朝からお日様の光がまぶしい。
それだけで気持ちも明るくなり、
ひがんだ気分も元にもどって、冷静に自分の状況を客観視できるようになる。
嘘、だな。
いくらなんでも綺麗事すぎる(笑)
実際は心が凍るよ、が本音です。
寒いし、ね。
それでも介護って、いろんな気づきをもらえるな~とも思う。
特に自分自身の将来について、
しみじみと思いをめぐらす朝です。
老化は孤独。
死も孤独。
どんなに寄り添う人がいても、絶対的に孤独。
そんな気がして、胸にずっしりと重いものがある。
介護の表の部分は物理的な問題。
母はもう30年以上前から膝が悪くて、
ずっと整形外科に通院し、
痛み止めも飲み続けてました。
今回、訪問診療の先生にロキソニンを処方してもらったけど、
薬箱をチェックしたら整形外科で処方されたロキソニンが大量にあるのだった。
毎日ちゃんと飲んでも一年くらいもちそう。
それはオーバーだけど、少なくとも数か月はいける。
お薬手帳をもって薬局に行ったのに、
ロキソニンの量が多いですねとは言われなかった。
二か所で同じものが処方されているのに見逃されてる。
薬剤師さんのチェックはないってことなんだな。
薬剤師、何やってんだ?!お薬手帳の意味がないじゃないか!!と思ったりもしたけど、
後の祭り。
家族がチェックしろってことなんですかね。
これだけ処方されているのに、痛みは増すばかり。
筋肉が衰えてきたから関節の痛みが増すんだと思います。
何にしろロキソニンは効かないってことだ。
な~んだ。効かないのに飲んでいたのか。。
私の薬不信が加速されてしまいました。
ついでに医者不信も加速(笑)
で、話を戻して、
母は今回の転倒で腰を痛めて、歩くのがますます不自由になりました。
今までなら「痛い、痛い、右ひざが痛い」と言いつつ自分で歩いていたけれど、
このところ私の両肩につかまり、頭を私の背中に押し付けた形でしか歩けなくなった。
朝は着替えの介助。
その後、母は痛い痛いと言いながらも私の背中につかまりながら移動。
トイレにもその形で。
これは私も母も慣れたから、まあ問題はないんです。
でも、この状態って改善することは、ない。
良くはならない。
痛みも取れない。
歩行困難が進行するだけ。
近い将来、必ず、歩けなくなる時がくる。
その日が目前に迫っているのを感じる。
実は昨夜も、それを予感させる事例が発生。
トイレに同行して、外で待っていたら、
「濡れた、濡れた」と大騒ぎ。
ちゃんと下ろしきってなくて座り、パンツが濡れたらしい。
母には大ショックな事件だけど、
実は、私の頭上に、チカッと明るい光が差しました。
チャンス到来。
この一週間余り履き続けたままで寝起きし、絶対に着替えようとしなかったパンツやズボンをはき替えさせることができる!!
母はめいっぱい落ち込んで「情けない、情けない・・」と悲惨な声を出しているけど、
私は大張り切りで、るんるん気分♪
ヤッター!!良かった~♪
着替えさせられる~♪
歩けない時が間近なのを感じているので、
今回は布パンツをやめてリハビリパンツをはかせ、新しいパジャマのズボン。
すっごく嬉しかったです♪
母が寝たきりになるの、まもなく、のような気がします。
でも、介護する側にはこんな形の思いがけない喜びがあるものなんですね。
暗いようで、介護は決して暗いばかりじゃない。
光を感じることもある。
介護生活は光探しの日々かもしれない。
物事にはかならず表と裏があって、
裏の部分には豊かな何かが隠されている。
そんなことを、自分に言い聞かせたりもしています。