人気blogランキングは? 深い山吹色の月の光に照らされて、影絵のように浮かび上がる高層マンションは、広大な cemetery の墓標さながら幾棟も林立し、私は、その一室に辿り着く度に、確かに「我が家」と呼んではいるものの、流れに淀んだ筏舟に一歩足をかけた不安に揺らぐ感覚を、いつまでも拭い去ることができない。
 私は、どこで、どんな風に住もうと、一夜を明かす旅の体験や印象のように、ある種の糧としてそれらをニューロンに刻み込むことはあっても、住まいや物、周りの環境や暮らす人々に、不思議とさえ思えるほどこだわりも執着もほとんどない。
 「光が丘」と名付けられたこの団地に、最後に建てられた真新しい建物への入居が始まってすぐ、吹き抜けになっている地下駐車場に32Fのベランダから男が落ちた。
 正面玄関に向かうブリッジに、すぐさま集まった新住人の背越しに、私は、ジグソーパズルの剥がれた一片のように不自然に折れ曲がった男の体躯が、乾いた灰色のコンクリートの上で、どす黒い紅色にゆっくりと縁取られていく様を見下ろした。
 一緒にいたCHIKOも、怖々と後ずさりする気持ちに抗しながら私の腕にしっかりとすがりついて、同じ光景を覗き見た。
 「KIMI、やめようよ。見なかったことにしようよ…」
 サイレンの音が喧しく響く中で、陽炎のように空間が攪拌し渦巻き、時が揺れた。
 すると、その微かな歪みに現れたスクリーンに、ベランダから放物線を描いて飛翔する男の姿が、ゆっくりとフリーズをかけて fix され、海に向かって崖からダイビングしたあの日の私のイマージュが、記憶のチップから引きずり出され、ネガとポジのように重なって映り、ゆっくりとエンドロールのように流れて見えた。
 おまけに、CHIKOの怯えた声が、まるでアテレコするように聞こえ、私は慌てて、甘い蜜の誘惑を振り払う時さながらの身震いをブルッとした。
 「 accident だよ。そうだよ、違いない。…ベランダで新しいエアコンか何かを取り付けていて、不安定になった足場が倒れたのかもしれない…きっと…」
 私は、何の根拠もない分析をしながら、彼の死が自ら意志したものではなく、できることなら偶然であって欲しいと強く願っていた。
 「そうね、きっと…引っ越してきたばかりで死ぬなんて、そんなことあり得ないわ…KIMIでなくて…よかっ…」
 CHIKOは言いかけて、自らを諌めるように言葉をフェイドアウトさせ黙ってしまった。
 私のダイビングは、 accident に遭遇した男とは明確に違い、極めて complicated で、どだい言葉で説明することなど不可能な領域だ…とすることで、ダイビングした私や、岬の女の下へ、手負いの男を助けて届けようとしたことや、おまけに、一人二役を演じて同一人物だったなどという、錯綜した situation も、やがて置かれるであろう circumstances も、スンナリと納得でき、何とか平静でいられるような気がしたのだ。
 こんなことは、己の中で整合性さえ持ち得れば、門外不出の私だけが知る世界として、そっと密かに小さな箱の中にしまっておけるわけだから…。
 私のそんな願いが届いたのかどうか、新しい住まいで新しい生活を始める人たちばかりということもあってか、なぜか箝口令が敷かれたように、事故だったのか自らそうしたのか、どんな人だったのか、ベタ記事ほどのことしか伝わってこなかった。
 私は、血痕が残る現場のすぐ前にあった「ドンガメ」の駐車位置の変更を管理事務所に願い出て、よりエレベーターに近い場所に移った。
 けれど、消えない傷跡にも似て、大通りからマンションへの誘導路を入ってくる度に、チラリと空を仰ぎ見て、それ以上の連想を強引に停止させようとする習慣は残ってしまった。
 それに、日常生活の中でも、何かちょっとしたこと…例えば、奇妙な無言電話がかかってきたり、台本が思うように書けなかったり、HIROがベランダで遠い目をしていたり、CHIKOのパリからの帰国便が遅れたり…なんて時に、あれはきっとこうしたことの「予兆」だったと、川面に突然浮かび上がってくる病葉のように思い出したりもした。

 「ドンガメ」は、深夜に向かう六本木から246に出て、明治通り、新目白、練馬を経て豊島園を左手に見ながら光が丘への、首都高に乗らないコースをたどった。
 学生時代から車を乗り回していた私だけれど、マシンへの興味も知識もいい加減なもので、ただ「ドンガメ」のように一目惚れしてしまった車があるくらいで、動きさえすればどんな車でもよいという、実に情けないドライバーである。
(C) JULIYA MASAHIRO San Diego だが、その限られた運転席に一人座ることは、とても好きだった。海外取材の時もレンタカーを借りて走った。LAからハイウェイで向かうサンディエゴの自由な加速にちょっとした快感を味わったし、自らの小気味良いハンドルさばきに一人ご満悦だったりもした…。

 かつて日本陸軍の軍用滑走路だった、光が丘の真ん中を貫いている大通りから、任務を果たせず戻ってきた神風特攻隊機のように、エンジン音をひときわ大きく響かせた「ドンガメ」は、駐車場の檻の中に、瑠璃色のボディを微かに震わせながら吐息をつくようにしてとまった。
 エレベーターをエントランスで待つCHIKOの肩に眠るHIROを、私は、そっと目を覚まさないように胸に抱いた。
 繊細なフローラルの香りがそよぐように漂ってきた。パリから運ばれてきたミスディオールのブルーミングブーケ…CHIKOの好んで纏う香り…忘れていた何かを思い出したときのようにドギマギして、言葉を探した。
 「ぐっすりだね…随分、連れ回したからね」
 「気をつかわせてるようだったわ…長く離れていたから…」
 「とても繊細だからな…コイツ…」
 そう言って、私は、HIROが私を見つめるときの愛くるしい表情を思った。
 深夜のエレベーターは、幸せな家族をねぐらへと運ぶ熱気球のようでさえあったけれど、私の「女の平和」は、HIROを巻き込んで、とても敏感な小さな胸にチクチクと針を刺し続けていたのかもしれない。
 私は、「定かな顔を持たない女」のために、CHIKOに背を向け、二人にとって最も大切な絆を自らの意思で断ち切り、冷え冷えとした関係に持ち込み、私の存在に辟易とさせることを目論んだ。だが、「女」の存在が、明らかになったとき、私の示威行動は、当然のことながら、何ら意味を持たなくなってしまった。
 卑怯この上ない私の行動は、なぜそんなことをと不思議に思えるほど常軌を逸したとても稚拙なやり方だった。
 案の定、私が長い海外取材を終えて、成田から我が家にたどりついたとき、事態は急転直下の様相で一変していた。
 CHIKOは、大胆な反撃に出た。
 何としても私を許すわけにはいかない、もはや聖女である必要などないと、私の部屋をノックし、強引に私との交わりを求めてきた。
 CHIKOの sexuality は、とてもストレートでピュアである。

【PHOTO:JULIYA MASAHIRO】
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