いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
無縄自縛
(  ̄Д ̄)
『多くの人が「自由」を求めている。
仕事や家庭における人間関係、経済状況、日常生活における行動内容、時間、とかく様々な面で不自由さを感じ、「自由になりたい!」と願う。
自由を辞書でひくと、「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること」と出る。
だから、不自由は、「他からの束縛を受け、自分の思うままにふるまえないこと」となる。
束縛が「ない」のが自由。
束縛が「ある」のが不自由。
つまり、人は「自由が足りない」のではなく、「束縛が多すぎる」中で生き、そこに窮屈さを感じている、ということだ。
しかし不思議だ。
周りを見渡したとき、飼い犬や囚人のように首輪や鎖に繋がれ、実際に「束縛」されている人をみたことがない。
あるとすれば、SMの世界ぐらいのもんだ。
それでもこの「架空の鎖」は強力で、たしかに人の行動範囲を制限してしまう力を持つ。
「本当は好きなことをしたい。嫌なことや苦手なことはしたくない」
「新しいことを始めたい」
「変わりたい」
そう言いつつ、「でも」「だって」の接続詞につづく様々な理由から「次の一歩」が奪われてしまう。
「やりたいのに、やれない」
大抵の場合、それは信念的、道徳的、常識的などの、精神的な理由による。
もっと突きつめるなら、多くの精神的束縛(架空の鎖)は、自身に課した「役割」に付随している。
「家族を養う役目があるから、養ってもらっている立場だから」
「夫として、父として、妻として、母としての役目があるから」
「男だから、女だから、大人だから、子供だから」
学生だから、会社員だから、事業主だから、独り身だから、既婚者だから、この歳だから、日本人だから、どこそこの生まれだから……
「自己紹介」で披露されるであろう、様々な「役割(属性)」を理由に、「だから、これは我慢するべき、犠牲をはらうべき、義務を果たすべき……」と、3Gの鎖に繋がれ出す。
そして、「私が私の役割においてその義務を遂行し、犠牲を払い、我慢をしているのだから、あなたもまた、あなたの役割において、その義務を遂行し、犠牲を払い、我慢をしなさい」と、自身にも他者にも、様々な制約を強要する。
「あなたがその役割を順当に全うするならば、周囲はあなたの存在を認めます。しかし、逆にその役割を担えないというのなら、周囲はあなたの存在意義を見失い、失望し、あなたから離れていくことでしょう」といった脅しめいた信念をちらつかせながら。
そして人は、その恐怖に抵抗しようと、人目を気にしながら自分が担える「お役目」、社会や周囲が認めてくれそうな「役割」を必死に探し出す。
いよいよ、その役にのめり込み過ぎ、「わたしは○○です」と、自分と役割を混同し、その束縛と制約を受け入れる。
すべきこと、また、してはならないことが現れる。
実際には存在しない縄にくくりつけられる。
「ああ、なぜこんなにも私の人生は窮屈で、これほどにまで不自由な思いをしなければならないのか」
その思いの裏側には、「役割」という幻想・ストーリーがある。
事実、本来あなたは、何者でもない。
事実、実際にあなたを縛り付けている鎖は、実在しない。
縛り付けられているあなたもまた、実在しない。
無い縄で、無い自分を縛り付けている。
その滑稽さに気づき、鎖が取れて自由になるのを「鎖取り(さとり)」という。
社会は役割と密接に関連している。
意地悪な言い方をするなら、役割の強要をし合っているのが社会だ。
社会にいれば、某かの役割を求められてしまう。
だからこそ、釈迦は「出世間」「出家」を説いたんだ。
それはなにも、人里離れた山奥に引きこもれと言うことじゃない。
あなたの自由を奪っている、その役割に溺れなさんな、というメッセージだ』
/
インフォメーションいろいろ
\
ブログ『ダルマさんとカルマさん』で、様々な気づきを楽しい漫画と共にシェアしているunicoさんが主宰されているワークショップ「だるま茶屋」にお招きをいただきました。
初めてご参加の皆さまと都内の古民家カフェでランチしながらお話をしていく会となります。
先着30名さま、受付は7月9日(月)締め切りとなりますので、お申し込みはお早めに!
