旧日本軍の慰安婦問題を扱った公開中のドキュメンタリー映画「主戦場」の中でインタビューに答えた藤岡信勝氏らが5月30日、東京都内で記者会見を開き、「大学院生の学術研究に協力したつもりが、保守をたたくプロパガンダ映画になっている。だまされた」と抗議した。
大学院生の学術研究を装ったサヨク活動家の卑劣な騙し討ちにあった藤岡氏らが学者が、法的対処も視野に入れた反論書を公開した。
「ニューズウイーク日本版」7月7日号に、藤岡信勝教授の「主戦場」監督デザキへの反論文が掲載されております。藤岡教授からの配信を次に引用します。
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「主戦場」監督への反論文
作成者punish-shusenjo公開日2019年9月13日
「ニューズウィーク日本版」七月九日号(七月二日発売)
藤岡信勝(教育研究者)
★8月29日、ケント・ギルバート他5名が、代理人弁護士を通して、上智大学に「通告書」を内容証明郵便で送りました。6月21日、研究上の不正行為を告発する窓口として指定されていた大学の監査室に被害を申し出たにも関わらず、一切無視されてきたので、やむを得ず取った手段でした。
すると上智大学は一転して対応を変え、9月4日、学長名で「調査委員会」を設置したので、学内手続きの必要から委員について異議があれば7日以内に異議申立書を提出せよと求めてきました。わずか1週間の猶予しかありませんでしたが、期限の11日、上智大学研究推進センターに出頭し、事務の担当者にA4・6ページの文書を手交して来ました。調査委員会なるものの実態については、いずれ書くことになるでしょう。(9月12日、藤岡信勝記)
大学院生の卒業制作を名乗り「合意書」にも違反ー議論を呼ぶ慰安婦映画の「出演者」がデザキ監督に反論
本誌「ニューズウィーク日本版」の19年6月25日号に「『主戦場』の新たなる戦場」というタイトルの記事が掲載された。筆者は朴順梨(以下、人名は全て敬称略)で、今後はこの記事を「朴レポート」と呼ぶことにする。
私・藤岡は、自分の意思に反してこのドキュメンタリー映画に「出演」させられている者の一人だが、藤岡のインタビューが入場料1800円で一般の劇場で上映される商業的目的の映画に使われるとは夢にも思わなかった。寝耳に水である。
慰安婦問題の最も大きな論点は、慰安婦は単なる売春婦であったのかそれとも性奴隷だったのかという問題だ。映画は「慰安婦=性奴隷」説に立ち、この説に反対する人物に「歴史修正主義者」などのレッテルを貼っている。
そこで、映画の中でこの種の不当な扱いを受けた櫻井よしこ、ケント・ギルバート、加瀬英明、トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、藤岡信勝の7名は連名で共同声明を発表し、5月30日に抗議の記者会見を開いた。
それに対しこの映画の監督ミキ・デザキは私たちの記者会見の同日、同時刻に合わせてYouTubeに反論の動画を流し、さらに6月3日には配給会社「東風」の役員や弁護士と共に対抗する記者会見を開いた。朴レポートはデザキサイドに立って書かれたものである。
本稿では当事者の一人として、この記事に反映されたデザキの主張に対し、2つの論点に絞って反論したい。他の論点については、紙幅の都合で別の機会に譲る。
●「卒業制作」の触れ込みで
第一の論点は、インタビューが何を目的にしてなされたかという問題である。デザキは藤岡あての最初のメールで、上智大学の大学院生を名乗り、インタビューの目的を次のように書いてきた。
「卒業制作として、他の学生と共にビデオドキュメンタリーを製作しておりまして、ドキュメンタリーは『歴史認識の国際化』をテーマとしています。ご承知の通り、現在、慰安婦問題には多くの国々が関わっています。問題に関わっている方々やその活動について学ぶと共に、権威でいらっしゃる藤岡先生のような方からもご見解をお聞かせ願いたく存じております」
歯の浮くようなお世辞はともかく、かつて大学教員のはしくれであった藤岡も学生を指導していた時には、外部の方々にいろいろお世話になった。だから、大学院生の卒業研究のためなら協力しなければならないと思ったのだ。
山本優美子に対するメールは、もっと詳細にその目的を述べていた。「これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」「公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です」
