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皇帝たちの中国史 その三

2020-09-25 21:40:34 | 読書/東アジア・他史

その一その二の続き
 本書に書かれている朝貢の実態は興味深い。中国皇帝と切り離せないキーワードに「朝礼」と「朝貢」があるが、歴代中国王朝の外交関係は「朝貢」として歴史書には書かれている。周辺諸国の夷狄どもが中国皇帝に服従して当然という、中華思想が如実に表れた対外姿勢と解釈する人が大半だ。
 しかし「朝礼」とは、元来は市場の開始前に行われるものだった。都市の真ん中に役所があり、その前に大きな広場の庭がある。これが「朝廷」で、「朝廷」の「廷」は本来「庭」の意味だったという。そこで市場開始の日の出前、暗い時分に全員で集まり、整列して神にお礼の儀式をする。これが「朝礼」だった。

「朝礼」の後、朝廷の北側にある市場で取引が開始される。この場に手土産、貢ぎ物を持っていき、「朝礼」に参加することを「朝貢」といった。「朝貢」は非常に古い言葉で、都市イコール国であった頃から存在していたそうだ。ちなみに「国」という漢字は城砦に囲まれた中を意味し、そもそもが城内イコール交易を行う町のことだった。
 学校の歴史の授業では、外国の使節が中国皇帝に朝貢する話しか習わないが、何と「朝貢」は外国人が行うものとは限らなかったそうだ。商取引をしたい人は誰でも朝貢する義務があり、地方にいる臣下は必ず定期的に朝貢した。挨拶しないと失礼に当たる。それゆえ漢族も「朝貢」の際に貢ぎ物を持参していたのだ。

「朝廷」で遠国から訪中したエキゾチックな服装の人々が、皇帝に珍しい品物を献上するのは、皇帝の権威を高める演出として効果的である。訪問者の国が遠ければ遠いほど、立派な大国であればあるほど、持参する品物が珍しければ珍しいほどいい。
 皇帝にとってもウェルカムな訳で、どんどん朝貢に来てほしい。だから顎足(あごあし・交通費・食事)つきだった。一歩でもシナに入れば、もう食べ物、飲み物、宿泊費用まで全てシナ側が持ってくれるのが普通だった。費用を負担してくれるばかりか、相応しい身なりをはじめ一挙手一投足を教えてくれた。

 これは現代でも変わらないと著者はいう。1972年の日中国交正常化による日中友好ムードが醸成され、多くの日本の政治家が中国側に「接待」される。「タダより高いものはない」と言われるが、好意で接待してくれる訳ではなく、「その代わり、後でどっさりよこせ」とエビでタイを釣る行為だったとも著者は述べていた。

 太古の昔、遠方からやってくる人々がシナの文字言語や風習に通じているとは限らず、それぞれの方面地域を担当するシナの役人が世話をし、体面を持たせていたのだ。
「こんなに遠い立派な国の人を連れてきました」となると、担当役人の地位も上がるため、衣装や装身具などで豪華に飾り立て、所作を教え、「こういうものを持っていったら喜ばれますよ」など、様々なアドバイスをし、万事いい塩梅に整える。使者は役人の言う通りにすれば、滞りなく朝貢を済ませることができた。
 そのため日本をはじめ異国から多くの使者が訪れ、シナ側では「こんな遠い処の偉い人物の使者が来た」と書き、遠方の使者は沢山の土産を貰って帰り、「また来よう」となったのだ。

 それがシナ大陸の文化、伝統という。朝貢とは強国に周辺の弱小国が従っているというより、シナが様々なエサで各地の人々を釣っている構図だったとする著者の指摘に驚いた読者は多かったはず。
 シナ大陸では権力闘争が凄まじく、その影響で接待合戦になっていたのだ。出世競争に勝つためには、ライバルよりも少しでも遠い国や地域から王や大富豪を呼ぶ。多少盛ってでも、そういうことにする。身銭を切ってでも立派な使節に仕立て上げて連れてくる。そのようにして「オレはこんな遠い所とも繋がりがある。だから、偉いんだぞ」と主張する必要があったのだ。

