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菅義偉は苦労人を装った山師だ

2020年09月12日 18時28分25秒 | 新型コロナ・アベノマスク
 
 
9月8日夜にTBSのNEWS23で放送された自民党総裁選候補者討論会の映像を、遅まきながら観ました。総裁選に出馬した石破元幹事長、菅官房長官、岸田政調会長の3人の候補者が、初めて一堂に会して討論を交わした場です。そして、今まで官房長官、安倍政権の後見人としてマスコミに睨みを効かせ、今回の総裁選でも最有力候補として目されて来た菅義偉(すが・よしひで)が、実は「安倍以上に原稿の棒読みしか出来ないポンコツ」である事が、初めて明るみに出た場でもあります。
 
私が観た限りでは、菅義偉の話し方がそんなに下手くそであるとは思えませんでした。確かに、石破や岸田と比べたら、お世辞にも滑舌であるとは言えません。しかし、聞き取りにくい程でもありませんでした。少なくとも、私なんかよりは、遥かに上手に喋れていたと思います。
 
但し、菅の話す内容については、同じ自民党の石破や岸田と比べても、明らかに見劣りするものでした。それは討論会の最初に、番組司会者から政策のキャッチフレーズを聞かれ、3人の候補者が掲げた下記のフリップの文言を見比べただけでも分かります。
 
石破「地方に雇用と所得を」
菅「規制改革」
岸田「経済分配、新しい資本主義」
 
今のアベ政治を引き継ぐと言う意味では、3人とも「同じ穴のムジナ」である事は明らかです。それでも、菅以外の2人は、「アベノミクスの恩恵は地方や低所得者層には及んでいない」と、格差是正を表明せざるを得ませんでした。それに対し、菅だけは相変わらず「規制改革」一辺倒、つまり「アベノミクスのエンジンを更に吹かす」としか言えませんでした。
 
確かに、石破も「憲法9条に自衛隊合憲を追加するだけでは不十分だ。家族の尊重義務(家父長制の復活)や徴兵制(徴兵忌避者は最悪死刑に)も書き加えなければならない」と主張するウルトラ極右です。岸田も「アベノミクスは80点の合格点」と評する正真正銘の新自由主義者です。
 
しかし、それでも討論会の場では、世論を意識して、「公文書改ざんなぞ、有ってはならない事だ」(石破)や、「コロナ感染拡大を機に、これからは何でも自己責任の市場原理主義ではなく、所得の再分配や格差是正に軸足を移す」「非核三原則を堅持し核廃絶を目指す」(岸田)と言わざるを得ませんでした。
 
それに引き換え、菅は討論会でも、地方の地価上昇や生活保護受給率減少を捉えて、「アベノミクスの恩恵は地方や低所得者層にも及んでいる」と、手放しに礼賛していたのですから、もうどうしようもありません。地価上昇なんて県庁所在地の一等地に限った話で、他は全てシャッター街や限界集落と化してしまっているし、生活保護受給率の低下も、安倍政権が水際作戦で生活保護申請を門前払いにしているからなのに。
 
しかも、菅は討論会の場で、更に聞き捨てならない事も言い放っています。それは、番組司会者が「官邸主導人事の弊害」について聞いた時でした。「内閣人事局の設置で、官邸が幹部公務員の生殺与奪の権を握る様になった事で、官僚が国民の方ではなく官邸の意向ばかり気にする様になってしまった。それについてどう思うか?」聞いた時の事です。
 
他の2人の候補者は、それに対して、曲がりなりにも「透明性を高めて、国民の疑惑に応えるルール作りを」(岸田)とか、「公文書改ざんは国民に対する背信だ」(石破)と、何らかの形で是正を表明せざるを得ませんでした。しかし、菅はその質問に対しても、「具体的人事は担当省庁が決めている。官邸が指図する事なぞあり得ない」と言ってのけたのです。
 
確かに、形の上ではそうでしょう。しかし実際は、その担当省庁、担当大臣も、官邸やその意を体した内閣人事局の目を気にして、自分から官邸に忖度(そんたく=迎合)する様になってしまったのでしょうが。そのせいで、上の命令で公文書改ざんを強いられた財務省職員が、悲愴な遺書(手記)を残して自殺してしまったのでしょうが。
 
 
菅は、総裁選出馬表明した最初の記者会見の場で、いきなり自らの生い立ちについて語り始めた事がありました。そこでは「自分は秋田の雪深い農家の長男として生まれ、高校卒業後は集団就職で上京し、段ボール工場に就職しながら、法政大学の夜間部に進学し、政治家を志した」と言っていました。私は、それを聞いて、非常に奇異に思いました。だって、そうでしょう。段ボール工場の工員から、いきなり畑違いの政治家への道を歩む様になったのです。それだけの決心をする以上は、何らかの強烈な動機が無ければならない筈です。
 
ところが、菅の説明では「世の中を動かしているのは政治だと気が付いた」と。たったそれだけです。それだけでは、余りにも動機が抽象的過ぎます。そんな薄っぺらな動機で、段ボール工場の工員が、畑違いの政治の世界に飛び込む事なぞ、普通はあり得ません。しかも、どの政治家に師事しようか、大学の就職課に相談したと言うのですから、呆れて物が言えません。
 
そう思って訝(いぶ)しがっていたら、案の定、今週発売の「週刊文春」(9月17日号)がその種明かしをしてくれました。当該記事によると、菅の生まれた「田舎の雪深い農家」は、実際は苺の品種改良で大儲けした地元の名士で、父親は町会議員まで勤めた家柄でした。姉も元教師で、菅義偉自身も、高校は地元でも有数の進学校に通っていました。
 
今でこそ高卒と言えばワーキングプアの代名詞ですが、菅が高校卒業した当時は、大学進学率は2割にも満たなかったのです。別に高卒と言っても、それだけで「苦労人」であるとは言えないのです。菅が法政大学の夜間部を出た事で、彼をまるで苦学生であるかの様に錯覚する向きもあるようです。しかし、これも私に言わせれば、単に昼間の学部より夜間部の方が、偏差値が低くて大学入試に受かりやすかっただけではないでしょうか。
 
そう考えると、菅が政治家を志した強烈な動機も、何となく見えて来ました。菅は、決して「ワーキングプアの低賃金や長時間労働を何とかしよう」と思って、政治家を志した訳ではありません。寧ろ、その逆です。自分だけ抜け駆けしようとしたのです。こんなワーキングプアの泥沼から這い出してやろうと。
 
だから、師事する政治家も、革新系の野党ではなく保守系の自民党だったのです。就職の斡旋先も、NGOや労働組合ではなく、大学の就職課だったのです。「苦労人」の割には、体験談がどれも薄っぺらで、聴衆に感動を与える様な物では無かったのです。ひたすら原稿の棒読みで、安倍政権の弁護しか出来ないのです。「公助(社会保障)よりも自助(個人の努力)が先」とか、そんな事しか言えないのです。それで済むなら政府なんて要らないし、そんな政府に税金払う価値なんて無いにも関わらず。
 
どこから見ても、菅義偉は「苦労人」なんかではありません。ましてや「庶民の味方」では絶対にありません。ただの「苦労人を装った山師」です。

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