このように、私たちは例外なく、「学術研究」「卒業制作」「卒業プロジェクト」であると説明されて、その前提で協力し、文書にサインしたのである。「出来がよければ、映画祭への出品や一般公開も考えている」と伝えたとデザキは言うが、藤岡は一切聞いていない。
ところが、朴レポートでデザキは、承諾書・合意書には「学術プロジェクトとは一切書かれていない」とシラを切っている。アプローチの段階では、商業映画であることを隠蔽し、映画を公開するときは、それが大学院の卒業制作であることをあくまで隠す。これはデザキの企画が初めから巧妙に仕組まれたものだったことを疑問の余地なく示している。
第二の論点は、デザキの行為が合意書に明白に違反しているという問題である。
藤岡はデザキの研究的な誠実さを一貫して疑わなかったが、一度だけ不審の念を抱いた瞬間があった。それは、インタビューのあとデザキが契約書にサインを求めた時だった。〈大学院修士課程修了に必要な卒業制作であると言っておきながら、人に契約させるとは何事だ〉と藤岡は腹の中で思った。
それで、「そういう契約書にサインすることは趣味に合わない」と言って文書を見ることもせずにサインを拒否し、学生たちを追い返した。藤岡らを騙し商業映画をつくろうと企んでいたデザキは困ったのだろう。指導教官から「承諾書への藤岡のサインなしには卒業制作を続けてはならない」といわれた、修士を期限までに修了できない、と泣き落とし作戦に出た。
それでも藤岡が無視すると、今度は、デザキが藤木俊一と交わした「合意書」を送ってきて、これで何とかサインしてほしいと懇願した。読んで見ると、藤木が全面的に書き換えた「合意書」は、取材される側の権利も書かれていて、よく出来ている。それで藤岡は妥協して、合意書にサインしたのである(詳細は「月刊Hanada」8月号の拙論を参照)。
●明白な「合意書」の違反
デザキによる合意書の違反は、2点ある。順番に説明しよう。
①5項違反
合意書5項には次の規定がある。「甲[デザキ]は、本映画公開前に乙[藤岡]に確認を求め、乙は、速やかに確認する。」
本映画とはデザキの「卒業制作」を指す。それ以外の話は全く出ていなかったのだから、これ以外の解釈はあり得ない。ここで「公開」とは、作品が修士課程の修了を認めるに足る水準の内容であるかどうかをコースの教授陣が審査するために上映することである。紙の論文なら「提出」のみでよいが、ビデオ作品だから上映して「公開」しなければ内容を評価することは出来ない。「公開」には、学内で学生を対象に上映することも含まれる。その公開の「前に」映画を見せる、というのが5項の規定の意味である。
ところが、18年5月21日にデザキから送られてきたのは「映画」ではなく、「映画の中で使用する[藤岡の映像の]クリップ」だった。それでも、藤岡はクリップを見て感想を言うつもりだったが、多忙に紛れて期限の2週間が経ってしまった。その時藤岡は、どうせ映画が送られて来るのだから、その時に自分の映像も見ることができる、と軽く考えていた。
しかし、その後デザキは映画の映像を送ってこなかった。ただ、藤岡はデザキを疑っていなかったから、特に請求して送信を急がせることもせず、そのうちこのことは忘れてしまっていた。もしこの時、映画を見ていたら、「歴史修正主義者」などのレッテル貼りを絶対に見逃したはずがない。当方から請求しなかったからといって、5項の「不作為」がゆるされるものではない。
②8項違反
合意書の8項には、「甲[デザキ]は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」と書かれていた。藤岡は、デザキの「卒業制作」には協力したが、商業映画に使用してよいという許可を与えたことは一切ない。藤岡の許可なく、無断で、勝手に藤岡のインタビュー映像等を自分の商業映画に使ったデザキは、「他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」という合意書の禁止規定に明白に違反している。これでデザキはアウトなのだ。
旧日本軍の慰安婦問題を扱った公開中のドキュメンタリー映画「主戦場」の中でインタビューに答えた学者らが30日、東京都内で記者会見を開き、「大学院生の学術研究に協力したつもりが、保守をたたくプロパガンダ映画になっている。だまされた」と抗議した。今後、法的手段を検討するという。
