放な娘のマルゴや、齢を取っても国王の寵愛を失わなかったディアーヌに魅かれます(笑)。
メアリー・ステュアート (スポンジ頭)
2019-09-11 00:39:00
 メアリー・ステュアートは姑イビリをしていたのですか。ツヴァイクの伝記だと朗らかなフランス宮廷の生活を楽しみ、周囲の人物にも才気と美しさを称賛されたと言う書き方でした。どうもこの人は好きになれません。エリザベスやエカチェリーナの方がいいですね。
母親は完璧ではない (madi)
2019-09-11 04:27:11
萩尾望都『王妃マルゴー』では貫禄ある中年おばさんふうに彼女は描かれています。100年くらいかけてナントの勅令1598年もむなしくブルボン朝でプロテスタントをおいだしてしまい、彼女の思惑自体は実現しますが、結局は国力をさげてイギリスの世紀が出現することになってしまいます。

『スガリさんの読書感想文はいつもなばめ上』の2話で『手袋を買いに』で、スガリさんはお母さん狐のアドバイスの不完全さに憤慨します。お母さんは完璧でない、というのですが、ここのところをスガリさんがいうところ、ダブルミーニングになっています。よろしかったらよんでみてください。
Re:メアリー・ステュアート (mugi)
2019-09-11 22:16:45
>スポンジ頭さん、

 メアリー・ステュアートは姑イビリをしていたというよりも、とかく出自で蔑んでいたフランス宮廷の影響を受けたようです。特にメアリーが影響を受けた人物はディアーヌ・ド・ポワチエだったので、感化されたのかもしれません。

 本作でもメアリーはフランス宮廷人から才気と美しさを称賛されたという描き方でした。しかしカトリーヌは実際は浅知恵と見て、内心は馬鹿な嫁と思っています。その嫁に気弱な息子が頭が上がらないため、忌々しく感じている姑根性も描かれていました。

 確かにメアリーの死様では、姑から馬鹿呼ばわれされても仕方ないでしょう。TVドラマ「クイーン・メアリー」はNHKで放送されましたが、
あまりにも脚色たっぷりで1度見て止めました。
Re:母親は完璧ではない (mugi)
2019-09-11 22:18:45
>madi さん、

 萩尾望都が『王妃マルゴ』を描いていたのは知っていましたが未読です。カトリーヌは美食家だったし、子供を10人も出産していたので中年以降は肥満体となり、そのため黒衣を好むようになったとか。

 仰る通り完璧な母親などいないし、カトリーヌも殊にアンリを溺愛していました。そもそも人間自体が完璧ではありませんから。
Unknown (牛蒡剣)
2019-09-14 22:15:54
サン バルテルミーの虐殺はおぞましいの
一言ですが、カトリーヌさん面白い人ですね!

あのころで50でも寵愛を失わないというのは凄い!
美貌云々だけではなく夫への愛情は本物だったん
だなあと伝わってきます。所詮美人は3日で飽きるのものW

しかし遊撃騎兵隊は面白いアイディア!
王妃の立場を利用しつつ効果的に情報を集め
立ち回れる素晴らしい駒を用意したものです。
これだけでも抜け目のなさがわかります。

牛蒡剣さんへ (mugi)
2019-09-15 22:46:07
 私も本書を読んでカトリーヌのイメージが変わりました。冷酷なバルテルミーの虐殺の火付け役としか思っていなかったのですが、実に波乱万丈の人生で、歴史小説にはもってこいの人物です。

 50でも寵愛を失わなかったのは愛妾のディアーヌで、カトリーヌとアンリ2世は同年齢、王は40歳で没しています。ディアーヌはアンリの家庭教師を勤めていたし、子供時代から慕っていたのです。本書でも実は母親的な存在だったという設定でした。

 ハニトラ軍団を結成したのもスゴイですが、団員が妊娠した時、生まれてくる子供にもちゃんと貴族の称号を与える手配をしていたとか。この辺りは本当に抜け目ない。
Unknown (Y子)
2020-01-09 10:04:04
ディアーヌ・ド・ポワティエを表すなら、美魔女なサゲマンでしょうか。
カトリーヌが生んだ子供を取り上げて、養育したはいいが、アンリ2世を含めて名君になれず、また、メアリー・スチュアートも、男と遊ぶ以外は何も出来ないって言われ方されていたのを、以前、見た記憶があります。
ただ、カトリーヌが夫を一途に愛し続けた部分は、間違いだと思いますよ。
カトリーヌの伝記本で、彼女がアンリ2世へ送った手紙の翻訳を読みましたが、内容がただの事務報告書でした。
同じ本には、同時期に遠縁の美男な坊さんに宛てた見舞状も引用されていて、こちらの方が、情熱的なラブレターに見えましたね。
カトリーヌの手紙が全て直筆なのは有名なので、手紙の文面から察するに、アンリ2世は、カトリーヌの愛を失っていたように思いました。
愛を取り戻したいって願っていたのは、カトリーヌではなくて、アンリ2世の方でしょうか。
アカトリーヌが愛していたなら、アンリ2世の肖像画は、もっと派手な色の服になっていると思いますけどね。
Y子氏へ (mugi)
2020-01-09 21:18:46
 コメントを有難うございます。確かにディアーヌ・ド・ポワティエは美魔女なサゲマンかもしれませんね。養育した王子たちは名君になれなかったのだから。

 カトリーヌが夫を一途に愛し続けた部分は作者による創作が考えられます。この本は伝記よりも歴史小説だし、小説ならその方が面白い。そして貴殿が読まれたカトリーヌの伝記本とは誰による作品でしょうか?教えて頂けると有難いです。
 同じ人物でも、作者によって解釈が大きく異なるのが歴史書の特徴でもあります。記事は本書を読んだ感想で、カトリーヌに関しては小説以上の知識はありません。