雲 黒斎コラボお茶会★だるま茶屋WS
【日時】7月13日(金)
一部:ランチ(12時~13時)
二部:お話会・質疑応答&シェアタイム(13時~15時)
【会場】東京おかっぱちゃんハウス(MAP)
【料金】お一人様10,800円(お食事代・お土産代込み)
《主催》unicoさま
詳細・お申し込みは【こちら】から!
*****
平日のお話会、今月のスケジュールは以下の通りです。
これまで通り、事前予約なしの当日会場受付。
皆さまのお越しをお待ちしております!
平日のお話会「月イチ☆」(東京開催)
【日時】7月31日(火)19:30〜21:30(開場19:00)
【会場】三鷹産業プラザ7階 703会議室
東京都三鷹市下連雀3-38-4(MAP)
【料金】お一人様2,000円
平日のお話会「月イチ☆WEST」(大阪開催)
【日時】7月24日(火)19:00〜21:00(開場18:30)
【会場】大阪産業創造館 6階 会議室B
大阪市中央区本町1-4-5(MAP)
【料金】お一人様2,500円
平日のお話会「でら☆月イチ」(名古屋開催)
【日時】7月25日(水)19:30〜21:30(開場19:00)
【会場】ウインクあいち 10F 1008会議室
愛知県名古屋市中村区名駅4丁目4-38(MAP)
【料金】お一人様2,500円
*****
実は、今年に入ってから対面セッションを始めました。
カウンセリングでも、セラピーでも、コーチングでもない、雲 黒斎とのプライベートトーク。
このセッションでは、どんなテーマにも囚われず、あなたの望むまま自由にお話を進めていきます。
これまで雲 黒斎のブログや書籍、トークライブなどに触れた事で生まれたアレコレに対する疑問から、
個人的な話題にいたるまで、1対1で90分間じっくりとお話します。
お話を伺いながら、気づきや、深刻さから抜け出るヒントをご提供いたします。
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コメント ( 23 ) | Trackback ( )
« 近況報告 | 【改訂版】超... » |
綾野剛さん、北川景子さん出演
映画、パンク侍
観れたら絶対に観てください
おもしろそうってみたら
めっちゃ深くて泣きました。
エックハルトかよ!みたいなところもありました。
内容エグめな部分もあるので
娘さんと観るには向かないかもです。
絶対
観れたら観てほしいです。
『本音』はどうか?と見直してみると、応援したい気持ちはあるので、クリックしましたけど。
でも、うっかり「あ゛?」のまま色々と思考を展開してしまうことも多いですよね。
「あ゛?」というムカつきから展開していく思考や感情に支配されて、
『本音』を見失うことが無いようにしたいですね・・・・・
『役割』とは、『愛』から自然と形成されるべきものであって、
『役割』を無理やり押し付けたり、被せるところに『愛』は無いのだと思います。
で、今回の記事のブログランキングの文句
「読者としての役目があるから。」
から『押し付けられた感』『被せられた感』を感じたので
「あ゛?」となったと(笑)
ちなみに『押し付けられた感』『被せられた感』を感じたのは
ただ『押し付けられた感』『被せられた感』であって、
『黒斎さん』にも『この自分』にも直接の関連は無いのだろうとは思いますが
そこまでツッコむとカオスになってくのでやめときます(笑)
気をつける方がいいと思うのは、『演じたくもない役割』を演じていると気付いたなら、
そこで本当の気持ち・・・『本音』を確認する方がいい、ということですね。
さとって、鎖がとれて、罪を犯し、本物の鎖につながれる。
彼らは言うだろう。
「そんなつもりで言ったのではない」
子供に残酷な一面があるように、
純真無垢は天使にも悪魔にもなる。
「それは罪ではない」と開き直ったところで、刑務所からは出られない。
自分の鎖に気付いても、他者からの鎖(束縛)はなくならない。
危うい言葉だ。
離婚しよっかな〜
両親見捨てよっかな〜
ってなる
釈迦もそうだったし…
今自分が本当に何がしたいのかさえ見えなくなってしまった人もいますよね。
そして最後に隣の誰かさんを気にしだす。
自分を見直すための、心の声を聞くためのアドバイスがあれば良ければ次のブログに書いてください。
率直に失礼します。
あなたのブログで救われる人がたくさんいると思います。
次の更新、楽しみにしてます。
(値段によってぜひ受けてみたいです🎵
なんやねん!?
