トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

赤い髪の女 その二

2019-12-08 21:20:14 | 読書/小説

その一の続き
 ジェムにとってギュルジハンは初体験の女性で、この時彼は17歳、女は33歳だった。しかもギュルジハンは既婚者である。こう書れば、いかにも奔放な年増女によって“筆おろし”した印象を受けるが、ギュルジハンはかつてジェムの父の恋人だった。そしてジェムの父も左翼活動家だったのだ。毛沢東主義者が南アジアばかりか、トルコにもいたとすれば驚く。
 1度の交渉でギュルジハンはジェムの子を宿し、彼の息子となるエンヴェルが生まれる。成長したエンヴェルをジェムと引き合わせたのもギュルジハンであり、父子が因縁の場で対峙するシーンは作品のクライマックスだろう。

 長年ジェム夫妻は子供に恵まれず、密かに彼は息子がいたら…と思っていた。そのため息子の存在を知り、不安を感じつつもエンヴェルに会ったのだが、実際の対面で期待は裏切られる。エンヴェルは宗教系保守の雑誌に詩を載せたり民族主義に傾倒する若者で、左翼活動家だった祖父とは正反対だった。
 激しやすい性格で人間関係も上手くいかず、社会的地位も収入も低いため、父を何度も「ヨーロッパかぶれのかぶれの金持ち」と責める。予感がしたため、予めジェムは拳銃を密かに上着に忍ばせていたが、それが悲劇の引き金を引く結果となった。

 ジェムは30年前に親方を置き去りにした井戸の底で絶命する。その目を打ち抜いた弾は銃の暴発とされ、エンヴェルは正当防衛の行為が認められた。それでも未必の故意は明らかにあったはず。いずれにせよ親方を見殺しにしたジェムは、父に顧みられなかった息子により死ぬ。少しご都合主義を感じたが、因果応報の結末はさすがストーリーテラー。

 私的にはジェムがイランを訪問した26章が面白かった。彼はイラン人があまりにもトルコ人に似ているため、すっかり魅了されてしまう。道行く男たちの挙措や表情の浮かべ方、身振り手振り、何をするでもなくぼんやり佇む様など、どれもこれも私たちトルコ人とそっくりというのだ。西に向けて舵を切ってからというもの、私たちトルコ人はイランという国のことをすっかり忘れ去ってしまったのだ、と。

 この見方は作者自身の体験が反映されていると感じたが、本作へのパムクの対談記事を見たら思ったとおりだった。26章にあった一文、「イラン人は、西洋化するあまりに過去の詩人たちや物語を忘れてしまったトルコ人とは違うんですよ」は妙に気になる。先日イランの歴史教科書を見たが、確かにイラン人は過去の偉大な詩人を教科書に明記しており、決して忘れはしないだろう。
 イランとトルコの関わりも興味深い。西側諸国の禁輸措置の網の目を掻い潜り、膨大な数のトルコ企業が取引していたことが本作に載っていた。イラン訪問に同行したジェムの友人は、「この国はトルコ人にとって大きな可能性を秘めている」と意気込んでおり、ビジネスマンは禁輸措置などモノともしない様子。尤も密かに西側諸国の企業も禁輸措置の裏で密貿易をしていた可能性はある。

 訳者あとがきによると、トルコでは本書が発売されると、作品そのものへの評価から遊離してエディプス・コンプレックスと、それと対をなす「ロスタム・コンプレックス」を巡る白熱した議論が巻き起こったという。宮下氏はその詳細には触れなかったが、氏はイスタンブルについてこう述べている。
東と西の物語のいずれをも血肉としてしまったがゆえに、かえって万事を伝統と近代の名の下に我と彼に分類し、その真贋と優劣を判じねばならない宿命を背負うことになったのがイスタンブルという街なのだ

 イスラム文化圏で最初の「近代小説」が生まれたのもイスタンブルだそうだ。東西文明の十字路の街らしい宿命だが、果たして近代以前のトルコにはトルコ語で書かれた国文学があったのだろうか?幸いにして辺境の島国だったわが国には万葉集源氏物語などがあったが。

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