 今も基本的に同じらしい。現代では諸外国の方が中国の事情を心得ているし、全くの上げ膳据え膳ではないだろう。しかし考え方は変わらないが、朝貢する側も強制されて嫌々行っていたのではない。

 琉球(現沖縄)にしても得るものがあるから、儲かるから朝貢したのだ。琉球自身が作物や工芸品を作っていたのではなく、中継貿易で儲けていた。薩摩をはじめとする日本全土はもちろん、東南アジアなどから産品を入手、そういった品物がない所へ持っていくと、高く売れる。
 江戸時代には薩摩との両方に二股外交を行っており、薩摩側もそんな琉球を利用し、鎖国体制下で本当は本来は禁止されている対外貿易をしていたのだから、持ちつ持たれずの関係だった。
その四に続く

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4 コメント

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Unknown (鳳山)
2020-09-25 23:47:38
北方遊牧民が歴代シナ王朝に朝貢したのは儲けが大きかったからでしたね。ただあまりにも赤字が大きいのでシナ王朝が朝貢の数を制限すると、ブチ切れて略奪に変わりました。

明の英宗正統帝がオイラート部のエセン・ハーンに敗北し捕虜になるという前代未聞の大事件土木の変も発端は明王朝の朝貢制限でしたからね。
鳳山さんへ (mugi)
2020-09-26 22:37:06
 本書にもある通り朝貢する側も強制されて嫌々行っていたのではなく、儲かるから朝貢したのです。但し21世紀でもシナ人は中華思想丸出しで、朝貢とは自国に周辺の弱小国が従っていたと解釈しており、過去に朝貢した国々は中国領という大妄言を吐いています。

 カネがあればすぐに周囲はなびくという見方は、田舎成金そのものですね。
基本的構図 (motton)
2020-10-01 09:50:45
朝貢の基本的構図は「安全を金で買う」ということですからね。やくざ(異民族)へのみかじめ料。ハロウィンのお菓子。
金でなびかせているのではなく、金でなだめているのですね。異民族からしたら長城に引き篭もっている中華なんか怖くないわけで。

中華思想なんてのは国内向けの方便です。

やくざ(異民族)「こんにちは。お父ちゃんにお世話になっている○○です。お嬢ちゃんにおもちゃもってきたよ。」
お嬢ちゃん(中華の民)「ありがとうございます。お父ちゃん、すごいね。」
お父ちゃん(皇帝)「大事なお話があるから二階に行ってなさい」

やくざ(異民族)「おら。さっさと金だせや」
お父ちゃん(皇帝)「今日はこれくらいで勘弁してください」
やくざ(異民族)「なめとんのか。足りない分はお嬢ちゃんでもええんやで」

みたいな。

その方便を皇帝が信じてしまった例が正統帝。(土木の変はその結末がね。とても「明」らしいとはいえ。)
ただし、その方便が唯一通用した国があり、それが朝鮮です。後背地を持たない朝鮮だけは中華に守ってもらう立場だったので。(だから、朝鮮は日本などの海洋勢力と同盟することで、大陸勢力に強く出ることができるのですが、理解しないのですよね。)
Re:基本的構図 (mugi)
2020-10-01 21:53:38
>motton さん、

 朝貢の基本的構図とは、やくざ(異民族)へのみかじめ料やハロウィンのお菓子のようなものという例えは吹きました。先に鳳山さんが土木の変も発端は明王朝の朝貢制限とコメントされてますが、金の切れ目は安全の切れ目でもありました。

 本書の著者も中華思想は宋から始まったといい、遼や金を野蛮人として蔑む負け惜しみの思想と断言していました。方便でもあった負け惜しみの思想をドグマにしてしまったのが朝鮮。現代でも本気で“方便”を信じているようです。