国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

オバマラマ?

2008-11-16 | 一般
アメリカ大統領選のほとぼりも、ようやく冷めてきた今日この頃ですが、大統領選の一連の流れを見ていて印象深かったのは、やはりオバマ氏の演説の上手さと、メディア戦略の巧みさでした。

演説の上手さは、今さら言うまでもないことですが、2004年の民主党大会の演説から、先日の勝利宣言に至るまで、彼のしゃべり方のテクニック的な上手さだけでなく、その内容も、多様な価値観を持った米国民の結束の重要性、国民主権を基盤にした民主主義の尊さといった抽象的な理念を、分かりやすい実際レベルに落とし込んで話す上手さなどは、他に類を見ないと言ってもいいのではないでしょうか。

また、メディア戦略にしても、彼のウェブサイトを見ると、選挙が終わった今では多少外見が変わりましたが、個人献金を広く浅く募る姿勢を前面に打ち出し、さらに献金してくれた全ての人に近隣への戸別訪問を具体的に依頼し、徹底して支持者の底辺を押し広げる独特の手法が採用されているように見受けました。別の言い方をすると、旧来の組織票を固める陸上戦的な手法よりも、ウェブサイトを使って支持者の絶対数をとにかく徹底的に拡大する空中戦的な手法を優先し、それで勝利をつかんだという言い方ができるかもしれません。



こうした過去に例を見ない点が多いオバマ氏ですが、それだけに懸念もあります。一つは頻繁に指摘されるとおり、暗殺の可能性です。史上初の黒人大統領(実際は白人とのハーフですが)という既成事実を作らせないために、就任前に事を起こされる可能性もあるでしょうから、今から警備に気を抜く余地はないでしょう。

二つ目の懸念は、やはり経験不足ということかもしれません。経験不足で若いという点では、よくケネディ元大統領と比較されますが、ケネディは大統領就任の時点で、すでにオバマ氏よりも倍以上の期間の中央政界での経験がありました。だから、オバマ氏は近年では最も実務経験の浅い大統領ということになります。 ― しかしながら、オバマ氏を見ていると、ケネディ氏と同様、経験豊富で有能な人々を惹き付け、彼らを実に上手く活用する非凡な才能があるように見受けますから、この点は杞憂となるかもしれません。

三つ目の懸念は、これはあらゆる民主党政権に共通することですが、経済政策において、民主党は共和党よりも政府が市場機能に介入する度合いが強い政策を取る傾向があります。金融危機のさなか、こうした傾向はなおさら正当化される余地がありますから、オバマ政権はかつてないほど、米国の国内産業を保護する政策を打ち出してくる可能性があります。



大変人気のあるオバマ氏ですが、新生オバマ政権は、日本にとっては厳しい要求を突きつけてくる可能性もありますね。しかし、それにしても彼の演説は上手いですね。オバマラマ(大風呂敷)と揶揄されることもありますが、話し下手の私としては勉強になります。



胸に手を当てて考える

2007-12-22 | 一般

しばらく前に、アメリカのメジャーリーグでステロイドなどの違法薬物の使用問題が話題になり、多くのファンにショックを与えた一件がありました(関連記事)。

 

たしかにジアンビなどのスーパースターが、陰でそんなことをやっていたとしたらショックです。しかし、私たちは彼らを批判する資格があるのかと、はたと考えてしまいます。

 

一例として、企業の営業活動などで法の一線を越えてしまうことが、全くないと胸を張ることはできるでしょうか。異常な営業行為を、笑い話や自慢話にしてしまうようなことはないでしょうか(私は過去にありました)。こういうことは、どうでもいいことなのでしょうか。

 

誰も他人を批判する資格はありません。また人にどう思われるかということも関係ありません。一人ひとりが自分の胸に手を当てて考えることは、たくさんあるような気がしました。

 

 

 


意思決定の難しさ

2007-11-08 | 一般
世の中には、決定的瞬間で判断を間違ってしまう人がいます。ここ数日の民主党の迷走ぶりを見て、そんなことを感じました。小沢さんが、福田総理の大連立の話を聞きに行ったところまでは、問題はありませんでした。

