映画ボヘミアン・ラプソディを見たため、私と同じくクイーン熱が再燃したファンも多かっただろう。ここ暫くクイーンやフレディ・マーキュリー関連本を見る日が続いている。そのひとつで、バンドメンバー公認の伝記『クイーン 果てしなき伝説』(ジャッキー・ガン&ジム・ジェンキンズ著、扶桑社)に再び目を通したが、フレディの死去した頃(1991年11月24日)と現代との違いは興味深い。
連日のようにメディアが性的少数派LGBTへの理解を訴える現代と違い、20世紀後半はまだゲイには市民権がないのも同然だった。そしてフレディの感染したAIDSは不治の病でもあった。先の伝記にはフレディの死後の英国内の報道をこう紹介している。
―彼の死後、多くの新聞が追悼記事を特集したが、ほとんどがその才能を惜しむ内容だった。BBCラジオも大規模な追悼番組を放送し、BBC-ТVでも特別番組が放送された。世界中が深い哀悼の意を表したが、何人かの下劣な記者の中には「堕落した同性愛嗜好者の人生」といった、フレディの私生活をむやみに暴き立てるような、品性に欠けた救い難い記事を書く者もいた。
だが、ほとんどの人々はこの種の記事を無視したし、ましてや熱心なファンには、こんなクズにも等しい記事は読む価値もなかった。中傷記事の内容は痛烈だったが、すぐに忘れ去られていった…」(432-33頁)
伝記作者は記者名やその記事が載った報道機関の実名を挙げていなかったが、辛辣な中傷記事には定評のある英国メディアのことだ。記事の見出しだけでホモフォビアが露骨だし、ここぞとばかりフレディの性的嗜好を叩いたことは想像に難くない。
英国といえばホモが多い国、というイメージが付きまとうが、意外にも同性愛者には厳しかったことが『フレディ・マーキュリー/孤独な道化』(レスリー・アン・ジョーンズ著、ヤマハミュージック)に載っている。成人男性間の性行為は1967年にイングランドとウェールズで合法とされたが、スコットランドでは1980年まで、北アイルランドでは1982年まで違法だった。(46頁)
合法化される以前となれば完全な犯罪行為であり、暗号機エニグマ解読で知られる数学者アラン・チューリングは、戦後に19歳の若者と同性愛関係にあったことが発覚し逮捕されている。逮捕から2年後の1954年6月8日、将来に絶望したチューリングは自殺している。
合法化された後も人の意識はそう簡単には変わらない。『フレディ・マーキュリー/孤独な道化』には、フレディがまだ存命だった'80年代半ば頃、AIDSの広まりもあってゲイへの見方が厳しくなったことが描かれている。
特にハリウッドの二枚目俳優として知られたロック・ハドソンの死去後、エイズ患者がさらに無責任な性行為に及ばないように入院を命じる権限を治安判事に与える新法が成立した。同性愛者への暴行は日常茶飯事になり、間違った情報が巷にあふれる。バーク英国貴族名鑑に至っては「人類の純潔」を保つため、エイズ患者を出したことが知られる家族は記載しないという方針を公表する始末。(364頁)
クイーンのベーシスト、ジョン・ディーコンファンによるサイト「ベースのひと」がある。ここには音楽専科84年5月号掲載のジョンとロジャー・テイラーへのインタビューが引用されていて、ズバリ「同性同士の愛については!?」という質問まであるのだ。これへの2人の回答が面白い。
・ロジャー:ホモの友達の中には親友もいるよ。一緒にいて楽しいんだ。だから僕は同性愛に対して全く反対しない。
・ジョン:自然な法則に反しているけど、人によってそのほうがいいという場合もある。ただ問題は年をとってから子供が出来ない事への疑問や将来に対する不安できっと悩むと思うよ。だから僕は結婚したんだ。
インタビュアーや2人が誰を頭に浮かべていたのか、書くまでもないだろう。当時は同性婚など考えられなかったし、ジョンの見方が主流だったのだ。同性愛を“自然な法則に反している”と口にすれば、早々に差別主義と糾弾される現代とは隔世の感がある。
人気サイト・カラパイアの記事「今は亡きクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーとジム・ハットンの仲睦まじき姿を激写した思い出のアルバム」には18点の画像がアップされている。私はジムの著書『フレディ・マーキュリーと私』で既に見ていたが、公式の場とプライベートでは、フレディの表情がまるで別人のように違っていることに驚いた。恋人と一緒にせよ、穏やかそのものなのだ。ここから3件のコメントを引用したい。
・写真のフレディが幸せそう それだけでファンは幸せ(№11)
・同性でも異性でも、ここまで愛しあえる相手と出逢えたなら幸せだよなあ。写真ごしでも幸せが伝染してくる。こんなカップルになりたいね。(№35)
・美しい話だが…やっぱむさ苦しいオッサン二人というのがどうにもノンケには理解できなくてうーん(№73)
赤の他人に過ぎない性的少数派の外国人ロックスターには寛容な見方が出来ても、身内にゲイがいたとしたら同じでいられるだろうか?同性愛者というだけで迫害するのは論外だが、昨今の理解を強要する風潮に嫌悪感を覚える異性愛者も増えている。
◆関連記事:「性的マイノリティ、同性婚について」
AIDSが日本でも知られるようになった頃、セコイと有名になった前東京都知事が民放のТV番組で、「人類への神の罰」と言っていたのを憶えています。女癖の悪い国際政治学者殿が都知事の座を追われたのも、天罰だったのやら。
男女交際が難しい第三世界だとヤギやロバとヤる男たちがいますが、ミドリザルとはできるの?と思ったことがありました。抑えつければヤレなくもありませんが…
AIDSは分かってみると恐れることはない病気といえ、それまでには時間を要します。元から同性愛者に対しての蔑視があり、それがバッシングに拍車をかけました。同じAIDS感染者でもマジック・ジョンソンは異性愛者ということもあり、ゲイほどは叩かれませんでした。
隣にいる赤の他人の同性愛者よりも、身内に対しての恐れがあると思います。自分の息子がゲイと知って、平静でいられる親はいないでしょう。
私は同性愛であれロリコンであれ他人に迷惑をかけない限り認めることにしていますが、最近のLGBT正当化の運動には違和感しかありません。幸いにして身内にはこの類の人がいないので幸せなのかも?(笑)
フレディと同じく、性的少数派は身内にもそれを隠している人が多いようです。朝日新聞サイトにはLGBTにもLGBT運動家を嫌う人が少ないことが載っています。記者は「LGBTを掲げる活動家」が嫌いなLGBTの存在に驚愕していますが、「善意」の押しつけで嫌われるのは当たり前。次のゲイの発言は的をついています。
「(LGBTとは)自分のことではない。性的指向や性自認を売りに商売や政治活動をしている人たちの総称」(30代、東京、ゲイ)
https://withnews.jp/article/f0180402005qq000000000000000W03j10101qq000017108A