雨音の大きさに目が覚める。昨日洗濯しておいてよかった。

ヒガムコでコーヒーを飲んでマスターとお喋りしているうちに雨が上がった。

新宿三丁目のKEN NAKAHASHIに。コロナ以降、このギャラリーは完全予約制になっていて、同時に一人(一組)しか入場できない。おかげでオーナーの中橋さんと気がねなくお話しすることができた(むろんマスク越しで)。

今回は写真家の森栄喜さんの展示だけど、出展されている写真は小品三点のみ。展示室内には大きなラウドスピーカーが置かれ、さまざまな人の声が途絶えなく流れている。

日本語の声からは、それが日本語を母語とする話者によるものでないことがわかる。たどたどしさの残る、どこか不安を抱えたような声。英語やフランス語、中国語らしい声も聞こえる。何語か推察できない言語の声も。

これらの声は、作家によるテキストを、作家の友人25人に、それぞれ自分の母語ではない言語で朗読してもらったものだと中橋さんが教えてくれた。

時節柄、時折窓の外からは選挙の街宣車の音が入ってくる。換気のためにギャラリーのドアは開けられているので、階段を掃除する音も聞こえる。そういったノイズも含めた環境の中で、さまざまな背景を持つ人たちの声を聞いている。

展覧会名の「シボレス」は、旧約聖書の物語にある、異民族を暴くために用いられた言葉から取られているのだという。

新宿御苑前の蒼穹舎に。多々良栄里さんの写真展の最終日、残り30分程というところで滑り込み。多々良先生は、数年前に私が四谷三丁目の現代写真研究所の基礎科に通っていた時の講師の一人。

「文と詩」という展覧会名から、文芸的な内容なのかなと思うと、先生の旧友の女性と彼女の亡くなったパートナーの二人の名前から取ったのだという。

写真は、伊豆半島の南端、南伊豆市の山中で狩猟に携わる人々の姿を捉えたもの。古くからの地元の猟師もいれば、猟の行われる時に東京から参加する人もいるとか。その二人もまた猟に参加していた。

山の中では生と死が近い。野生動物が相手では、猟犬がいなければ人間は無力に等しいのだとか。思えば狩猟は人間と犬の関係のはじまりだった。獲物を捌き、酒を手に火を囲む。まるで神話の登場人物のよう。さらに、そこに件のパートナーの死が重なる。確かにこれは詩的な情景かも知れない。

銃とカメラの共通点という話になった。なるほど、銃と弾丸の関係はカメラとフィルムの関係と通じるようだ。そう言えば射撃も撮影もshootという。

実はKEN NAKAHASHIの後、一旦帰宅してから蒼穹舎に出掛けている。そのまま向かえば歩いていける距離なのに、右往左往した日。8,168歩。

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