しかしその後、民主党執行部が連立に反対することを小沢さんが予測できなかったこと、連立を否決されたら、そのまま一気に直球で辞意を発表したこと、さらに周りに説得されて簡単に辞意を撤回したことは、民主党と小沢さんに大きなダメージを与えました。誰にでもミスはありますから仕方ありませんが、今回の代償はあまりに大きかったと言えます。



こうした世間におおやけになってしまう政治家のミスというのは、かねてより多くの人の関心の的であるだけでなく、そうしたインパクトの大きい失敗をどうしたら防ぐことができるのかという動機から、学問上の研究対象にもなってきました。かつて私がアメリカで国際関係論なるものを勉強していたときも、こうした意思決定論のような学問分野の文献をいくつか読まされて、大いに興味をそそられたことがありました。ご参考までに、当時の印象に残っている文献を挙げると、"Essence of Decision"、The Science of Muddling Through"などがあります。

前者は、キューバ・ミサイル危機でのケネディ政権の意思決定を題材にした大変有名な著作で、個人、官僚機構、国家指導者の三つのモデルが現実にどのように機能して、どのような結論を導くのかというテーマを扱っていて、英語もわりと平易なので、読んでいて思わず引き込まれました。後者は、日本ではあまり有名でないかもしれませんが、不完全で混乱した状況の中でも、その無秩序で混乱した状況に揉まれて、意外と正しい結論が導き出されることがあるということを論じています。

これらの文献に触れたときは、アメリカの意思決定論における精緻な論理構成にいたく感動し、思わず様々な関連文献に手を出して、必須科目の勉強がおろそかになるほどでしたが、その後私も少し年を取り、人生が理屈どおりに行かないこと、120%の渾身の努力をしても失敗することがあること、それも取り返しのつかないほどの大きな失敗をすることがあること、そしてそういう大きな失敗を防げるときと防げないときがあることをを学ばせていただきました。  

誰でも絶望的なほどに大きな失敗をしてしまうこともあるかもしれませんが、政治家や世界の政治指導者の大失敗は、多数の人に損害を及ぼし、さらにそうした人の人命も奪うことさえある点が根本的に違っています。そう考えると、私がただの普通の凡人であったことに感謝せざるを得なくなります。

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PS あまり更新ができなくてすみません。更新が遅れているときは、左下のブックマークにある個人日記でも見てやってください。

 

日本は平和・・・か?

2007-10-10 | 一般
日本は平和だという「神話」があります。なぜ神話かと言うと、日本の周辺地域は世界でも稀に見るほどの安全保障上のハイリスクな地域だからです。日本の周辺には、言うまでもなく朝鮮半島問題があります。また中国と台湾の問題があります。ロシアとは国境問題が解決していません。また北朝鮮と日本の関係、中国と日本の関係も、程度の差はありますが緊張に満ちたものです。

このような稀に見るほど脆弱な地政学的条件の下に置かれた日本が、これまで60年以上も何とか平和な状態に保たれているのは、世界最強の軍隊である米軍が、極東周辺における核兵力も含めて、日本の安全保障において「重石」のような役割を果たしているからです。しかし、こうした独特の安全保障体制も、米軍の配置転換、周辺事態の動向によって、大きく変化する可能性を常に孕んでいます。

台湾が思い切った行動に出ました(関連記事)。台湾が中国の一部であるか、もしくは独立国であるか、この点において台湾がどのような主張をするかは、国際問題であると同時に、台湾の主権的権利(≠主権)でもあるように感じます。しかし問題は、その権利の主張の方法です。ちょっと困った問題が起きつつあるように感じます。


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政策決定の基準とは

2007-09-17 | 一般
100人の生命と、1人の生命が、それぞれ別の場所で危機に晒されていて、どちらかを助ければ、別の方の命が助からないという状況があるとします。ふつうの人は、どちらを救えばよいか迷って考え込んでしまい、身動きが取れなくなるのではないかと思います。どちらかの生命を切り捨てなければならないことに抵抗があるからです。しかし、政治家(代議士だけでなく、広義の意味で行政官僚を含む)というのは、1人の生命を犠牲にして、100人の命を助けることができる精神力(?)を持った人なのではないかという気がします。

