哲学の科学

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私はなぜ顔を洗うのか(3)

2018-10-13 | yy65私はなぜ顔を洗うのか


こういう話は、当たり前すぎて、だれも問題にしない。しかしだれも自分で自覚はできませんが、いつでも他人の存在が発生するこのような信号をしっかり感知して反射的に事態を予測し、身体はしかるべく反射運動をしています。
たとえば視線を感じたらそちらを振り向く。これができる人がふつうの人と思われます。これができない人はおかしな人、避けるべき人、とされてしまいます。
だれでも人に顔を見られそうな場合、それを予測して事前に必ず顔に目ヤニがついていないか、よだれを垂らしていないか、表情がちゃんとしているか、無意識のうちにチェックしています。無意識なので覚えていません。
人前で何かをする場合「私は・・・する」と思うときはすでに顔をチェックしたり、足場をチェックしたり、手に持っている道具をチェックしています。何かをしようと思ったときはすでに自分の状況を確かめています。特に他人にどう見えるか、数メートル離れて見た自分の姿を思い浮かべています。0.2秒くらいの間に。
それと同時に「私は・・・する」と思う。「私は・・・」という主語はそういう身体状態に対応しています(拙稿26章「『する』とは何か」)。

「私は・・・する」と思う、ということは自分自身を意識しているということです。私の意識の中に私がいる。つまり、「私は」という言葉が浮かんだ瞬間、私にとっての私が存在する、といえます。自我という概念はそのような身体状況を概念化したものでしょう。





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