会見したのは、慰安婦制度に問題はなかったとする立場で映画に出た「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長ら3人。(共同通信)
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さて、本論のドキュメンタリー映画「主戦場」については「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」より引用。
先ずは事件の経緯
慰安婦問題の論争を扱ったドキュメンタリー映画「主戦場」の出演者3人が30日、東京都内で記者会見した。「監督が私たちを欺いて映画に出演させた。違法行為にあたる」と主張し、上映中止を求める声明を発表した。監督は「私がだましたという主張は間違いだ」と反論している。
映画は、日系米国人のミキ・デザキ監督が慰安婦問題を題材に、日米韓の30人以上にインタビュー。強制連行の有無や慰安婦の人数などの論点で主張と反論を紹介している。4月に東京・渋谷で公開されると反響を呼び、全国40カ所以上での公開が決まっている。
記者会見したのは「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長ら3人。ジャーナリストの櫻井よしこ氏や杉田水脈・衆院議員、米国弁護士のケント・ギルバート氏らとともに、映画で「歴史修正主義者」などと紹介されている。
大学院生だったデザキ氏が「学術研究」目的でインタビューを申し込んだことは、双方が認めている。
藤岡氏らは「商業映画として一般公開するならインタビューは受けなかった。承諾なしに映画に出演させられた」と肖像権侵害を主張。「映画で私たちに『歴史修正主義者』『性差別主義者』などとレッテルを貼った」として名誉毀損(きそん)も訴え、上映中止やポスターから名前や顔写真を削除するよう求めた。
デザキ氏は30日午後に反論の動画をネット上に発表。「映画の出来がよければ一般公開も考えていると伝えており、彼らも知っていた」と主張している。(編集委員・北野隆一)
そうした状況を生み出してきた責任の一端が、「慰安婦」問題を「タブー」としてなかなか扱わず、歴史修正主義の言説のおかしさをきちんと指摘してこなかったメディアにあることは言うまでもありません。立ち見も出るほどの超満員だったこの日の記者会見ですが、これを機に、映画に伴う一連の「騒動」だけではなく、映画の中で語られている内容、そして「慰安婦」問題そのものについても、もっとオープンに報道され、議論されるようになっていってほしい。それでこそ、この映画がつくられ、公開された意味があるのではないか。そんなことを考えました。
(西村リユ)】
慰安婦論争を多角的に検証した、というふれこみの映画「主戦場」。櫻井よしこさんをはじめ保守派の論客が大挙出演してびっくり、と思えば、みな日系アメリカ人監督に「騙し討ちに遭った」と怒り心頭で。
映画の公式サイトには、
〈ひっくり返るのは歴史かそれともあなたの常識か〉
という見出しの脇に、
〈イデオロギー的にも対立する主張の数々を小気味よく反証させ合いながら、精緻かつスタイリッシュに一本のドキュメンタリーに凝縮していく。そうして完成したのが、映画監督ミキ・デザキのこの驚くべきデビュー作、「主戦場」だ〉
等々書かれている。性奴隷としての慰安婦が存在したのかどうか、肯定派と否定派双方の主張を並べ、観る人に考えさせるなら問題はあるまい。ところが、
「“ひどい”の一言で、取材の客観性も中立性も保てていません」
と出演者の一人、ケント・ギルバート氏は憤る。
「デザキからアプローチがあったのは2年ほど前、上智大大学院の修了プロジェクトとして慰安婦問題を取り上げたく、バランスのとれた取材をしたいというので、快く応じました。撮影場所の上智大に行くと、かなり大がかりな機材が用意され、私が“慰安婦の証言に整合性がない”と言うと、“ないですよね”と同調するので、保守的な人かと思いました。その後、去年秋に突然“釜山国際映画祭で公開します”との連絡がありました。一般公開も寝耳に水でしたが、試写会に行って唖然としました」
その理由は、
「映画の冒頭から私たちを歴史修正主義者と呼んで糾弾。しかも、私たちが言い淀んだりした部分だけをピックアップし、相手側陣営に一方的に論破させるという、極めて卑怯なやり方でした。私は親切心で取材を受け、だから出演料ももらわなかったのに、私たちをあざ笑って金儲けをしようだなんて、どんな神経か」