それ?!ですよね~⤴️⤴️(笑)8107
やはり生活があることで、この料金になるのは、
良い悪いを捨てた世界としては、府に落ちません。
このことをブログでお話ししていただけませんか?
この道は、
そもそもカウンセリングする内容なのか?
行動するのみと思います。
それを気付かない 気付けない人には必要なのかもしれませんけど、頭で理解する世界ではないと感じてきたので、そこを知りたいです。
今回のメッセージは今後のことをいろいろと考えていた自分にかなりヒットした感じです。ありがとうございます。
この言葉が既に他者の自由を尊重できてないんです。
例えば、DV夫と別れることは自由なったとは言えないのだろうか?育児や介護でボロボロになろうが苦しみ続けなければならないのだろうか?
そういう人たちを蚊帳の外から根拠もなしに冷血に断罪しているように見えるんです。
>社会からの鎖を取払うには社会のことを十分理解する必要もあるので、鎖取った人は「俺は自由だ」って犯罪を犯すこともないですね。
このブログを読んでいるにもかかわらず、"貴方から見て"「自由をはき違えた人」がいるという事実。
恐ろしいとは思いませんか?
人それぞれ理解力は違う。
はき違える可能性を野放しにしている惨状。
はき違えた人がもしも某宗教のように某事件のようなことを起こしたら・・・。
それはない(笑)
と言い切れるだろうか・・・。
もしもそれが起こったら、彼らはきっと悪びれもせずに
こう言うだろう
「そんなつもりで言ったのではない」
>こう言うだろう
>「そんなつもりで言ったのではない」
んなこと当たり前でしょう(笑)いい大人なんだから、しっかり判断しないとダメですよ!
黒斎さんの言う自由っていうのは、元々エゴが選んでいるように思い込んでいたけれど、
そうじゃなかったー!という意味の事なんだと思います。
エゴの外側のことをエゴで解ろうとする事自体が無理があるのでしょうから、
その辺は明確に区別して、まぁそうなんだろうなぁ〜くらいに考えましょう。
関係ないとは言いましたが、配偶者と別れるな、親子の縁を切るなとは言ってませんよね。鎖の話なのでDVっていい例だと思います。加害者側が一番悪いという前提で聞いていただければと思います。世の中には人に鎖をかけるのがうまい人がいます。「お前なんか世の中の役に立たない。仕方がないからわが社で雇っているのだ」、ブラック企業で言われそうな言葉です。DVもそのような言葉や暴力で相手を支配するわけですが、時折、優しさやダメなところも見せてくる。そうすると「この人、私がいなければダメなんだ」となります。共依存ってやつで、お互いに鎖で繋がれた状態ですね。で、いよいよ耐えられなくなりなんとかしなければってなる。社会保健事務所やら警察に相談し、シェルターなんかに隔離してもらい、別れるって流れになるでしょうね。ですが、その相談をするときに、一歩踏み出そうとしたとき「こんな私を社会はどう見るだろう。情けない人間、ダメな人間って思われるだろう。だからやはり今の状態を我慢しよう」。この思考が雲さんのいう鎖なのだと思います。時間がないので続きはまたコメントします。
はき違えている惨状を放置
それですよ
以前私が「混乱させているだけ、邪魔しているだけ」と言ったのは
一瞥があるのかないのか分からないのなら、意味無いですよ。一生懸命話しを聞いて「なんだそりゃ?」
私はスピリチュアルという言葉が一般的になる前、まだ心霊主義、心霊科学といわれていたころ、10年以上前から、勉強していますが、雲黒斎さんの存在を知ったのは今年の3月末なんです。だからこのブログの記事の8~9割くらいしか見れてません。このブログを見ているにも関わらず理解していないとの指摘は受け入れ反省します。今回と同じようなことが2008年10月24日「失敗は成功のもと」という記事にも書かれていますので参考にしていただければと思います。
いや、だからこそなんです。
言ってる方は開き直ればいいだけ。
しかし、やっちゃった方は開き直っても刑務所からは出られません。だから気を付けようねってこと。