たとえば、北朝鮮問題を例に取ると、拉致問題は、特に日本人の多くにとって、はらわたの煮えくり返るような問題です。しかし、世界の政策担当者の多くは、拉致問題にあまりにこだわりすぎると、北朝鮮政府が態度を硬化させて、核問題の解決が手遅れになってしまうと懸念しています。ですから、アメリカや中国は、北朝鮮問題において、ほかの問題を犠牲にしてでも、核問題を解決しようとする姿勢を隠そうとしません。数名の生命よりも、潜在的に数十~数百万人の生命を優先するということです。

しかし、日本の国益をも左右するアメリカの外交政策の最優先課題は、実は北朝鮮でもイラクでもなく、イランではないかという気がします。核問題の状況が、北朝鮮よりも遥かに切迫しているからです。また通常兵器の戦争が展開されているイラクよりも、潜在的脅威が遥かに高いからです。またイランは、アメリカの盟友イスラエルの最大の脅威でもあります。というわけで、アメリカは、状況によっては、北朝鮮の核問題を一時的に犠牲にしてでも、イランの核問題を解決しようとする可能性があります。

このように、無数の人命が懸かっているシリアスな問題に、テキパキと優先順位をつけられるのは、政策担当者としては必須の資質かもしれません。しかし、人間としてどうかということは別問題です。ただし、こうした冷徹(冷酷?)な計算ができる政策担当者のことを批判することは簡単ですが、無責任でもあります。なぜなら、私たちの生命もこうした政策担当者の冷徹な決断の庇護の下にある側面もあるからです。世の中は、複雑です。

戦争と平和に関する議論

2007-08-14 | 一般
毎年、終戦記念日が近づくと、新聞やテレビ、また全国各地でも、戦争と平和に関するさまざまなイベントやプログラムが開催されます。そして、そこでは、戦争は絶対にいけないという徹底した平和主義的な意見と、条件付きで軍備拡大や戦争への参画を許容する現実主義的な意見の激しい対立が見られたりもします。

こうした光景は、毎年見慣れているものではありますが、最近、この種の議論を見ていて、それぞれの異なる意見が、感覚的な好き嫌い、快・不快に根ざしているために、両方の意見ともほとんど感情の発露に終わっていて、議論としてかみ合っていないのではないかということを感じることがあります。



ユネスコ憲章ではありませんが、「戦争は人の心の中にある」ものですから、もしある平和主義者が、戦争を許容する現実主義者に激しい憤りを抱くようなことがあるとすれば、そういう人は、環境さえ変われば、容易に平和のために戦争を推進するような人間に変貌する可能性があります。

戦争をしているほとんどの人、特に末端で実戦に従事している人たちの多くは、戦争をしたくてしている人はほとんどおらず、自分の生命と経済的な生活手段を守るために、死活問題として戦争を強いられている人がほとんどです。また、戦争を推進している政治家でさえ、国民を守る責任から、強いられて防衛的な戦争をせざるを得ない状況に追い込まれている指導者もいます。

さらに、この日本の安寧な生活も、歴史的に考えると、貧しい途上国や紛争国を過去に搾取してきた経済基盤の上に成立している側面があるとともに、軍事的に考えると、世界最強の米軍の防衛力の庇護の下に成立している側面があります。そういう意味で、一部の平和主義者は、こうした国際社会の現実を、その歴史・政治・経済的背景も含めて、体系的にしっかり把握する必要があるでしょう。



一方、条件付きで軍備拡大や戦争への参画を許容する現実主義者は、戦争がどういうものなのか、自分が果たして本当によく知っているのか、改めて自問する必要があるかもしれません。こういう人のうち、先の大戦を体験した人や、実際に戦場のようなところで長期にわたって仕事や生活をした経験のある人には、何も言うことはありません。そういう人たちは、戦争が何か知っているからです。

