チワワの小太郎がいなくなったことに、だいぶだいぶ慣れてきたのですが、やはりまだ、ふっとしたときに姿を探してしまうことがあります。
ご飯食べてるときにいつもいた場所だとか、昼間、お天気のいい日にいつも日向ぼっこしていた場所だとか、なにげなく見てしまって、がらんとした空間を発見して「あ、もういないんだった」と確認する日々。
あと、母が写真の小太郎に話しかけているのを遠くから聞いていると、そこに小太郎がいるみたいな気がします。
母が、朝と夕方にお線香(お香)をあげながら小太郎になんか言ってるんですが、それも最近はときどき忘れちゃうことがあるみたい。そうやって、少しずつ、いないことが日常になってゆくんですね。
うちには人間の仏壇がないので、小さいテーブルを出して小太郎専用の祭壇を作りました。それも四十九日までにしようと思っています(あと10日くらい)。伯母や祖母が亡くなったときにも思ったけれど、初七日とか四十九日とかの区切りって、うまく出来ているなぁと思います。だいたいそれくらいで、気持ちが落ち着くんですよね。不思議。
↑この「かゆらぎ」シリーズの白檀と沈香が好きで以前から部屋で使っています。セールで安くまとめ買いしてほくほくしていたところにチワワの小太郎が亡くなって、母にお線香代わりに出してあげたら朝晩の消費が激しいです。…それ、けっこう高いんですけど。。。
※チワワの小太郎は2018年9月11日、16歳で永眠しました。過去写真を載せてます。