没後20年 ベルナール・ビュフェ 或る画家の航海 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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非常事態宣言が発令される数日前のこと、
とある雑誌の連載のために、クレマチスの丘まで取材に行くこととなりました。
コロナウィルスに感染しないように、
また万が一、感染者になっていたとしたら感染させないために、レンタカーを利用。
場所が静岡なので遠いだろうと覚悟をしていたのですが、
意外にも、都内から2時間ちょっとで到着してしまいました。
あれっ?電車と送迎バスを乗り継いで行くよりも早くない?
こういう状況になったことで、初めてわかることってあるものなのですね。


さて、「花・アート・食」 がコンセプトの複合文化施設クレマチスの丘には、
現在長期休館中のIZU PHOTO MUSEUMを含め、全部で4つのミュージアムがあります。
まず訪れたのは、ベルナール・ビュフェ美術館。




戦後の具象画壇を代表するフランスの画家ベルナール・ビュフェ、
その作品を収蔵展示するために、スルガ銀行会長だった岡野喜一郎が創設した美術館です。
コレクションは、油彩画や版画、ポスターなどを合わせて、実に2000点 (!)。
世界最大規模のビュフェコレクションを誇っています。

ちなみに、開館は1973年。
設計は、江戸東京博物館でもお馴染みの建築家・菊竹清訓です。
8年前に初めて訪れた際に、何よりも印象に残ったのは、
新館にあったダラダラと続く無駄に長いスロープだったのですが。
(1階と2階を結ぶ導線なのですが、なぜか2周させられるという・・・・・)
どうやら2012年の大規模な改修工事で、あのスロープは撤去された模様。
全体的にスッキリとした美術館に生まれ変わっていました。


そんな新生ベルナール・ビュフェ美術館で開催されていたのは、
“没後20年 ベルナール・ビュフェ 或る画家の航海” という展覧会。

ポロックやデュビュッフェが台頭し、当時の美術界は抽象表現主義へ。
そんな中、19歳という若さで画壇に鮮烈なデビューを果たしたのがビュフェです。
抽象表現主義の流れに対抗する具象絵画の旗手として、
若き日の彼は一身に、その大きな期待を背負うこととなりました。
注目を浴びるがゆえ、常に賛否両論が巻き起こったビュフェ。
そんな嵐のような画業人生を航海になぞらえ、
初期から晩年まで100点以上の作品を交えて紹介する展覧会です。
星星


ベルナール・ビュフェといえば、
何と言っても特徴的なのが、エッジが効きまくった鋭い線。
ナイフみたいにとがっては触るものみな傷つけるような線です。





それと、もう一つ特徴的なのが、そのサイン。
自分の作品の中に、これでもかというくらいの大きさでサインを書き込んでいます。





サインというよりも、もはや絵を構成する要素の一つ。
世の中にはたくさんの画家がいますが、
ビュフェを超える大きさのサインを書き込む画家を僕は知りません。
サイン目立ち度ランキングなるものがあれば、ビュフェが暫定1位です。


さてさて、今回まとまった数のビュフェ作品を目にして、
改めて気づかされたのは、全体的にグレーを基調とした作品が多いということ。




特に初期の傑作 《アトリエ》 は、ハマスホイを彷彿とさせるものがありました。
ハマスホイの東京展を観られた方もそうでない方も、
是非、自粛の要請が解除されたら、ビュフェ作品に逢いに行ってみてはいかがでしょうか?

また、もう一つ印象的だったのが、
晩年に近づけば近づくほど、作風が狂気的になっていったこと。
初期の1950年代の作品は、全体的にスタイリッシュな印象だったのですが。
1960年代には、《皮を剥がれた人体(エコルシェ):正面》 という作品を発表。




晩年の1999年ともなると、《死 16》 のような作品を描くようになります。




一体、ビュフェに何があったのでしょう??
『ジョーカー』 ばりにキャラ変しています。

ちなみに、展覧会では、ビュフェの自画像が数点紹介されていました。
こちらは、30歳頃に描かれた 《自画像》




そして、こちらがその約20年後に描かれた 《自画像》 です↓




別人じゃん!
『シャイニング』 じゃん!


ビュフェに何かがあったことは、間違いないようです。




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