お金払って、やらかして、刑務所入れられて、先生に見放されるなんて悲惨ですからね(苦笑
まぁひょっとしたら「刑務所生活を楽しめ」なんて慰め・アドバイスをくれるかもしれませんが。(悪気なく)
>その相談をするときに、一歩踏み出そうとしたとき「こんな私を社会はどう見るだろう。情けない人間、ダメな人間って思われるだろう。だからやはり今の状態を我慢しよう」。この思考が雲さんのいう鎖なのだと思います。
これは私もそう思いますよ。
だからこそ「自由って自分勝手や我儘とはもちろん違うし、親族の縁を切る、配偶者と別れる、扶養の義務を放棄するってこととも関係ないと思います。」という言葉に違和感を覚えたんです。
>自分たちが好きで良いと思ってることをしているのだから、別に社会に認めてもらわなくとも良いんです。
私からすると、オウム事件だって彼らの「良いと思ってやったこと」に思えるわけです。彼らは「こんなことしてはいけない」という鎖を取っ払ってあの事件を起こしたわけですから。
まぁ結局、当人ではない我々がどう考えたところで後付けの結果論止まりですが。
腹が減ったから食べる、ストレスが溜まったから発散する、と同じように、本質はシンプルに「事件を起こしたいから起こした」であり、
そもそも個人の主観で「鎖である・鎖ではない」「自由である・自由ではない」が違うのに、しっかり定義もせずに無理矢理まとめようとするからピンッとこないんです。
>鎖にがれがんじがらめの状態からストレスが生まれ、憎悪が生まれ、犯罪に走る人間が生まれます。だからそれを理解し、外せるものは外せばいい。それに対して「そんなことすると、勘違いする人間が生まれて、犯罪に走る」と主張する。これじゃ堂々巡りですね。
今回、いや以前からある問題点はそれです。「外せるもの」をちゃんと定義しないから収拾がつかなくなるんです。だからアレもいいのか、コレもいいのかとなり、それを否定も肯定もしない。その有様を「はき違える可能性を野放しにしている惨状。」と言ってるんです。「なんでも外せば良いわけではない」と付け加えるだけでまるで意味合いが違ってきますよね。
>このブログを見ているにも関わらず理解していないとの指摘は受け入れ反省します。
いえ、貴方にそんな指摘をした覚えはありませんよ?貴方から見ると私なんかは自由をはき違えてるよねという意味合いで書いたので。
>今回と同じようなことが2008年10月24日「失敗は成功のもと」という記事にも書かれていますので参考にしていただければと思います。
いいですね!(笑)こういう返答記事が増えれば自由をはき違える人が減るでしょうね(^^)
こういうことを生業にしてる方々って人の心を掴むのがお上手ですからね。その気になればあの事件のようなことも起こせるかもしれませんね。又は、信者が勝手にやらかすかもしれません。
故に、伝える言葉は吟味したほうが良いように思うのです。
言った本人は開き直ればそれで良いかもしれませんが、影響を受けたほうはそうとは限りませんからね。
参考になりそうなコラムをインターネットで見つけましたので紹介しておきます。
タイトルは『リベラル家庭で育った妙齢日本人女子が「ネット右翼」になるまで』。「リベラル家庭」で検索かけるとヒットすると思います。
今回のコメントのやり取りでなんか話が噛み合わないと思ったのですが、おそらく「性善説」「性悪説」の違いなんだと感じました。このコラムの著者やコメントいただいた方は「性悪説」の立場なんだと思います。私はどちらかというと「性善説」なんです。どちらが正しいかって議論は2,000年以上されているわけで、ここで議論をしても時間の無駄かもしれません。このコラムの著者にしても、私にしても経験上そこに行きついたわけで両者にとって真実なんですね。何が善で何が悪かって考えを深めると、両説の理解度は深まるかもしれません。
また、今後は日本語の使い方をもう少し吟味することにします。
