萩原健一と沢田研二とが共演している鈴木清順監督作品「カポネ大いに泣く」を視聴。出演者は萩原健一、沢田研二、田中裕子がメインでしたが、加藤治子、樹木希林、峰岸徹、チャック・ウィルソンといった面々。このチャック・ウィルソンは「アル・カポネ」役でした。

これは…まぁ、率直に言ってしまうと、作り手はやりたいようにやったが、視聴する側からすると分かり難い作品になってしまったんだろうなぁ…というのが第一印象でした。シーンとシーンとの繋がりが細切れなので、序盤は何が何だか分かり難い…。もしかしたら娯楽作品としての何かを狙っていた作品なのかなぁ。

開始から5分もしないで、田中裕子演じる女が萩原健一演じる男の股間に顔を埋めるシーンとなり、軽妙な描写ながら飛ばす飛ばすの作風を感じ取ることになる。軽妙洒脱な作風なのか、樹木希林がタライの中にズッコケて入り、その後、ショーケン演じる男と勘違いして梅宮辰夫演じる男の寝入りを襲い、腰を動かしているなど、序盤から飛ばす飛ばす。しかし、登場人物がどうなのか、どういう人物設定なのか意味が分かり難いところがあるので、それらの思い切ったハチャメチャも、私が思うに不発気味。詰め込み過ぎてしまったのか、特に序盤はシーンとシーンとの繋がりで戸惑わされる。

そのハチャメチャな世界観なので、視ていても追いつけないという感じ。ようやく物語が動き出すのは、萩原健一演じる桃中軒海右衛門(とうちゅうけん・かいえもん)がアメリカに渡って、アメリカで浪花節を広めると言い出し、その海右衛門の妻となった田中裕子演じる小染がアメリカに渡ってから。

大筋・粗筋はというと、海右衛門は日本流をアメリカでも貫き通し、「アメリカで一番、偉いのは誰だ? 大統領なのか? だったら、その大統領の前で俺の浪花節を聞かせてみせるぅぅぅ」というノリを通す。しかし、時代は禁酒法時代のアメリカであり、海右衛門は「夜の大統領」であったアル・カポネの前で浪花節を披露することになるというのが基本線になっている。

これは、このキャストで、とんでもない映画をつくったものだなぁ…と思いながらの視聴でした。萩原健一が演じている浪花節師の海右衛門のキャラクターは掴みにくい。剛毅な日本男児気性のキャラクターなので、上滑りするところの面白味というのを、視聴者が掴みにくい。田中裕子は、この時代はピカイチだったのでしょうが、いちいち、チャーミングである。そして、ここへ、どのように沢田研二が絡んでくるのかと思ったら、沢田研二は「ガン鉄」という当時のアメリカ西海岸に根を張っていた日本人集落のボス的な存在の人物である。元々のボスは峰岸徹演じるキャラであったが、後にボスがコケた後に、ガン鉄がボス的存在となり、アル・カポネらアメリカン・マフィアを相手にしてゆく。

視聴を続けているうちに、ようやくこちらのアタマも追いついてゆく。とうとう、ガン鉄(沢田研二)と小染(田中裕子)の二人は、アル・カポネ(チャック・ウィルソン)の元へ、「シスコ正宗」なる日本酒の販売権を売りつけに行く。イエローモンキー如きが、何を売りつけにきやがったという空気の中、何故か海右衛門が登場し、アル・カポネに浪花節を披露しようとする。しかし、マフィア一行から圧力を受けて萎縮する。すると、海右衛門の妻でもあった小染がピアノの上に駆け上がって、トンと腰を下ろし、背中をはだけさせ、タコの入墨を見せながら、カポネに啖呵を切る。おお、そういう風に日本を描こうとした映画なのかと合点することになりました。ナメてもらっては困るでござんす、の世界。この無謀さがジャパネスクの心意気なのでしょう。小柄で童顔ながら田中裕子は何をやってもサマになっている。

終盤になってからですが、メリーゴーラウンドの前で、ショーケン演じる海右衛門が浪花節を唸りまくり、その脇で田中裕子演じる小染が片足を立てながら、粋な感じに三味線を弾いているシーンなどは、ひょっとしたら、屈指の名シーンかも知れない。(もう一人、リリアン役の白人女優が海右衛門を盛り立ててダンスをしている。)また、この頃までには、気のせいかショーケンが演じている浪花節に味を感じ取れるようになってくる。唸っているのは何やら「本能寺の変」を思わせる一節であり、歌い出しは「時は今」であり、「目指すは本能寺」とか「明智光秀」とダミ声で唸っている。べっべけ、べん、べんべんべん。いやいや、凄い凄い、ジャパネスクなカッコ良さ、心意気を描いていたのだ。

また、幾ら浪花節を披露しても振り向かれない海右衛門はチャップリンの物真似を披露する。これは驚きましたが、ショーケンはかなりの精度でチャップリンをコピーしている。コピーっぷりが中途半端ではなく、「あれ? 誰が演じているんだろう」と思ってしまうようなコピーっぷり。ちょび髭をつければチャップリンだが、ちょび髭を取ってしまうとジャップ野郎に早変わりとなり、プラカードを持ったKKK団を含むアメリカの群衆から追いかけ回される等の風刺的描写なんてのを、絶妙に戯画的に演じている。ショーケンは社会人としては多くの問題を抱えていた可能性が高いが、反面、演技にかけての尋常ならざる執着ぶり、鬼才ぶりが確認できる。

物語の展開上、小染は呆気なく死んでしまう。いつぞや事務所へ乗り込んできて、その背中の入墨を見せながら啖呵を切っていったチャーミングなジャパニーズ・コムスメ「小染」、その小染を気に入っていたアル・カポネは、その小染が既に死んでしまっていると聴き、大いに泣く。

作り手の側の遊び心満載、意欲作なのは間違いなく、「シーン」という断片で切り取れば見所がありそう。但し、全体を通して作品として評価せよと言われてしまうと、やはりチグハグ感が否めない作品のような印象でした。総合的に作品として評するなら☆☆ぐらいなのですが、ショーケン&田中裕子のメリーゴーラウンド前での浪花節のシーンや、ショーケンの演じるチャップリンは見所があり、或いはショーケンとジュリーが一つの画面に収まっているシーンなどは希少価値もあり、ギャング団による襲撃シーンになると、テレビゲーム的というかアニメーション的というか、ルパン三世初期シリーズを思わせるような1ロットのギャング団が同じ動きをしながら襲撃してくるというトリッキーな描写もあって、断片、断片では名シーンが多いような印象でした。田中裕子に手コキをさせながら浪花節の練習をしているショーケンのおバカな画があったりして、そこで笑うかというと笑わないものの、戯画的な趣き、黒鉄ヒロシの漫画的な趣きなんてのはあるのかもね。