イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分を大事にできない心に向き合ってみる(心の世界は今も縄文時代も 8/10)

2020-09-07 | 第三章「無意識の世界」

  自分の身体と心と魂を大事にしようと思っても、何となく卑屈どころか自虐的、何となく傲慢どころか暴力的な傾向になっている自分がいたりする。

   U先生がとても的確な言葉を教えてくれた。邪眼。自分では邪眼になっているかどうかはよく分からないものだが、野生の動物の写真を撮ったりしているときに、カメラを構えるとすぐ逃げたりして良い写真が撮れないときなど、何か自分の邪眼を意識できたりする。

 自分の微妙な感情転移を動物は察するのだろうか。

 自分を肯定的に感じているか否定的に感じているか。他者を肯定的に感じているか否定的に感じているか。今日は自分にも他者にも肯定的、そう思える一日は平安な良き日であるが、そうとも言えない卑屈な日、傲慢な日は邪眼なのであろう。

 さらに、無意識の世界もあり邪眼の遠因だったりすることもあると思う。

 私は生き甲斐の心理学を学び、自己分析をする中で6歳のあの出来事、10歳のあの出来事というように、感情を抑圧したことによる罪悪感や劣等感が、良い悪いは別にして個性を形成し邪眼を引き寄せたかもしれないなと気づくことがある。しかし、それは意識化することでオセロゲームのように反転し慈眼を引き寄せることもあるかもしれない。

 人生の後半になってから、経済的には安定した仕事を辞めて、何となく3K的な仕事にむかったのも、無意識的にスイッチがはいったからかもしれない。

 縄文時代の論文を読んでいたら、殺傷ごとのことがでていた。縄文時代は環濠集落や人を殺傷することを目的とした兵器の出土がないことから、平和な世界、時にはユートピアのように考えられたりすることがある。しかし、現実には縄文時代の人骨などから、至近距離から弓矢で殺傷されたり、石斧で殺傷されたりする事例が10件以上指摘されている。

 激しい嫉妬心から人を殺そうと考え、そして実際に行動してしまう。衝動的な感情の中で思わず人を殺してしまう。もちろん自殺ということもあるだろう。そのようなことが確実に縄文時代にもあっただろう。

 もう3-4年前に上梓した縄文小説の中にもそうした挿話を入れたが間違いではなかったと思う。そして、こうした悲劇が起こらないようにすることもきっとできたかもと。本人の考え方が強制されることなく何となく変われば、そうした悲劇は起こらなかったと。邪眼の人に慈顔で接する人の存在が大事だと・・・宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てくる主人公のような人など理想かもしれない。

心の世界は今も縄文時代も 8/10 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。