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祈り-ヴァジャ・プシャヴェラ作品集 その①

2018-10-16 21:10:11 | 読書/小説

『祈り-ヴァジャ・プシャヴェラ作品集』(児島 康宏訳、冨山房インターナショナル)を先日読了した。ジョージア(旧グルジア)の作家で、その作品は国民的文学になっているそうだ。図書館の新刊コーナーに置かれていたため、ふと手に取って見たら、日本では珍しいジョージアの文学であることが判った。シンプルなはらだ たけひで氏のイラストが良かったし、プシャヴェラ作品は初の邦訳という。訳者によるあとがきは、こう始まっている。

―ヴァジャ・プシャヴェラ(1861—1915)は、ジョージア(グルジア)文学を代表する詩人・作家の1人です。本書はヴァジャ・プシャヴェラの数多くの作品のなかから、代表作である3篇の叙事詩「アルダ・ケテラウリ」、「客と主人」、「蛇食う者」と、散文の短編「仔鹿の物語」、「ヤマナラシの木」、「カケスの結婚式」の日本語訳を収めました。
 ヴァジャ・プシャヴェラ(Vazha-Pshavela)は筆名で、「プシャヴィの男(あるいは息子)を意味します。プシャヴィとは、彼が生まれ育ったジョージア北東部の山岳地方の名前です。本名はルカ・ラズイカシュヴィリ(Luka Razikashvili)といいました。
 ヴァジャ・プシャヴェラは、プシャヴィ地方の山間の小村、チャルガリ村に村の教会の司祭の次男として生まれました。ジョージアがロシア帝国の支配下にある時代です……(165頁)

 私も含めて多くの日本人はジョージアといっても、せいぜい力士・栃ノ心が浮ぶ程度でなじみの薄い国だろう。ジョージアがコーカサス地方の国であることは知っていたが、この国は南コーカサス諸国に属している。
 そしてコーカサス地方は民族構成が極めて複雑、常に民族紛争の火種が尽きない。この地域でのキリスト教徒アルメニア人と、チュルク系ムスリムであるアゼルバイジャン人との対立は日本でも報じられたが、ジョージアでもキリスト教徒住民と北隣に住む異民族のムスリムとの血生臭い戦いがあったことが作品で描かれている。そもそも南コーカサス地方は、「山岳で隔てられていることもあり、各国の文化は大きく異なっていて、共通点は少ない」(wiki)ため、民族対立は根深いものがあるようだ。

 本の最初の一篇「アルダ・ケテラウリ」とは主人公の名で、(ヘヴスリの暮らしより)という一文がタイトルの次にくる。本の解説に“ヘヴスリ” とは、「ジョージア北東部の山岳地方ヘヴスレティの住民。ジョージア人」とあった。ヘヴスレティ地方は作者の故郷プシャヴィの北側にあり、現代のジョージアの北東の端になっている。この地方はロシア連邦の一部であるイングーシ共和国チェチェン共和国に接している。

「アルダ・ケテラウリ」に描かれているのは、ヘヴスリ達の暮らしなのだ。厳しい山の自然のなかで、ヘヴスリたちはキスティやレキ(チェチェン共和国の東側に位置するダゲスタン諸民族)など、北隣に暮らす異民族たちとの争いに明けくれている。血の復讐の連鎖に終わりはない。キスティやレキはムスリムであり、キリスト教徒であるヘヴスリたちと、どだい信仰自体が異なっている。
 但し訳者の解説によれば、ヘヴスリ達のキリスト教は、土着の信仰とキリスト教が混ざり合ったもので、我々が知るキリスト教とはかなり異質のものであることに注意する必要があるそうだ。
 異質といえば、ダゲスタン諸民族の信仰するイスラムもアラブやトルコのようなイスラム教とは異なっている。山岳地域ということもあり、この地方のイスラム化はゆったりで、土着の信仰に加え、ミュリディズムと呼ばれる神秘主義の影響が濃い。

「アルダ・ケテラウリ」は1888年に発表された叙事詩だが、描かれている時代背景はもっと古いようだ。かつてヘヴスレティ地方には、打ち取った敵の右腕あるいは右手首を切り取って持ち帰り、家の石垣に掛ける習慣があったことが載っている。石垣に掛かる手の数が多いほど、優れた戦士として賞賛された(11頁)そうだ。
 まさか19世紀後半までそのような習慣が続いていたとは思えないが、家の石垣に敵の右腕または右手首をかけていた地域があったことに仰天した読者が多かっただろう。打ち取った敵将の首を何時までも城塞に掲げていた戦国武将など、考えられないではないか!当たり前だった敵の右腕または右手首を切り取る習慣を拒絶した人物こそ、アルダ・ケテラウリなのだ。
その②に続く

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