人気blogランキングは? 堺屋太一さんの訃報が流れた。…翌朝の「読売」紙面は、評伝とともに大きく伝えている。
 私が、日テレ(麹町)近くにあった「堺屋太一事務所」を頻繁に訪れていたのは、1990年に入ったばかりの頃のこと(引っ張り出した台本から確認)。…思い出は鮮烈で、番組の打ち合わせの時間に合わせて訪れると、大抵は先約があり、堺屋さんはその間にも電話に応えたり、スタッフとのやりとりがあったりで、その仕事ぶりが、とてもうらやましくもあった。
 リビングを中心にしたごく普通のマンションのつくりで、ガラス越しに見通せる続きの部屋に入ると、テーブルをはさんで堺屋さんの真向かいに座る。
 堺屋さんが背にしている書棚には、ズラリと著書が並んでいて、どの背表紙もヒットを飛ばした周知の書名で、私も、構成台本を書くに当たって読み込んでいた本だったりした。
 因みに、堺屋さんの旺盛な著作の中で、『日本人への警告』が1982年で、『知価革命―工業社会が終わる 知価社会が始まる』(1985年)が注目され、『新規の世界・転機の日本 「新戦後」90年代を読む』(1990年)を出さればかりの頃だった…。
 打ち合わせが始まると、番組の主旨や全体像をすでに把握しておられ、要所を押さえながらもテーマに関連した話題がおもしろいように広がり、終始にこやかに微笑みながら、しかし舌鋒鋭く的をついていた。…私は、「本」に必要なポイントを押さえるのに懸命にメモをとった。
 『堺屋太一の大警告!世紀末!危機からのサバイバル』(1991年1月11日OA)は、日テレもかなり力を入れた特番で、そのタイトル通り、「時代の今を読み解き、世紀末・新世紀に向けて、私たちは、どう生き抜いていったらよいか」を、堺屋さんが提唱されていた「知価社会」「新戦後」を拠りどころに解き明かしていこうという、かなり大上段に構えた、手強いテーマのもの…。
 「堺屋太一」を冠にし、文字通り、堺屋さんをメインキャスターとし、司会に生島ヒロシを据え、ゲスト、視聴者代表を入れたスタジオをベースに、多岐にわたる取材Vを投げ込みながら構成した長時間もので、製作著作 日本テレビ、制作協力 インターボイス、代理店が電通、インターボイスの尾上邦美さんがチーフプロデューサーとして仕切り、総合演出を相原英雄が担い、私は、構成のアンカーをつとめた。今にして思えば、その後この種の番組の先駆けになったと、いささかの自負はある。
 スタジオ(OPコーナー)
 正面中央、堺屋立ちピンスポ
 地球儀へと歩きながら
 地球儀を回しながら
 堺屋「堺屋太一です。1991年、新しい年を迎え、数日がたちました。ここ数年の、激しい世界の動きの中で、今年は、90年代は、そして、21世紀は、どのようになるのでしょうか?今、日本は平和で繁栄していますが、それに慣れきっていることが恐ろしい。とくに平和の時代に生まれ、豊かさの中で育った日本の若者たちの未来は、決して安泰ではない」
 私の構成台本は、いつも内容が濃く、ビッシリと活字の詰まったものだったので、嫌がるキャストもいたのだが、私は構成という役割を「ハコ書き」屋とは思っていなかったのだ。しっかりと台本を読み込んで自分のものにした上で、それぞれキャラクターを出すなり、主張をしてくれれば、よりこなれた見がい聞きがいのある良いいものができると信じていただけの話だ。
 限りなく媒体が増え、個人が映像を簡単手ごろに出せるようになった今とは、「出し手」も「受け手」も、社会全体も、随分と違っていた…。
スイス取材 ところで、その頃の私は、通産省をはじめとして外務省、総務省、文部省など官公庁関連の番組に、インターボイスのプロデューサー小林明さんや尾上邦美さんとともに多く関わっていた。
 中でも、中小企業庁の週一レギュラー「ビジネス ズームアップ」(TBS)は、小林さんに依頼され書いた私の企画で、7年間のすべてをピンで構成したのだが、尾上邦美さんは、ずっとこの番組のプロデューサーとしてにらみをきかす大きな存在だった。
 また、相原英雄は、確かプラネットを設立する前後で、彼の手がけた番組の多くを一緒にやった。…その頃、ドキュメンタリー分野で注目されていた「ノンフィクション情報番組」の先鞭をつけるべく、いかに視聴率のとれる、しかも社会的にインパクトを持つ番組を生み出すかに悪戦苦闘していたのが懐かしい。(写真は、TBSの番組を制作時のスイスロケ…相原英雄と)
 このころのことを書くと、話はとめどなく広がってしまうのだが、そんな「歴史」の中で出会った堺屋さんは、「団塊」の私たちとは、一回りほど上の世代…私たちの同時代を先導していた。
 ちょっとおこがましくも一方的ではあるが、「同時代を共有」してきたという、そんな熱い思いが私にはある。
 この歳になると、私にとって憧れでもあった人、可愛がってもらったりもした同時代の先輩が、相次いで「あちら側」に行ってしまう。…彼らの遺していった書物や資料が必然のなりゆきで私のデスクの周りに溢れかえる状態になっている。…良くも悪しくも、有り難くも、すごい時代に生きてきたものだ…。
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