「性善説」「性悪説」の違いというか、私が思うに「リアリズムの度合い」の違いのような感じがしますね。なんというか、汚いところを見ようとしてないように見えるというか臭い物に蓋してるというかね。
大抵の人は問題をおこさないでしょうが、問題が起きる可能性はあるよねって話です。それについて「性善説だから大丈夫!」と言われてもピンッとこないですよね。
「私はいない」とか「最善が起きている」とか「分離」とか昔にチラホラ見かけましたが、こういうスピリチュアル系の話の要というか根底にあるものって「善悪とか正解・不正解とかその他諸々は人間が勝手に作ったもんだから、そんなもの本当はないよ」という結論だと思うわけです。それで縛られているモノから楽になれる場合がある。今回の鎖の話のように。
だから、「性善説」「性悪説」の違いというのは全く的外れのように思うわけです。だって、善悪なんて本当はないんだから。
故にスピリチュアル的な目線というのは善悪や正解・不正解を判断できないし、全ては最善なのだからやりたきゃ自己責任でやればいいというのがスピリチュアル的なスタンダードでナチュラルな考え方だと思うわけです。
くどいようですが何が言いたいかというと、善悪や正解・不正解などないのだから、世間一般的に「悪」と称される行為でさえもスピリチュアル的に考えれば許容されてしまうということです。オウム事件だってスピリチュアル的な目線では断罪できないわけです。
でも、それをありのまま伝えたら、
「善悪なんてないんだから、やりたきゃやれいい」なんて言っちゃったら、お客さん離れちゃいますよね。
私から見るとそれを隠すために「社会からの鎖を取払うには社会のことを十分理解する必要もある」とか「外せるものは外して」といった言葉を使って皆を煙に巻いて言い包めているように思うわけです。
一方では「善悪や正解・不正解やその他諸々はないという結論」、都合が悪くなると「"人間が勝手に作った"社会やモラルや善悪等を理解しろ」と言い、具体的な定義は謎。
なんだかチグハグのように感じるんです。
まぁ、肝心要の部分を私がはき違えてるだけなのかもしれませんが。
阿部さんと 雲黒斎さんの「めざめの きっかけ」てきな はなしが、
じいしきや じが、じぶんというもの に たいする、じぶんの にんしきの へんよう が、「めざめ」なのだよ・・・と じぶん には うけとれて、とても きょうみを もちました。
げんざい、じぶんは、じぶんというものは、よくよくみると そうねん なんだよね・・・てきな おもい です。
て に とれる ぐたいてきなもの、こんくりーと な もの では ないので、いわゆる じったい はない のですが、がいねん としては、かなり しっかり、ふつーは きょうりょくに ある ように おもいます。
じが や じぶん というもの は、ほんとー は、ない、、、というよりは、それは どうぐ だよ、といわれたほうが、じぶんは りかい しやすいような き が しています。
おかね も、それは かち では なく、どうぐ だよ といわれたほうが、なんとなく りかいしやすい ような き が するのと にています。
いろんなことが できる どうぐ、いわゆる かち を はかる どうぐ、
かち は なにか?と よくよく みれば、それは よくぼー の つよさ なんじゃないか?・・・とか、おもえて きます。
めいかい? や れいかい? の はなし は、じぶんは ついていけません(笑)が、じが にんしき の はなしは、とても きょうみ ぶかく、その かんさつ にたいする いろんな かくど を あたえてくれる ようで、ありがたい です。
ありがとうございます。
この場合雲さんの教えでは具体的にどのようにすればよいのでしょうか??
まぁ、私の周りでそんな人はいませんのでこれは単なる推測です。私にとって〝自由〟ってそういうものではないかと思います
そう、まさにそうなんですよね。
自分が周囲から感じる『苦』がそれで、最近、圧力に巻き込まれて困ってましたが、正体がこれでわかりやっと腑に落ちて楽になりました。
私はそんなこと周囲には求めてないんだけど、色々と要求されてしんどいです。