そして悔いがもう一つ。
「櫻井よしこさんにデザキを紹介してしまったのは私で、映画に使われた彼女の談話はわずかなのに、チラシや予告編で大々的に取り上げられてしまった」続きは下記のサイトに飛んでお読み下さい。
外国で晒されたら、抗議も取り下げさせるのも困難になる。
このようなことが起こらないように、保守のリーダー的存在である方々が保守の人達に注意を呼びかけて頂きたいものです。
韓国内では、韓国軍売春婦は何故かなかったことになっており、韓国最大手の新聞朝鮮日報でも「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない」との記事を出している。(参考にしたサイトhttp://ianfu.japonismlove.com/naze.html)
今の世は「マイノリティーの人々が沈黙を強いられ、苦しんでいる様を見過ごせない」というマジョリティの世界だ。多くの人々がたやすく正義感を満足させる事が出来る「一部のマイノリティー」を称える世の中だ。この潮流に乗った映画が『主戦場』である。
上映中止騒動で有名になり、『主戦場』を世界に広げようとの、意図も見え隠れする。「あいちトリエンナーレ」と似たような構図でもある。
保守側は、慰安婦問題の『主戦場』をアメリカと勘違いした。
デザキ監督はインタビューで「論争の場は私の頭の中にあった。双方が、自分たちの主張が正しいと私を説得しようとした」と答えている。感情的な発言を導き出すテクニックはさすがである。韓情には勝てないとの「そろばん勘定」が保守には出来なかった。『主戦場』は既に背景も含め、デザキ監督の手のひらで描かれていたのである。
そして、映像は教科書問題や日本会議と安倍内閣の関係にまで広がる。監督は出演者に台本通り饒舌に語らせたのである。
それでは、「勝利の女神」はデザキ監督に微笑んだのだろうか?
彼は「慰安婦像」の色っぽい微笑みに抗しきれず、情的な誤りを犯した。
映画のかなり早い段階で保守を「歴史修正主義者」と呼んだことで、中立の立場でなく左側の人間であることを自ら証明した。
現在、日韓関係は極めて順風だ。それについては、ここでは語らない。
ただ、韓国が国際条約も守れない、妄想国家である事を世界が知った。
不思議な事だが、我が国には「文大統領支持者」が多いと聞く。
そういう私も「隠れ支持者」の一人である事を記して筆を置く。
その点、中韓は闘い方を知っている。
いつかは分かってくれると思うのは9条信者と同じお花畑だ。
今回、対戦国がムン政権であったのが救いである。
告げ口外交の朴槿恵( パク・クネ)政権だとどうだっただろうか?
慰安婦合意前に映画が公開されていたらダメージはもっと大きかっただろう。
映画が公開された事で左側に利したことは確かな「歴史的事実」である。裁判の結果に関わらずだ。文章であれば大抵の人は前後関係を考慮するだろう。
だが、映像での発言はその一瞬で判断しがちである。
しかも、この映画は討論では無く「一方的な両者の発言」である。編集者の思いのままに染められる。
イッたモン負け、出したモン勝ちの「主戦場」ではなかったか?
保守勢力は、「中立・公平・国連」等というサヨク言葉の呪縛から自らを解放したほうがいい。永世中立国であるスイスでさえ、徴兵制度を有する国民皆兵・武装中立国家である。
今の韓国がムン大統領で良かった。これからも支持していきたい。
しかし、一回の謝罪で済ますべきではない。
朝日による捏造で傷ついた日韓の人々の傷は未だ癒えていない。
朝日新聞は、廃刊するまで何度でも謝罪広告を出すべきである。
サンデーモーニングにも社長みずから出演し、日本語・英語・韓国語で
捏造を謝罪すべきである。サンモニが続く限り行うべき行為である。
それが、日本と韓国に対する誠意というものである。
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慰安婦報道、第三者委報告書
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html
植村隆、敗れたり 櫻井よしこを訴えた慰安婦訴訟
https://www.sankei.com/premium/news/181210/prm1812100009-n1.html