しかし、もしそういう経験がないのであれば、しばし黙考する必要があるのではないかという気がします。戦争とは、政策論議ではありません。戦争とは、状況次第で、自分や自分の家族が有無を言わされずに殺されたり、自分が、愛する家族のいる他の人間を、自分の手で殺すことです。そして、それが本当にどういう意味なのかは、戦場のようなところに実際に行ってみないと分からないものではないかと思います。日本で、こうしたことを想像しても、リアリティが湧かないからです(だからと言って、ここで戦場に行くことを薦めているわけではありませんが・・・)。



日本が、先の終戦以来60年以上にわたり、一度も戦争をしなかったことは誠に尊いことですが、その一つの副産物として、国民の戦争と平和の議論の中に、現実味がすっかり失われてしまったことは残念なことです。こういう現実味の欠けた議論に、何の違和感も感じないとすれば、それは先の大戦の直前の期間のように、少しずつ国家が戦争に向けて準備を進めても全く気付かず、実際に戦争が起きた後で後悔するということにもないのではないかと考えるのは考えすぎでしょうか・・・。


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考えられない・・・

2007-08-02 | 一般
しばらく前に、アフガニスタンで拉致された韓国人グループについて取り上げました。そこでは、紛争国で国際支援を行う難しさについて触れ、現地での安全情報に直接アクセスできない場合や、安全確保の算段がつかない場合は、活動はもとより、入国すべきでないということを書きました(過去の投稿)。

このことに関連して、このたびこの韓国人の人たちの拉致直前の行動が明らかになりました(関連記事)。もし、この報道が真実であるとするならば(真実でない可能性は低いですが)、まことにがっかりです。彼らは、タリバンに「拉致してください」と懇願するような行動を取っていたのでした。

しかし、ここでこれ以上、彼らを裁くことはやめたいと思います。彼らの救出を祈り、こうした事件が二度と再発しないことを祈りたいと思います。



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飛行機はなぜ空を飛べるか

2007-07-31 | 日本と世界
飛行機というのは、それ自体は鉄の塊ですから、前に進むスピードが一定水準以上にないと揚力を失い、空を飛ぶことができません。前進するスピードが一定水準以下に落ちると失速してしまい、そのまま墜落してしまいます。

今の自民党は、言ってみれば、失速モードに入ったと言えるように思います。このままだと、どのタイミングで、どんな内閣改造しても、失速モードから脱却して、新たに揚力を得ることは難しくなってしまったように感じます。今回の選挙で、政権の弱いイメージが定着してしまったからです。

かといって、民主党が、国会対策を通じて衆議院解散に持ち込めたとしても、そのまま政権を取れるかというと、微妙なところです。小沢さんは、選挙に入った日に静養していました。健康問題があるということです。また、民主党という政党は、所属議員の政策傾向がバラバラで、政権担当能力というと、ややクエッションマークが付くところがあります(参照:過去の投稿)。

以上を総合すると、今後の政局は相当混乱することが予想されます。いずれにしても、民主党の国会対策で衆議院が解散される可能性は高いように思います。そして、政権交代が起きるかどうかは大変微妙ですが、選挙後は、自民党の党首も、民主党の党首も現職の人でない可能性も高いかもしれません。つくづく、政治は普通の仕事ではないと思います。


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選挙、行きますか?

2007-07-27 | 一般
また国政選挙が近づいてきました。日本の選挙の投票率の低さは、日本という国がいかに平穏な国か、日本人がいかに政府を信用しているか(信用していなければ、選挙を通して政府をコントロールしようとするはずです)といったことの現れであるように感じます。刺激的な言い方かも知れませんが、途上国の投票率の高さを考えると、本当にそう思います(参照:過去の投稿)。

選挙というのは、自分の代理人として、誰を政府に参画させるかを選ぶ権利です。つまり具体的に言うと、誰に自分の財布に手を突っ込むことを許すのか(経済政策)、誰に自分の身を守ってもらうのか(安全保障政策)、誰に自分の子や孫の運命を委ねるのか(環境政策)といったこと決める権利です。ですから、選挙に参加しないということは、こういう問題に対して、白紙の小切手を切るようなものです。

