哲学の科学

science of philosophy

現代を生きる人々(1)

2020-09-19 | yy75現代を生きる人々

(75 現代を生きる人々 begin)



75 現代を生きる人々


歴史の上で現代とは何か?一言でいえば、世界中が豊かになった時代でしょう。ソビエト連邦崩壊から三〇年、かつてなく平和で退屈な世界が続いています。
平和が続き、世界戦争はもう来ないようである。かつて先進国といわれた欧米や日本ばかりでなくアジア南米アフリカのいわゆる新興国、開発途上国においても、少数の例外を除いて、世界中すべての国で平均寿命は上極限に向かって延び続け、生活水準と生産性は急成長しています。
この永久平和と永久繁栄の中にあって問題は、退屈と貧富の格差でしょう。

ローマ帝国の繁栄が頂点を極めた頃のようです。この古代帝国の辺境は当時の交通手段で到達できる距離の限界に達して、生産システム(ラティフンディウム)は(奴隷制生産)効率の極限に達していました。経済格差は極端に二極化し、中間層であったローマ市民は没落していきました。
平和が続けば、資本が寡占状態にまで集中蓄積され、科学技術が発達し、生産性が技術の限界にまで上がる。それらが量的に臨界点を超えれば、当然、底辺が上昇すると同時に上方への富の集中は極大に達し、貧富の格差は歴史上最高になります。

生活が安全で便利になり、多くの人がスマホを所有しています。物資は豊かになり、生活の上で不条理な危険に合う確率は極小にまで下がり、そこそこにサバイバルしていくことはそれほどつらくありません。平和が退屈なのは当然ですが、大きな物語が消えてしまっている現代(一九七九年 ジャン・フランソワ・リオタール「ポストモダンの条件 La condition postmoderne: rapport sur le savoir」)の退屈は根が深く脱出がむずかしそうです。
優秀なエリートと諸国民が成功と覇権を求めて戦った歴史時代が終わり、自由と平等が最後に勝ち残って全世界に広がる時代が到来した(一九九二年 フランシス・フクヤマ「歴史の終わり The End of History and the Last Man 」)ように見えます。もしそうであれば、戦いに勝った満足感と戦い続ける必要を失った寂しさが現代人の退屈に表れていることになります。

その現代をどう生きるか?
ローマ皇帝は市民にパンとサーカス(panem et circenses)を与えましたが、帝国の崩壊は止まりませんでした。どうも平和と経済の繁栄だけではダメなようです。
では私たち現代人は、何を求めるべきか?





自然科学ランキング

コメント    この記事についてブログを書く
« 子供にはなぜ人生がないのか... | トップ | 現代を生きる人々(2) »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

文献