哲学の科学

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勉強が嫌いな人々(8)

2020-02-08 | yy72勉強が嫌いな人々


昔は勉強が好きな人だけが勉強した、ともいわれます。事実としての昔がそれほど牧歌的であったかどうか疑問がありますが、ロマンとしてそう思いたい。
それでは、その(ロマンとしての)原点に戻って、勉強が嫌いな人はしなくてよい、と徹底したらどうなのか?
学校や大学は勉強が好きな人だけが行く。行かない人も人生で不利になることにはならない、という社会が作れないでしょうか?空想の世界ですが、どんな世界になるでしょうか?
そうすると、学校に行かない若者が多くなるでしょう。昔は、中学校くらいから、学校に行かない若者が行く者よりも多い、という状態がふつうでした。たいていの子供は学校に行かずに働きに出ました。あるいは家業や家事を手伝った。ではその昔のように戻して、小学校卒業くらいで皆、それなりに満足できる職業につけるとしたらどうか?少なくとも嫌な勉強はしなくてすみます。

おとなになってから英語や方程式など使ったこともない、そういう勉強は不要、無駄という意見が多いことからして、おおかたの社会人は、生活と仕事の場面で、高等学校以上の知識はほとんど必要としない、と思われているようです。学校の勉強を経験しなくても支障なく生活できる、と思われている、ということかもしれません。図書館で本を読めてインターネットで検索できる人ならば中学校もいらない、という意見もあります。
大学で習う高度な知識を必要とする少数の専門家、科学者、医師、弁護士、エンジニア、教師、官僚などだけが高校や大学に行けばすむ。他にリーダーになる経営者や政治家などは大学程度の一般教養は必要でしょう。

空想の中ですが、もしそうできたとすれば、職業の必要から大学や大学院に行かなければならない人は同世代人口全体の一割くらいでしょう。そうなれば九割の人は勉強から解放されます。
もちろん、勉強が嫌いではない人は強いられなくても大学へ行くでしょう。また人生の途中で大学に入学、復学する人も多くなるかもしれません。それらの人数を加えて同世代の二、三割の人が大学へ行くとしても現在の大学進学率五割よりはかなり減るでしょう。











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