たしかに、誰がなっても同じだ、支持したい人がいないという気持ちは分かります。私も同じ気持ちだからです。ですから、私の投票行動というのは長年、与党が暴走しているときは野党に入れ、政権担当能力のない野党が伸長しているときは与党に入れるような変わったパターンになっています。なぜなら、与野党がいつもギリギリで拮抗して、国民の意見を聞かざるを得ないようになることを期待しているからです。

たしかに、一人が頑張っても大きな力になりませんし、こういう消極的な投票行動が良いとも思いません。しかし、支持したい人がいないときは、こういう投票行動を取るのが、セカンド・ベストだとは思っています・・・。



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紛争国支援の難しさ

2007-07-24 | 地域情勢
また人質事件が起きました(関連記事)。今回は、23人という大人数で、しかも人質交換の交渉期限が、日本時間の昨夜11時半と具体的に設定されていました。もうすでに交渉期限を少し過ぎてしまいましたが、現地の状況はどのようになっているのでしょうか。

今回の事件で、改めて思わされたことは、外国の民間支援団体が、こうした紛争国に入って支援活動を行うことの難しさです。かつて、日本の支援団体の関係者が、イラクで人質に取られたとき、さんざんバッシングが起きましたが、今回も韓国世論の一部には厳しい意見もあるようです。

しかし、あえて言うならば、こうした紛争国で民間の支援団体が活動すること自体には、ある程度の正当性もあるように感じます。なぜなら、こうした紛争国には、巨大かつ複雑な人道復興支援のニーズがあり、それを多国籍軍という軍事組織だけに任せるには、かなりの無理があるからです。こうした人道復興支援には、高度な専門知識と技術を要するものも少なくなく、また人手の面からも支援ニーズが逼迫している場合も少なくありません。したがって、民間の支援団体に、そうした質と量の両面における支援の供給能力がある限り、こうした団体が紛争国で活動することには、一定の正当性があるように思います。



ですから問題は、こうした支援団体が紛争国で活動する場合、現地の詳細な治安情報に直接アクセスできるのかどうか、また、いざとなったら軍事的な保護を受けられるのかといった、現地での身の安全の保証があるのかどうかという点がカギになってくるのではないかと思います。民間の支援団体が紛争国で身を守る方法には、具体的には、次のような二つのルートがあるように思います。

一つは、現地の市民社会の中に独自のネットワークを構築し、現地社会に守ってもらうという方法です。一部の民間団体は、こうした方法で身を守っていますが、現地社会にネットワークを築くということは、最低でも数年以上の時間を要しますから、こうしたネットワークを持っている団体は極めて少数です。

もう一つは、その国の安全保障と治安維持を事実上代行している多国籍軍などが関係しているネットワークの中に入れてもらうという方法です。国際社会が介入しているアフガニスタンのような紛争国では、多国籍軍、国連、政府支援機関、NGOなどの間で相互協力のためのネットワークが形成されていることが普通ですから、こうしたネットワークの中に入れてもらえば、現地の治安情報を随時入手でき、場合によっては軍事的保護を受けられることもあります。



民間の支援団体が、紛争国で活動する必要性は大いにあるのですが、それには、各団体が入国前に、身の安全の算段を確実に付けておくことが必要です。それでも取り返しのつかない事件に巻き込まれることはありますが、事前にそうした手順をしっかり踏んでから入国することは、紛争国で支援をするうえで最低限のエチケットでもあります。

仮に、自分の身の安全はどうでもいいという人がいたとしても、そういう人が万一事件に遭遇すれば、結果的に国連や多国籍軍を巻き込むことになり、自国だけでなく外国の税金まで食うことになります。そうなると、その人がその国に行って支援をしようと試みたことは、結果的にその国の人道復興支援に対してマイナス(損害)をもたらすことになります。厳しい言い方かもしれませんが、紛争国への支援というのは、そこまで考えてやらないと、自己満足を超えて、迷惑行為になってしまう側面があります。

今回の韓国の団体が、どういう経緯でアフガニスタンに入ったのか、詳しいことは知りません。ですから、以上のことは、この人たちに対する批判ではなく、一般論です。この人たちに対しては、今や無事に解放されることを祈るのみです。


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